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鳥飼八幡宮氏子区域について



みなさま、ご機嫌よう。
鳥飼八幡宮の氏子区域についてよく尋ねられます。

天明六年(1786)に当時の当社宮司平山讃岐によって記された「神社記」によると、

鳥飼八幡宮、産子十八ヶ所
福岡の城内 鳥飼村 西町  唐人町 地行
新大工町  浪人町 荒戸  伊崎  湊町
簀子町   大工町 浪人谷 馬屋谷 茶薗谷
風切谷   濁池  追廻シ

となっています。

福岡の城内も氏子区域ということで、鳥飼八幡宮が黒田家の氏子というのがわかりますね。
以下の地名ではなくなってしまったものもありますが、大体わかりますね。
中央区は樋井川から

分かりにくいのは鳥飼村の範囲です。
江戸時代の鳥飼村の範囲がはっきりとわからないのですが、明治22年(1889)に、福岡西町の一部、鳥飼村の一部、早良郡谷村が合併して、早良郡鳥飼村が誕生します。

早良郡鳥飼村の範囲が分かれば、氏子区域が特定されるはずです…。
ということで、鳥飼村が福岡市に編入された大正8年(1919)の翌年出版の地図をもとに、氏子区域の線引きをしました。

上記の地図の赤いラインです。
このラインを現在のマップに引きたいのですが、如何せん地形や道路が当時と大きく変わっていて…。100年足らずで、この変化はすごいですね。福岡城って、堀に囲まれていたし、国体道路は堀でしたね。

それなのに変わらずある神社とはすごいな、と改めて感じました。