みなさん、こんばんは。。

 

今日は2023年7月22日(土)ですね。

 

今日も石家庄旅行記の続きです。

 

7月13日(木)。。

 

僕は。。

 

 

河北省博物院へ行きました。

 

で。。

 

すでにブログで書きましたけど。。

 

この日は。。

 

河北省博物院の入場ゲート前で約1000元の現金を落としてしまったのですよね。

 

↓7月13日の記事はこちらです。。えーんえーんえーん

 

 

なので。。

 

正直、博物院で見学している間、ずっと気が沈んでいたのですけど。。

 

改めて写真を見返すと。。

 

流石、河北省最大の博物館・・・・逸品ぞろいでした。

 

というわけで。。

 

今日は河北省博物院のご紹介をします。

 

まず、入場して。。

 

 

広い館内を歩いたのですけど。。

 

 

あれ??只今、一般公開してません???笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

光日関係の展示以外。。

 

ほとんど非公開になってました。。滝汗滝汗滝汗滝汗

 

どういうこと??

 

20分ぐらい歩き回ったのですが。。

 

本当にほとんどの展示ブースが閉まってました。。

 

と。。

 

突然。。

 

 

館内がパッと明るくなりました。。

 

実は。。。

 

入場ゲートは博物院の旧館で。。旧館はほぼ展示なし。。

 

展示品は新館にあることが判明。。

 

 

こちらが新館の建物ですが、新館の方は出口専門で、入場ゲートは旧館だけ・・・みたいです。

 

なーんだ、よかったです。

 

 

新館の展示のラインナップはこんな感じ。。

 

新館と旧館は2階から行き来できるので。。

 

まずは、2階の展示から見ました。。

 

というか、この博物館は2階の展示が一番の見どころでした。。

 

まず。。

 

 

前漢時代の満城漢墓の展示品です。。

 

満城漢墓の墓主は、中山靖王劉勝です。

 

劉勝・・・僕は一応、名前だけは小学校のころから知ってます。

 

三国志で有名な劉備の祖先とされている人なので。。

 

で。。

 

 

長信宮灯。。

 

 

銀婁玉衣。。

 

と逸品ぞろいだったんですけど。。

 

僕にとってはメインではないので、今回は説明を割愛させていただきます。

 

僕にとってのメインは。。こちら。。

 

 

戦国時代の中山国の展示です。。

 

中山国。。

 

チャイナの戦国時代に存在した国です。

 

 

赤で囲んだ部分が中山国の領土。。

 

いわゆる、戦国時代の大国、戦国七雄の次ぐらいに勢力を持っていた国です。

 

中山国は北方遊牧民族の白狄の支族、鮮虞部落の作った国で。。

 

史書では紀元前414年、武公によって建国。。

 

途中、魏の国に攻め滅ぼされますが。。まもなく復国。。

 

紀元前320年ごろに最盛期を迎えるものの。。

 

前295年に滅亡してしまいます。。

 

その中山国の城跡や陵墓から出土した展示品が、ここで見られるのですよね。

 

 

こちらは鉞(まさかり)。。

 

 

金文の拓本に記されているのは。。

 

中山の君主(中山侯)が周の天子から封建されたのを記念して製作された・・・といった内容です。

 

 

こちらは刀銭。。

 

刀銭は戦国七雄の燕や斉で使われていたお金ですが。。

 

中山国でも使われていたようです。

 

 

こちらは刀銭の石範と陶範。。鋳型みたいなもんですかね。。

 

左側は中山国の「成白」の刀銭の石範。。

 

右側は燕で使われていた刀銭の陶範ですが。。

 

燕のお金を中山国でも造っていたようです。

 

小国の悲しさか、「成白」の刀銭はあまり流通しなかったみたい。。

 

ちなみに、中原地域で流通していた布銭も中山国は作って使ってました。

 

 

こちらはテントの複製品。。遊牧民族っぽいですね。

 

 

青銅器などもたくさん並んでいました。

 

 

こちらは盛食器の豆ですね。。

 

遊牧民らしい?レリーフでした。

 

そして。。

 

僕が一番見たかった青銅器がこちら↓

 

 

中山三器の一つ、中山王厝鼎。。

 

中山王の厝という人が製作した青銅器なんですが。。

 

 

469文字が刻まれています。。

 

この刻字銘文・・・戦国時代の一大事件について記しているのですよね。

 

それは。。

 

戦国時代には、儒学などで、「徳のあるものが王になって、血筋に関係なく、賢人が王位を継ぐべきだ」という。。

 

禅譲の考えが広まっていきます。

 

伝説の聖王、堯は舜に王位を譲り、舜は禹に王位を譲るという風に。。

 

賢人から賢人へと王位が受け継がれるのがよい。。

(禹の後は、なんやかんやで息子の啓が王位を継ぎ、夏王朝が始まります)

 

という考え方ですね。

 

王莽の新王朝以降。。

 

チャイナの王朝は前王朝から国を「簒奪」したという形を嫌って。。

 

この「禅譲」という方法で王朝を交代させてゆくんですが。。

 

実は。。すでに。。

 

戦国時代に、この「禅譲」をやってしまった(というか、やらかしてしまった)。。

 

国があるのですよね。

 

それは。。

 

 

燕の国・・・そして、その王だった燕王カイ(口+會)です。

 

紀元前320年ごろ、燕王カイは、賢人だとして相邦(宰相)の子之に王位を譲ってしまいます。

 

その結果。。

 

「冗談じゃねー。次の王は俺だ」と怒った太子が反乱を起こして・・燕の国は大混乱。。

 

その隙をついて。。

 

隣国の斉が燕に侵攻。。

 

斉はカイと子之を殺して、燕を滅ぼしてしまいます。

 

そして。。

 

斉は燕に新しく王を建てることをせずに、燕を併呑しようとしたので。。

 

斉の強大化を嫌った秦、魏、趙の三国に攻撃されて。。

 

結局、斉軍は撤退。。

 

秦、魏、趙は新しい王を建てて、燕を復国させます。

 

という、大事件なのですが。。

 

この中山王厝鼎の銘文には、この燕王カイと子之の禅譲。。

 

そして。。

 

中山国も、宰相の司馬贾(貯)が軍を率いて燕に攻め込み、燕の領土と城を奪った。。

 

ということが記されていたのですよね。

 

こんな歴史的大事件を記した金文ってあまりないので。。

 

学術的にも非常に重要な青銅器銘文になっています。

 

ということで。。

 

 

青銅器の銘文465文字、全部読んでやろうと・・・解読し始めると。。

 

 

文字が刻まれていることに気づいた女子たちが近づいてきて、文字を撮影し始めました。

 

文字は鋳込まれたのではなく、刻まれたもの。。かなり薄字で見にくいので。。

 

文字が刻まれていることに気づかずに去っていく参観者も多かったんですよね。

 

で。。。

 

全部読んでやろうと思っていたのですけど、文字がはっきりしてない部分もあって。

 

結局、途中で断念しました。。

 

やはり、金文は拓本が一番読みやすいです。

 

つづいて。。

 

中山国の展示、全部で2ブースあるので。。

 

 

2つめのブースを見に行きました。

 

 

こちらは、山の字の青銅器。。

 

これは中山国独特の儀仗礼器です。

 

ちなみに、この儀仗礼器。。

 

 

河北省博物院のマークにもなってます。

 

 

2つめのブースにも青銅器が沢山展示されていました。

 

 

牛。。。酒器で赤↑の蓋を開けて、お酒を入れるみたいです。

 

 

こちらはタイガー。。

 

 

これは何でしょう?盤、歩いは鑑かな?多分水を入れて顔を洗ったりするんだと思います。

 

 

こちらは、小さいテーブルですが、78の青銅製部品をつなぎ合わせているらしいです。

 

青銅器のほかに。。

 

 

玉。。

 

 

玉杯などもありました。

 

最後。。

 

1つ目のブースの出口に。。

 

 

兆域図という、中山王厝の陵墓の設計図を記した青銅版も展示してあったんですが。。

 

これ?ホンモノかなあ?一応「複製」とは書いてなかったんですけど。

 

超一級品なのに展示が簡素すぎて。。

 

ちょっと本物か複製品なのか、判断できませんでした。

 

さて。。

 

2階は終わって。。

 

 

続いて三階。。

 

 

旧石器時代。。の展示。。

 

 

仮面がかわいかったです。

 

 

燕国関係の展示。。

 

 

陶器の鼎。。

 

など、いろんな展示がありました。

 

三階はこのほか、戦国時代の趙の展示もありました。

 

続いて、一階は。。

 

 

壁画です。

 

 

すごかったです。

 

それから。。

 

 

石仏。。

 

そして。。

 

 

唐代の美女たち。。

 

などなど。。

 

結局、全部見るのに3時間もかかりました。

 

この日は、もう一つ、石家庄市博物館にも行くんですが。。

 

そちらは明日ご紹介したいと思います。

 

今日はここまで。

 

みなさん、さようなら。