妖怪の孫の死。安倍晋三と暗殺とその時代アベノミクスの瓦解

長尾景虎

第1話 妖怪の孫の死。安倍晋三と暗殺とその時代

 大河小説 妖怪の孫の死。 

安倍晋三暗殺とその時代 アベノミクスの瓦解

                 

妖怪の孫の死 – 安倍晋三暗殺説と信仰の歴史~暗殺事件! 森友・加計・桜・疑獄、あの安倍独裁政権とは何だったのか~

 ~あべしんぞうとそのじだい~

               ~安倍晋三氏の伝記「悪辣お坊ちゃん」

                 3回目の右翼系「お友達内閣」はいかにしてなったか。~

                ノンフィクション 安倍晋三の人生

                 total-produced&PRESENTED&written by

                   NAGAO Kagetora

                   長尾 景虎


         this novel is a dramatic interoretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.


        〝過去に無知なものは未来からも見放される運命にある〝

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ

 わたしはこの作品によって、名誉棄損とかで訴えられるかも知れない。敗訴するかも知れない。社会的に〝抹殺〟されるかも知れない。権力者に刃向かうとはそういうことだ。

 だが、出来れば大目に見て、勘弁してほしい。為政者への批判は言論の自由、と。

 が、だけれどもわたしは作品中の主人公を嫌悪するのではない。むしろ、尊敬している。

 彼らが成し遂げたことは富士山よりも高く、立派だ。逆に、「面白いことを言う作家さんだ」と、仲良くして頂きたい。何故なら、わたしはこの作品の主人公の大ファンだから。


          あらすじ

 安倍晋三(あべしんぞう)氏、1954年9月21日東京生まれ。2022年7月8日、奈良市の駅前で午前11時半頃、応援演説中に銃撃され暗殺される(享年67歳)。身長175センチ、体重70キロ、血液型B型、家族、妻・昭恵さん(子供なし)、母・洋子さん、選挙区山口4区、座右の銘「至誠にして動かざるもの、これもってあらざるなり(吉田松陰)」

 趣味、映画鑑賞、読書、ゴルフ、水泳、愛読書「留魂録の世界」、好きな食べ物、焼肉、ラーメン、アイスクリーム、スイカ、出身校・成蹊大学法学部卒、略歴・神戸製鋼所社員、官房長官、自民党幹事長、内閣総理大臣(第90代、第一次・病気で一年で辞任)、参議院議員で雌伏の五年間を過ごし、2012年冬二回目の内閣総理大臣(第96代 第二次)2014年冬三回目の内閣総理大臣(第97代、第三次)2017年冬四回目の内閣総理大臣(第98代)

 2020年8月辞任表明。病気悪化で辞任。のちに後継者は官房長官の菅義偉氏総理大臣(第99代)その後、2021年に菅氏退陣。後任は岸田文雄氏(第100代首相)。

岸信介は母方の祖父。牛尾電器社長や岸家や佐藤家などと交流あり。CIAの分析では「安倍晋三は頭も体も心も弱い」「やはりアベは危険なタカ派」等。

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。位階は正二位、勲等は大勲位。旧姓佐藤(さとう)。

満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(66・67代)、皇學館大学総長(第2代)などを歴任した。

東條内閣の大東亜戦争開戦時の閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留、昭和戦後には「昭和の妖怪」と呼ばれた。

 その岸信介と安倍晋三の物語である。

『人物表』大河小説 悪辣 安倍晋三暗殺とその時代~アベノミクスの瓦解~

安倍晋三…(主人公)内閣総理大臣。2022年7月奈良市で銃撃され暗殺される。

谷垣禎一…元・自民党総裁(事故で車椅子状態に)

石破茂…安倍晋三のライバル

二階俊博…自民党の大物「影の将軍」

日銀黒田東彦総裁…東大卒の超エリート日銀総裁

竹中平蔵…政府の経済担当「軍師」

小野寺五典…政府の政治家(安倍友)

若狭勝…東京都知事・小池の右腕・政治家

小池百合子…東京都知事

横田めぐみ……拉致被害者

横田滋…めぐみさんの父親(病死)横田早紀江…めぐみさんの母親

田所アナウンサー…民放のアナウンサー

豊田真由子…政治家。問題を起こす

前原誠司…元・民主党の政治家

稲田朋美…自民党政治家

美智子さま…上皇后さま

明仁親王……上皇さま

辻元清美…政治家。安倍の天敵

橋下徹…元・維新の政治家。いまはタレント・弁護士 

小泉進次郎…小泉元首相の息子(人寄せパンダ)

麻生太郎…自民党の大物政治家

蓮舫…政治家。安倍の天敵

雅子さま…皇后さま 徳仁親王……新天皇陛下

田原総一朗…ジャーナリスト 岡田克也…元・民主党・政治家

山尾志桜里…元・民主党・政治家引退。安倍の天敵

岸田文雄…自民党の政治家・安倍・菅の後継者

野田聖子…自民党の政治家 枝野幸男…元・民主党・政治家

櫻井よしこ…ジャーナリスト

安倍昭恵…晋三の嫁 菅義偉官房長官…政治家 河野洋平…政治家

河野太郎…政治家 三島由紀夫(平岡公威)…天才作家 

安倍洋子……(晋三の母2024年(令和6年)2月4日死去・享年95歳)

皇太后良子… 谷内正太郎(後任・北村滋)… 安倍晋太郎…晋三父親

安倍晋三の母親… 岸信介… 小泉純一郎… 石原慎太郎…

 他

*(官邸官僚・〝経産官邸〟安倍チーム・安倍の友達官僚)安倍一強を支えた

今井尚(たか)哉(や)    ……安倍首相の分身という最強スーパー官僚(元・経産省)

     安倍晋三の首相秘書官(当時)。「虎の威を借りる狐」元・参議員

和泉洋人……菅官房長官(当時)が絶大な信頼を置いた首相補佐官(当時)

杉田和博……元警察官僚。官房副長官(当時)

佐川宣(のぶ)寿(ひさ)……元財務相理財局長。森友疑惑で退官。

福田淳一……元財務相事務次官。セクハラで辞任。

高橋洋一……経済学者。ふるさと納税の「授け親」

須永珠代……ふるさと納税の女王

デービッド・アトキンソン……青い目のブレーン

長谷川榮一……安倍晋三の最側近・内閣広報官(当時)

新原浩朗……今井チルドレン

佐伯耕三……官邸の秘蔵っ子

島田和久……安倍の腹心(当時)(防衛省事務次官)安倍の秘書官を六年務める。

岸田氏の〝安倍派パージ〟で辞任。後任・鈴木敦夫防衛省装備長官

岸信夫防衛大臣……安倍の実弟(岸家の養子)岸田氏の〝安倍派パージ(粛清)〟で辞任

北村滋……第二代NSC(国家安全保障局)長官。安全保障の頂点に立った警察官僚

田中一穂……財務省主計局長(当時)。消費税増税延期を今井に進言。辞任

柳瀬唯夫は、元・総務審議官(加計問題で失脚)→NTTの役員へ天下り(NTTの安倍すり寄り)

谷脇康彦は、元・総務審議官(違法接待で失脚)→NTTの役員に天下り(NTTの安倍すり寄り)

安倍・甘利・麻生と菅(3AS)にとっての原発推進・再稼働は澤田(NTT会長)+甘利+柳瀬の悲願

山田真貴子……元総務省官僚。

谷査恵子……ノンキャリ官僚。安倍晋三の婦人・昭恵の秘書(当時)英語が堪能。

山口敬之(のりゆき)……安倍や菅と親しいジャーナリスト。伊藤詩織レイプ疑惑

佐野太……文部省事務次官(当時)。バカ息子を「裏口入学」疑惑で辞任

籠池夫妻(籠池泰典(本名・康博)・諄子(本名・真美)夫婦)……森友学園疑惑

加計考太郎……安倍の刎頚の友。愛媛の獣医学部学校で便宜と疑惑

黒川弘務……元・検察庁官僚。安倍の意向で検察トップ就任の際は芸能人までSNSで反対。

         不正疑惑でその後、逮捕。

赤木俊夫さん(安倍晋三氏により不利益を被ったのでチーム安倍ではないが)…

         近畿財務局の元・官僚。安倍氏の意向に逆らい自殺。

         いわゆる『赤木ファイル』を残す。

                          

岸田官邸(新・官邸官僚)〝四人組〟

嶋田隆……内閣総理大臣秘書官(安倍の暗殺で力をつけた)

栗生俊一……内閣官房副長官(安倍の暗殺で力をつけた)

森昌文……内閣総理大臣補佐官(元・警察庁)(和泉洋人と管とのパイプ)(VS北村滋)

秋葉剛男……国家安全保障局長(元・外務省)(安倍の暗殺で力をつけた)(VS北村滋)

*安倍暗殺で、中村格(いたる)(警察庁長官)+鬼塚友章(奈良県警本部長)の責任を問われる。辞任した。それで、森・秋葉の敵が消えた。

葛西敬之……安倍晋三などや今井など官僚を裏で操った最後のフィクサー(元・JR東海)



第一部 ドキュメンタリー部 安倍晋三の正体と暗殺と「モリ・カケ」問題

安倍内閣のほんとうの真実




 安倍晋三その真実

物語部「安倍晋三とその時代」自民党独裁! 暗殺事件! アベノミクスの行方





 日本中に激震! 安倍晋三元首相(67)銃撃で暗殺される!



日本中に衝撃が駆け巡った。あの安倍元首相が演説中に胸を撃たれ、心肺停止となり、搬送先の奈良県の病院で帰らぬ人となったのだ。享年六十七歳……

安倍氏には凶弾に倒れた後に、大勲位菊花大綬章が授与された。秋には国葬が行われた。

安倍晋三元首相は渦中の参議院選挙の応援演説のために当日奈良県入り。2022年7月8日午前11時半ごろ、奈良市の奈良・近鉄大和西大寺駅前で演説中に銃撃を受けた。

得意の〝野党批判〟の最中、背後から忍び寄った犯人(奈良県在住・山上徹也容疑者(被告))が手製の改造ショットガンで二発発砲した。

  NHKによれば、安倍氏は胸を散弾銃で撃たれ、血を流して倒れた。心肺停止になった。警察は奈良県の41歳の犯人・山上徹也容疑者(被告)を殺人未遂の疑いで逮捕し、現場で銃も押収した。山上は元・海上自衛隊員で、使用した銃は3Dプリンターなどでつくった手製の銃であった。暗殺事件の当初は〝散弾銃〟か? といわれたが手製銃だった。

 山上に政治的な思想はなく、「安倍に恨みがあった」という。背後から二発発砲!

 安倍氏は銃撃後、奈良県の病院にドクターヘリで搬送されたが、心臓などに銃弾を受けており、意識が戻らぬまま夕方頃、死去した。死因は失血死だった。犯人は無職で、〝無敵の人〟だった。安倍氏が嫌いな特定の宗教団体と近い、と勘違いをしての犯行であったともいう。その宗教団体が悪名高い、旧・統一教会であった。

 自民党が公表している日程によると、安倍元首相は同11時すぎから奈良市の近鉄大和西大寺駅北口の街頭演説会に参加した後、京都市、さいたま市で遊説する予定だったという。

 岸田文雄首相は参院選の山形県での街頭演説を取りやめ、東京都内に戻った。松野官房長官は「いかなる理由であれ、今回のような蛮行は許されない」と話した。

 安倍氏は2006年9月に自民党総裁に選出され、第一次安倍内閣を発足。持病の悪化で07年9月に辞任したが、体調の回復を受けて活動を再開。12年12月の衆院選で自民党が勝利すると、第2次安倍内閣を発足した。

 19年11月に通算在職日数が2887日となり、戦前の桂太郎氏を抜いて歴代最長となった。さらに20年8月は第2次政権発足からの連続日数も2799日と佐藤栄作氏を抜いて最長となった。さまざまな疑惑に見舞われた元首相であったが、まさかの暗殺事件で、わずかに六十七歳という若さで暗殺された。これで森友学園・加計学園・桜を見る会などの疑惑は闇から闇に葬さられるのか? まさにこの日、日本中に衝撃を与えた暗殺事件……

 まずはご冥福をお祈り申し上げます。日本国は法治国家であり、このような暴力テロでの言論弾圧は許されない。このような蛮行には怒りしかない。

 とにかく、亡くなられた安倍元首相の冥福を祈るしかない。

 共同通信によると、過去に政治家が襲撃された事件では、1992年3月に自民党の金丸信副総裁(当時)が栃木県足利市で選挙応援演説中に銃撃された。94年5月には東京都新宿区のホテルで右翼団体の男が細川護熙前首相(当時)に向けて発砲。2002年10月には石井紘基・民主党衆院議員が世田谷区の自宅前で右翼団体代表の男に刺されて死亡した。



〇『一気にわかる! 池上彰の世界情勢2023』(第三章 日本)池上彰著作(毎日新聞出版・参照・引用)


 衆議院の議論に参加(参議院議員の役割)

  国会には衆議院と参議院がありますね。衆議院は、「大衆の代表が議論する場所」のこと。それに対して参議院は「衆議院の議論に参加する人たちの場所」という意味です。

 衆議院議員選挙に立候補できるのは25歳から。それに対して参議院は30歳から。

 衆議院議員より〝大人〟な立場で議論に参加するわけです。

 国民の代表なら議院はひとつでいい、という意見もありますが。でも、国民の多様な意見を政治に反映させるには、異なる選挙の仕組みで選ばれた議員がいた方がいいという考えで二つあるのです。

 衆議院議員は任期が4年。途中で解散もある。参議院は任期が6年と長く、解散はありません。選挙では半分ずつ選びなおします。じっくりと話していたことを新たに選ばれたひとに伝えるためです。

 政党の中で、誰を当選させるか? 有名人のタレント候補で票数を稼ぐ……というのもこういう理由で横行したりします。島根県では一人、東京では六人……これが一票の格差につながっています。

 

 宗教法人とは何ですか?(法律上の人間・宗教弾圧を反省)

  宗教法人の「法人」とは、「法律の上で人間と同じに扱う」という意味です。たとえば私立学校は「学校法人」といいます。これは、学校の敷地や建物が個人の持ち物だった場合、その持ち主が亡くなったり、「学校経営をやめた」と言い出したりしたら、学校がなくなるかもしれません。それを防ぐ為に、学校を、まるで人間のように扱って、「学校が建物を管理する」という仕組みにしているのです。

 これなら経営者が亡くなっても、後継者がいれば学校は存続できます。宗教法人も同じなのです。

 第二次世界大戦やその前から、日本では「国家神道」を全国民が信じるように強制し、自由に宗教活動ができないようにしたという過去からの反省で「宗教法人」制度にしたのです。「国家神道」強要に反対したキリスト教徒や仏教徒は、次々に逮捕され、獄中で亡くなった人も出たのです。

 そこで戦後、「宗教法人を作りたい」と届け出れば、これを認めるようになったのです。但し、宗教ですから、「何を信じるか」がはっきりしていて、お祈りの場を持ち、信者がいることが条件です。

 宗教法人は信者から寄付を集めるのが一般的です。活動資金が必要ですからね。そこで、宗教活動で得た寄付やお布施などのお金については、税金を払わなくていいというルールになっています。

 旧・統一教会(旧・「世界基督教統一神霊協会」→「世界平和統一家庭連合」(政治団体・国際勝共連合))は、過去に高額な壺や絵や仏像を売りつけたり、多額のお布施を集めたり問題がありました。安倍氏を暗殺した山上徹也被告も「統一教会の被害者」であったとか。

 宗教団体の活動は自由に認めるべきですが、人をだましたり、多額な寄付を集めたり、オウムや統一教会のような活動は危険です。(「報告徴収・質問権」とは、宗教法人によって決められている国の権利です。「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」疑いのある宗教法人に対して、文部科学省が調査できるというもの。オウム事件を受けて1996年にできたのですが、これまで行使されたことがありません)

 

 円安ドル高(どういう仕組みか?)

  円安……ということは逆に言えばドル高ということ。円の価値がドルに対して下がった、ということです。それは為替レートという言葉がありますが、例えば、アメリカの商品で1ドルのものが昨日、1ドル130円だとして、今日が1ドル132円だとしたら?

 つまり、昨日は1ドルの商品が130円払えば買えたのに、今日は1ドルの商品が132円払わなければ買えない……円の価値が下がった(円安ドル高)ということなんです。

 逆に言えば昨日は1ドルの商品が130円だとして、今日が1ドル128円だとしたら?

 つまり、昨日は1ドルの商品が130円で買えたけど、今日は1ドルの商品が128円で買える……円の価値が上がった(円高ドル安)ということ。

 ですが、日本の国力が下がり、少子高齢化で日本が弱くなり、それで急激な円安ドル高になっている。世界の基軸通貨はアメリカドルですから。

 もはや日本は「世界に冠たる経済大国」ではない、という哀しい現実な訳ですね。

 沖縄の本土復帰から50年が経ちましたが、核抜き本土並み……という理想がまったく実現していない。在日米軍基地の問題……騒音やレイプ・殺人……問題は山積しています。


 G7サミット

  G7とは「Group of seven」の意味で、メンバーは(米国・日本・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ)。2023年のG7の議長国は日本で、被爆地広島でG7サミットが開催されます。岸田首相がホストです。岸田首相は核廃絶の気概が強く、核保有国の米国や英国・フランスの首脳をどう説得するのか?

 

  IPEFとは?

  インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Eco-nomic Framework)のことです。TPPを脱退したアメリカのバイデン大統領が提唱したものです。

 日本・米国のほか、オーストラリア、インド、韓国など14か国が加盟しています。(RCEPという経済の大きな枠組みも存在します)


 クアッド(QUAD)とは?

  クアッド(QUAD)とは「4つ」の意味です。日本、アメリカ、オーストラリア、インドの四か国による「日米豪印戦略対話」のことで、インド太平洋地域の安全保障と経済についての枠組みです。(中国に対抗するためにインドを取り込み、〝中国包囲網〟を形成するのが狙いです)

                                 おわり


 安倍晋三元首相銃撃と統一教会『旧統一教会と日本』



 安倍晋三元首相を銃撃事件で暗殺した山上徹也容疑者・被告は、ツイッターに「安倍政権の功績を認められないのは野党の致命的なゆがみ」と投稿して野党を冷笑するようないわゆる「ネトウヨ(ネット右翼)」であった。

 そんな人物が安倍を銃撃しなければならないほど旧統一教会への憎しみは深かった。

 あるひとによれば統一教会は家族を崩壊させる、という。献金強要で家族の絆をバラバラにし、崩壊に導く、それが統一教会という教団であるという。

 ネトウヨや言論人は、今回の安倍銃撃殺害事件を「アベガ―(サヨク・ネット用語で「安倍がー」と何でも安倍のせいにするひとたちのこと)」のせいだ、といっていたが認識が間違っていた。

 山上容疑者・被告は安倍氏が統一教会のシンパであると認識しており、その安倍氏を襲撃すれば統一教会への影響が高いと直感的に判断し、襲撃を実行した。

 そのもくろみは当たり、30年ぶりに統一教会の問題がクローズアップされ、合同結婚式の二世の問題まで報じられることになった。

 漫画家の小林よしのり氏の叔母も30年前に旧統一教会に騙されており、その叔母さんは家族や親せきから金を巻き上げ、極限まで献金し、壺や仏像などを借金してまで買いまくり、健康まで害して、一家離散という悲惨なことになったらしい。

 その小林氏によれば「旧統一教会はオウム真理と同じカルト集団であり、反社会的集団である。それが堂々と議員会館の中を闊歩し、議員の秘書として潜入し、国会議員と協力し合って選挙運動を行い、首相までもがカルト集団にビデオレターを送っていた。日本の政治家はカルトに汚染されている。特に自民党! 特に清和会!」

 安倍「韓鶴子総裁に敬意を表する」

 小林氏「政治家がオウム真理教の分派のアレフに応援のビデオレターを送ったら大問題になるだろう。政治家はカルト集団に市民権を与えてはならないのだ。しかも、統一教会においては、「朝鮮はキリストが降り立った神の国。日本は朝鮮を植民地にして財産を奪い、神の物を盗った悪魔の国」であり、その贖罪のために、日本人だけは朝鮮に無制限に献金しなければならないということになっている。日本人の「自虐史観」を利用した金儲けなのだ! 奇妙なものだ。自虐史観で献金させる統一教会を自民党が重宝し、安倍が広告塔になって献金を促していた。そんな安倍を、ネトウヨがマンセー(万歳)していた。

 これにはネトウヨの山上徹也も困惑しただろう。

山上「俺の評価する安倍元首相は統一教会のシンパであり、統一教会はおれの家族を崩壊させ、俺の人生を破壊した」――――これこそ致命的なゆがみではないか。

 死んだら誰でも仏様だから批判しないほうがいい、という意見は権威主義につながるからわしは無視する。三浦瑠璃は安倍シンパだから、山上徹也の思惑通りにマスコミが統一教会を報道するのに苛立っている。こういう輩がいるからマスコミが報道を鎮静化させ、また政治家とカルト集団が密着して日本人の家族や社会が崩壊させられていくのだ。

 権力者のおもわくを見てみぬふりをするのを「権威主義」という。安倍マンセーはまだかわいいほうだが、プーチン大統領や習近平国家主席、金正恩将軍を無条件に支持させられる国家を「権威主義国家」という。権威主義者にマンセーするのは絶対にダメだ。

 権威主義国に言論の自由はない。政権に反対する者は抹殺されるのみだ。

 安倍政権に、当時のネトウヨは大満足だったようだが、この長期政権は自由がなかった。

 安倍の言う戦後レジームとは、アジア諸国には侵略者として謝罪、アメリカには従順なポチ……それが戦後レジームであった。安倍政権支持者は、安倍晋三オール・ラブだっただけで、それはプーチン大統領オール・ラブとまったく変わらなかった。

 北方領土問題も「ウラジーミル・シンゾーの関係」などといい、北方領土四島返還が二島返還だけにされるところだった。

 日本の安倍晋三元首相には権力はあったが、権威はなかった。日本で権威を持っているのは天皇陛下だけである。安倍は生前退位にも愛子天皇にも反対していた。男系固執など無理とわかっていながら自民党と選挙の為に独裁政権で居座り続けた。首相退任後はキングメーカーとして存在感を発揮した。

 オウム真理教はロシアなどから武器を買い、サリン・プラントなどで武装して、武力で革命を起こそうとした。だが、統一教会は武力ではなく、正体を隠して日本人に接触し、マインドコントロールを駆使して、洗脳した人間を工作員として集金奴隷に改造し、さらに国家中枢を侵略し、権力奪取を目論んだのだ。

 オウム真理教は国内勢力だったから革命を目論んだが、統一教会は朝鮮系だから「ステルス侵略」だったのだ。旧統一教会は甘い罠で、権力者に近づき、ステルス侵略を狙った。

「旧統一教会はせいぜい六万人だからたいした勢力でもないし、数が少ないから政局に影響はない」と抜かす頭がお花畑の有識者もいる。だが、世の中には、ほんの数票で当落が決まる激戦選挙区もあるし、地方選挙ならもっと少ない投票数で当落が決まる選挙区だってある。しかも、恐ろしいのはマンパワーだ。

 正体を隠して、タダ働きで、普通の選挙ボランティアより精力的に働く工作員らは、それで政治家たちに恩を売る。ただ働きできるのは、それだけ日本人の家族や家庭や人生を壊してまでも強制的に収奪した莫大な献金があるからである。

 それで、恩を売った政治家が閣僚にでもなれば国家機関の中枢に「反日・反天皇カルト」の侵入になるのだ。

 選挙での恩義があるからと、政治家は旧統一教会の催し事に参加し、「まことの父母様」や「マザームーン」と称して、統一教会の活動のお墨付きを与える。地方議員も取り込まれているから、旧統一教会の政策が反映されることになる。〝夫婦別姓反対〟〝LGBT差別解消・同性婚反対〟〝「伝統的家族観」尊重〟〝皇統の男系固執〟

 ―――こうして自民党と統一教会の政策ができあがっていく。

 だが、どっちがどっちを洗脳したのかわからないほど、自民党(安倍政権)も統一教会の政策も似ている。

〝「伝統的家族観」尊重〟―――一見、大事なことのようだが、統一教会では離婚を認めない。何故なら、旦那や家族は〝金づる〟だからだ。日本人の家族や人生を破壊して、人間を洗脳して献金奴隷にしてすべてを滅茶苦茶にしておいて、何が「伝統的家族観」の尊重であるのか?

 また、社民党の福島瑞穂議員の「もし統一教会を応援しているということが問題とされたのであれば、まさに自民党が統一教会によって大きく影響を受けている、ということも日本の政治のなかで、これは問題になりうると思っているんですね」という発言に、評論家の東浩紀が「自民党が統一教会と関係があるから「テロを招いた」と言った」と反発。国際政治学者の三浦瑠璃が「ほぼそれに近い」と同調。ノンフィクションライターの石戸諭が「これは問題発言です」と同調していた。

 三人とも安倍シンパだが、ここまで狼狽するというのは、常軌を逸している。

「テロに屈するな」という幼稚な主張を繰り返していたが、本当に、山上徹也容疑者・被告の行動はテロであったのだろうか?

 テロリズムとは、ある政治目標を達成させるために、敵対する当事者や、さらに無関係な一般市民や建造物を攻撃し、それによって生じる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを強いる行為を言う。

 ところが、安倍晋三元首相殺害の山上徹也容疑者・被告は、最初から「政治的な意図はない」といっている。山上徹也容疑者・被告は、統一教会の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁を殺害しようとしたが出来ず、ターゲットを安倍晋三元首相に移したのだ。

 ところが東浩紀はこう主張するのだ。

「私たちは、テロには屈しないという主張を、繰り返し述べる必要がある」

 あれはテロだったのか? 少し考えればわかることである。

 山上徹也容疑者・被告は、テロではなく、統一教会問題を提起するために、安倍晋三元首相を殺害したのだ。政治的な意図はない。テロではない。

 すべては「反統一教会」の義憤が起こした犯罪であり、テロではなかった。

 統一教会は30年前からのマインドコントロールの洗脳も、献金奴隷も、一家崩壊も犯し続けてきた。それがあの銃撃暗殺事件で表面化した。

 あとはマスコミの仕事である。どんどんと旧統一教会の悪事を報道するしかない。

 それが出来なければ、統一教会の思う壺である。

 日本人なら許容できる宗教とカルトの区別くらいできるはずだ。わしは宗教を尋ねられたら「仏教」という。だが、宗派は関係ない。

 わしは釈迦の「色即是空、空即是色」を信仰している。

 自分の頭で考えろ。マインドコントロールされれば壺を買わされる。騙される。

 すべては自分の頭で考えれば済むこと。

 考えろ。それが答えだ。」

 「旧統一教会を巡る主な出来事(=文鮮明氏の発言・毎日新聞参照)」

 1945年  韓国で旧統一教会が設立される

  64年  教団が日本で宗教法人として認証される

  68年  日本で国際勝共連合が発足し、岸氏、笹川良一氏らが活動に賛同

  86年  中曾根康弘首相の下で衆参同時選

     安倍晋太郎氏が清和会会長に就任し安倍派に

  87年  霊感商法の対策弁護士連絡会が結成される

    中曽根氏が自民党総裁選で後継に竹下登を指名

 88年  「一昨年(86年)の選挙当時に日本のカネで60億円以上使った」

      「中曽根の野郎は今回、裏切った。竹下を推していなかったら、安倍が   

      首相になったはずだ」

 89年  「国会議員との関係強化だ。そこで原理を教育することなどで全てが可 

      能になる。安倍派を中心に議員数を増やしていかないといけない」

 91年   文氏が北朝鮮の金日成主席と会談

 92年   文氏が米国で実刑判決を受けたにもかかわらず特例で来日し、中曽

      根、金丸信氏と会談

      「私に会ってたくさん学んだと思う。中曽根も「金日成を説得できる」

      と感じたはずだ」

      タレントが合同結婚式への参加を表明し、社会問題になる

 98年  「日本がお金を貯金している。統一教会のメンバーたちのために」

      「先祖から受け継いだ貯金通帳を納めなければ先祖を救うことはできな

      い」

2001年  小泉内閣が発足し、安倍晋三が官房長官に再任

 02年  「平凡な天皇だ。文先生はどうなのか。日本の天皇より賢くないか」

 03年  「日本の官房長官が安倍晋太郎の息子だ」

 04年  「岸首相の時から私が日本の政界に手を出した」

 05年  「日韓トンネルに100億円以上の統一教会の財産を投入した」

 06年  安倍晋三が首相に就任

     「安倍が首相になったと聞いている。秘書室長の名前は何だ。あなたは

     もう一度会わなければいけない」

 12年  文氏が92歳で死去

 21年  教団の友好団体が開いた集会に安倍元首相がビデオメッセージを寄せる

 22年  7月8日、安倍元首相が山上徹也被告に銃撃され死亡

      11月6日、毎日新聞が発言録流出を報道



 これをもって、この項のおわりとしたい。正直、私自身は旧統一教会のことはわからない。というか関わりたくない。裁判とか訴訟とか嫌だし、わたしは「宗教は毒だ。麻薬だ」と思っているから、仏教徒だが、そんなに献金もしないし、毎日、祈ったりもしない。

 確かに、統一教会が問題視されているのはわかるが、だからとて対決するだけの実力も資金力もない。触らぬ神に祟りなし。私自身としてはそういうことだ。

   (参考文献『ウクライナ戦争論2』(旧統一教会の章)小林よしのり著作・扶桑社)

                               おわり




   『妖怪の孫の死』悪辣政治家・安倍晋三元首相の暗殺による影響



  もう安倍晋三元首相はこの世にいない。どこにもいない。

 だが、これほど親安倍派(+ネトウヨ)VS.反安倍派で、わかりやすく言うと右派と左派で、こんなに日本という国の分断を深めた政治家がいただろうか。

 よく安倍シンパは、「この日本の歴史の中で、戦後、これだけ日本国の為に働いて成果を出した政治家は安倍晋三元首相だけではないか! 少なくとも岸信介に匹敵する」という過剰な評価をする。だが、僕はそのような高評価には組しない。

 そんな素晴らしい政治家ではなかった。何の成果もなく、日本を悪くしただけの政治家。

 殺されるのは違うとは思うが、それだけ憎まれていた、ということ。

 アベノミクスだか改革や戦後レジームからの脱却……だの「やっている感」だけ。

 社会の分断をもたらして、日本の貧富の差を拡大させた元凶であり、頭の弱い、常に自分が一番じゃないと納得しない悪辣・復讐・独裁・おぼっちゃま。六人に一人が貧困という『分断社会の元凶』―――例えば、彼の祖父・岸信介(妖怪)は東大を首席で卒業して、『国民皆保険・国民年金・生活保護制度』という社会保障の基礎を生み出した。

 しかし、安倍晋三がやったことは生活保護の給付金の削減に、集団的自衛権の創設、など社会保障の削減だけ。自民党の〝生活保護バッシング〟は酷すぎた。

(世耕弘成「問題は生活保護の給付水準が高額であることだ」片山さつき「生活保護というのは日本の恥です」石原伸晃「ナマポ(生活保護の蔑称)」)

 官僚の人事権を握り(とくに菅義偉官房長官・当時)、そのことで官僚を意のままに操ることが出来た。逆らったのは財務局の赤木さんだけ……。だが、赤木さんは自殺(自死)に追いやられた。

 野党に転落した自民党はネット戦略(通称・T2)を打ち上げて、ネットでマスコミ対策をして、政権を取れば大手マスコミをも操った。(ツイッター(現・X)やブログなど「どうしたらマスコミが取り上げるか?」を研究し、戦略を練り、政治家に回答マニュアルまで配り対応させた)→そこで生まれたのが若者向けネット番組である。これでネトウヨも取り込んだ。

 スマホ無料ゲーム『あべぴょん』まで。アメリカの大統領が、例えばニューヨークタイムズの会長と会食することはあり得ない。だが、日本では大手マスコミのトップと安倍が会食をしたりして、自民党政権と大手マスコミの蜜月が続いた。

 自民政権に忖度して、政治報道が激減、得したのは組織票が盤石な自民党であった。

 しかも、総務大臣であった高市早苗氏(当時)はマスコミに「停波」の脅しをかけるほどである。(安倍自民の圧力で、時の政権に物申す、テレビ朝日の古館キャスター、TBSの岸井キャスター、NHKクローズアップ現代の国谷キャスターなどが交代させられた。)

 世界での報道の自由度は日本では過去最低まで落ち込んだ。(第一次安倍政権)51位(福田政権)37位(麻生政権)29位(鳩山政権)17位(菅政権)11位(野田政権)22位(第二次安倍政権・2013年~2016年)53位・57位・61位・72位――――

 安倍政権でトリクルダウンなどは起きず、日本の格差が拡大。日本はGDPは三位だが、一人当たりのGDP比は27位である。(日本の自民党への大口献金は、一位・自動車産業(17.3億円)二位・電気機器産業(12.8億円)*減税・一位・自動車産業(1兆5000億円)・二位・化学・8000億円・三位・電気機器・5500億円)

 太陽光パネル産業は、30年前は日本企業が世界一であったが、今では圏外。トヨタなどの自動車産業も世界の潮流であるEV(電気)自動車ではなく、ハイブリッドで行こうとし、世界から取り残されている。

 もう安倍さんはいないが、〝安倍一強〟といわれた時代は、とにかく選挙で勝ち続けた。

〝選挙に勝てば正義〟とばかりに。しかし、自民党の投票率が高かった訳ではない。

 2017年度の選挙では、自民党(1854万)に対し、野党((立憲民主党・1107万)+(希望の党・960万)=2023万。……野党の方が200万票も多かった)

 安倍の独裁を許したのは、野党の体たらくとマスコミとの機能不全―――あまりにも東日本大震災などの、当時の民主党の体たらくがあり、「もう民主党系はいらない」と国民に見捨てられたことが大きい。安倍に戦略などあろうはずもなく、わかりやすいキャッチフレーズとインフルエンサーの利用と満面の笑顔……つまりそれだけだった。

 虚偽答弁118回→首相は謝罪。そして、2020年8月20日辞任表明……皆大喜びした。それで、内閣支持率が36%から56.9%へ跳ね上がった。

 安倍晋三元首相は悪辣な政治家であった。

 憲法改正でも、九条の「必要最小限の武力行使」を、なんと「必要な武力行使」と書き換え、いくらでも際限なく武力行使ができるように書き換えようとした。

 自衛隊員のお母さんが「自衛隊の憲法違反状態を改正してくれる。安倍さん、ありがとうと年配のお母さんがわたしに泣いて感謝した」と大嘘。反論されると「嘘じゃない。嘘なんかつくわけがないじゃありませんか!」と逆ギレ。本当に悪辣な政治家であった。

 彼が死んだことで、『森友学園疑惑』『加計学園疑惑』『桜を見る会疑惑』も無罪。

 これは妖怪の孫の死、によって仕方がない?? 彼が日本を「戦争への道」へ突き進もうと画策したのも、仕方がない??

 我々は、妖怪の孫の死、によって救われたのか?? 天の恵みだったか??

 ひとの死を喜ぶことはあまりいいことではないが、日本国民は『妖怪の孫の死』によってすくわれた。独裁から解放され、国の危機は去った。だが、まだおわりではない。

 我々自身が、この国の方向性をみんなで考えて、よりよく動かし、日本国をよくしていかなければならない。政治家任せ、官僚任せではなく、我々が、やるのだ。

 まさに、時は、今、である。

      (参照・引用映像・映画『妖怪の孫』サンズより)  おわり





安倍晋三銃撃事件



事件現場(2022年7月8日午後6時頃撮影)

場所 日本の旗 日本 奈良県奈良市

近畿日本鉄道大和西大寺駅北(奈良市西大寺東町2丁目1-56地先)

座標

北緯34度41分38.62秒 東経135度47分01.98秒座標: 北緯34度41分38.62秒 東経135度47分01.98秒

標的 安倍晋三

日付 2022年(令和4年)7月8日

午前11時31分頃 (JST)

概要 選挙運動中に発生した在職期間中の国会議員への銃撃・殺害事件

原因 「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」と「標的」が強い関係性を持っていたと犯人が考えたため

攻撃手段 銃撃

攻撃側人数 1人

凶器 手製の拳銃

死亡者 1人(安倍晋三)

犯人 職業不詳の男

容疑 殺人

動機 「世界平和家庭連合」への恨み

対処 被疑者を現行犯逮捕

影響 記事内参照

管轄 奈良県警察(奈良西警察署)、奈良地方検察庁

安倍晋三銃撃事件(あべしんぞうじゅうげきじけん)は、2022年(令和4年)7月8日午前11時31分頃、奈良市内の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近にて、元内閣総理大臣で衆議院議員の安倍晋三が銃撃され、死亡した事件。

 概要

街頭演説の背景

安倍は、2022年6月22日公示・7月10日投開票の第26回参議院議員通常選挙に長野県選挙区で立候補した自由民主党公認・松山三四六の応援演説を行うため、7月8日に長野県内へ向かうことを調整していた。

ところが6日に松山の女性問題や金銭問題を週刊誌2誌が電子版で記事にしたことから、7月7日午後、応援演説は取り止めとなった。

同日夕方、自民党は安倍の予定を調整し直し、8日の遊説先を奈良、京都、埼玉の3府県に決定した。

奈良県選挙区で立候補した佐藤啓への応援演説について、自由民主党奈良県支部連合会は「推薦団体に知らせたのみで一般への周知はしていない」と会見したが、自民党は特設ウェブサイトにおいて党役員の演説会スケジュールを随時更新しており、安倍の8日の予定は公表されていた。

7月8日10時5分、安倍は羽田発の航空便で大阪国際空港(伊丹空港)に到着。

同日11時10分頃、近畿日本鉄道(近鉄)大和西大寺駅北口で佐藤啓の街頭演説が始まった。安倍は11時19分頃に現場に到着した。

安倍がこの年の参院選の応援で奈良県入りするのは2度目。6月28日に大和西大寺駅南口と、生駒駅前の2か所で演説を行っていた。

事件発生

佐藤啓の街頭演説会は大和西大寺駅北口から東に50メートルほど離れた、車道(奈良県道104号谷田奈良線)中央のガードレールで囲まれた安全地帯で行われた。

実行犯の男はその右斜め後ろの歩道に立っていた。演説台から男までの距離は約15メートルであった。

自民党県連は聴衆の整理のため、スタッフ15人を配置していた。

演説台のそばでは、警視庁のSP1人を含む4人の警察官が警備にあたっており、そのうち1人が後方を警戒していた。4人はいずれもガードレールの内側にいた。

11時29分頃、安倍は高さ約40センチメートルの台の上で、駅のロータリーを背に応援演説を開始。男はその直前に歩道と車道の切れ目あたりに移動した。演説開始から1分40秒過ぎ、安倍の真後ろにいた選挙スタッフの男性が右のほうに移動し、脇から安倍をカメラで撮影した。

 11時31分頃、男は左右を確認することなく、車道を横断し、車道のセンターラインを超えたあたりで立ち止まった。

後方担当の警官は、安倍の真後ろを台車を押して横切る男性の姿に気を取られ、目で追っていたために、斜め後ろから男が近づいてきたことに気付かなかった。

安倍が「彼(佐藤)はできない理由を考えるのではなく…」と言ったときであった。

男はたすきがけの黒いカバンから、筒状の銃身を粘着テープで巻いた手製の拳銃を取り出し、約7メートル先の安倍の方向に照準をあわせた。

安倍と男とを遮る人影はなかった。1発目。爆破音のような大きな音とともに白煙が上がるが、誰にも当たらず、安倍は左後方へ振り返った。

約5メートルの位置まで近づいた男は2発目を発射し、首の右前部と左上腕部に着弾した。

安倍はその場に倒れ込み、意識を失い、心肺停止状態になった。

警察当局の調べでは、男が車道に歩き出してから1回目の発射までの間隔は「9.1秒」とされた。1発目と2発目の間隔は「2.6秒」とされた。

 銃撃した男は奈良県警察に取り押さえられ、11時32分に殺人未遂の現行犯で逮捕された。

 「#実行犯」も参照

死亡確認

同日11時43分、救急車が安倍を収容。救急車はドクターヘリの着陸先の平城宮跡歴史公園に向かった。

この時点で消防は右首の銃創、左胸の皮下出血を確認した。

12時13分、ドクターヘリが離陸。12時20分、安倍は奈良県立医科大学附属病院へ心肺停止の状態で搬送された。

集中治療室で100 単位以上にわたる輸血などの治療を受けた。

 16時55分、妻・昭恵が東京都渋谷区富ヶ谷の私邸から病院に駆けつけた。

医師が輸血を大量に行うなど蘇生措置を実施したことおよび容態を告げ、最終的に「蘇生は難しい」と昭恵が判断。

17時3分に出血による死亡が確認された。67歳没。

 内閣総理大臣経験者の襲撃による死亡は、第二次世界大戦後では初めてで、戦前も含めれば1936年2月26日の二・二六事件での高橋是清、斎藤実以来7人目。

日本国憲法下において他殺された現職国会議員は、浅沼稲次郎、丹羽兵助、11代目山村新治郎、石井紘基に続いて5人目である。

またG7首脳経験者では、イタリアの元首相アルド・モーロが1978年に殺害されて以来となった。

 政府の対応

本事件を受け、政府は8日11時45分、首相官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置した。また、警察庁も警備局長をトップとする対策本部を設置した。

 12時50分頃、内閣官房長官の松野博一は首相官邸で記者団の取材に応じ、安倍の容体は不明とした上で、参院選に伴う各地での応援演説が予定されていた内閣総理大臣の岸田文雄が、緊急で官邸に戻ることを明らかにした。

また、「応援演説などで各地にいる閣僚については、直ちに東京に戻るよう指示を出した」と述べた。

 岸田は、正午頃に山形県寒河江市にある道の駅寒河江にて応援演説を行う予定であり、演説前に「ただいま安倍元総理が負傷されるという不確定ですが情報が入りました」とのアナウンスが入った後に岸田が約13分間の演説を行った。

演説後、自民党選挙対策委員長の遠藤利明が岸田へ「総裁、急用ができましたのですぐ解散いたします。ご了解いただきたいと思います。」と伝えた後、支援者と触れ合うことなく車に乗り込み、同県東根市の陸上自衛隊神町駐屯地へと向かった。

その後航空自衛隊松島基地、東京国際空港を経由し陸上自衛隊ヘリコプターで午後2時29分に首相官邸へと戻った。

首相官邸へ戻ると共に、G20会合のためインドネシアを訪問中だった外務大臣の林芳正を除く全閣僚に対して速やかに選挙応援を中止し帰京するよう改めて指示を出した。

14時46分、岸田は記者団の取材に応じ、犯行を「卑劣な蛮行」と非難した上で、「今(容体が)深刻な状況にあると聞いている。今現在、懸命の救急措置が行われている。まずは安倍元首相が何とか一命を取り留めていただくよう、心から祈りたい」と声を震わせながら語った。

 16時30分、緊急の関係閣僚会議が行われた。

国家公安委員長の二之湯智は会議後、記者団に対し「首相から閣僚らへの警護・警備を一層、強化し、選挙を公平に実施できるように要請があった」と述べた。

また、二之湯から、警察庁に警護および警備の強化を指示したことを明らかにした。

総務大臣の金子恭之は「このような蛮行があっても、しっかり選挙を行う体制を整える」と述べ、総務省の選挙担当部署に対策強化の指示を出す考えを示した。

 18時55分、岸田が記者会見し、「偉大な政治家をこうした形で失い、残念でならない」などと述べ、安倍の死去を伝えた。

 11日にはこれまでの功績を受ける形で、死去した8日付をもって、安倍を従一位に叙するとともに大勲位菊花大綬章及び大勲位菊花章頸飾を追贈することを持ち回り閣議に於いて決定した。戦後の首相経験者で最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾が授与されるのは中曽根康弘(2019年11月死去)以来4人目。

 遺体搬送・弔問

8日午後には、奈良医大附属病院に前内閣総理大臣の菅義偉が入った。

のちに菅は参院選の応援演説のため沖縄県に向かう予定であったが、事件の一報を受けて演説の予定がなくなったため、同病院に急行したと明かしている。

その後、同病院に内閣官房長官の松野が入った。

 安倍の遺体は司法解剖に付された後、妻の昭恵とともに翌9日5時55分、奈良医大附属病院を出発。

遺体を乗せた車の前後に5台の関係車両がつき、そのうち1台には元防衛大臣の稲田朋美の姿もあった。

同日13時35分、東京都内の私邸に無言の帰宅を果たした。

到着時には自民党政務調査会長の高市早苗と自民党総務会長の福田達夫、親交が深かったフジサンケイグループ会長の日枝久らが出迎え、その後、選挙応援の合間を縫う形で岸田のほか、元内閣総理大臣の森喜朗、小泉純一郎、衆議院議長の細田博之、参議院議長の山東昭子、元自民党幹事長の二階俊博、側近で経済産業大臣の萩生田光一、国土交通大臣の斉藤鉄夫(公明党所属)、東京都知事の小池百合子らが弔問に訪れた。

 10日は、自民党幹事長の茂木敏充や、元衆議院議員の亀井静香、楽天グループ会長兼社長の三木谷浩史らが安倍の私邸を弔問した。

また、駐日アメリカ大使のラーム・エマニュエルは家族や大使館関係者を連れて、弔問に訪れた。

 事件現場では、連日献花に訪れる参列者で長蛇の列を成した。また、11日から15日にかけて、自民党本部でも追悼の献花と記帳を受け付けることとなった。


通夜・葬儀

 11日、通夜が東京都港区の増上寺において関係者のみで執り行われた。喪主は妻の昭恵。

天皇・皇后が香典にあたる祭粢料、御供物の品と花1対を賜い、名代として侍従が焼香した。

また、岸田や前首相の菅、自民党副総裁の麻生太郎、駐日アメリカ大使のエマニュエル、アメリカ財務長官のジャネット・イエレン、日本銀行総裁の黒田東彦、立憲民主党代表の泉健太、国民民主党代表の玉木雄一郎、フジサンケイグループ代表の日枝、楽天グループ会長兼社長の三木谷、トヨタ自動車社長の豊田章男、セガサミーホールディングス会長の里見治ら、国会議員や各国大使、ゆかりのある経済人や文化人約2,500人が焼香に訪れた。

12日に葬儀・告別式が行われ、この日までに259の国、機関から約1,700件の弔意のメッセージが届けられた。葬儀では自民党副総裁で、安倍内閣では副総理兼財務大臣や外務大臣などを務めた元内閣総理大臣の麻生が「友人代表」として弔辞を述べた。

葬儀後に安倍の棺を載せた霊柩車が自民党本部、議員会館、首相官邸、国会議事堂を回り、岸田や自民党幹部をはじめとする国会議員、職員など関係者のほか、沿道で多数の一般市民が見送り、桐ヶ谷斎場に到着し荼毘に付された。

 後日、東京都内と出身地の山口県内でお別れの会が実施される予定であり、山口県知事の村岡嗣政が県や県議会、市長会などが主催する形で「県民葬」を実施する意向であることを明らかにしている。

 

国葬の決定

安倍が死去して以降、各国から弔問を希望する連絡が外務省へ相次いでおり、さらに自民党内や保守層を中心とした世論から国葬を求める声が高まったことから、政府は14日、2022年秋に安倍の国葬を行う方針を固め、当日の岸田の記者会見にて発表した。

岸田は記者会見に於いて安倍について「卓越したリーダーシップと実行力で首相の重責を担った」と説明した。

また、国葬を以て安倍を遇する理由として、東日本大震災からの復興、経済再生、日米関係を基軸とした外交の3点を挙げ、「大きな実績を様々な分野で残した」と述べた。

安倍は各国首脳ら国際社会から「極めて高い評価を受けている」とし、国葬を執り行うことにより「日本は暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」とした。

なお、一部の野党からは国葬に関して疑問や反発の声が上がっている。

内閣総理大臣経験者の国葬が行われるのは、1967年に死去した吉田茂以来となり、戦後2人目となる。


捜査・検証

実行犯

生い立ち

実行犯の男は1980年9月、奈良市に生まれた。事件当時は41歳で、同市の集合住宅に住んでいた。男には兄と妹がいた。

 未成年だったとき、父親が他界した。

男の伯父によると、男の父親は1984年に自殺したとされ、男が4歳の時であった。

同時期に男の兄が小児がんを患った。

男の伯父によると、こうしたことが起因し、その後、母親が世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合。旧統一教会。略称「家庭連合」)に入信した。

伯父によれば母親は弟を交通事故で亡くしており、1982年頃に母親の実母が亡くなったことにもショックを受けていたという。

入信時期は、男の伯父が男の母親から聞いた話として、1991年だとしている。

一方、世界平和統一家庭連合側の発表によれば、1998年頃に正会員となったとされる。

食い違いの理由として、家庭連合はスポーツニッポンの取材に対し、「入会の記録は、入会願書が受理されたタイミング。基本的には、ご紹介者を契機とした関係の構築や企画への参加というプロセスがあるため、入会以前に関わりがあった可能性はある」としている。

また、男の父親が自殺した1984年から2020年頃までは、伯父が男の家族の支援をしていた。

1998年10月に母親は奈良市内2か所にある宅地を母方の祖父から相続するが、それらの土地と男ら3人の子供と一緒に住んでいた住宅を1999年6月までに売却。統一教会に対し土地などの売却で得た資金や、夫(男の父親)の生命保険金5,000万円など合わせて約1億円を献金した。

男の伯父によると、男の母親は1991年の統一教会入会直後に2,000万円、その数日後に3,000万円の献金を行い、1994年ごろに1,000万円、1998年以降に4,000万円を献金したとされるが、家庭連合は母親の献金の金額や時期について「確認できていない」としている。

1999年3月、男は奈良県の県立高校を卒業。

2002年8月、1億円の献金が原因で母親は自己破産した。

その後、親族らの抗議を受け旧統一教会側は2005年から2014年にかけて5,000万円を返金したとしているが、親族によればその5,000万円も母親が再び献金したと説明した。

2002年8月、男は任期制自衛官として海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊。4か月後、呉基地に移り、護衛艦「まつゆき」で艦載兵器を取り扱う砲雷科に配属される。

江田島市の第1術科学校の総務課に移り、2005年に任期満了で退職した。

男の伯父によると、男は海上自衛隊に所属していた2005年に自殺未遂を起こしていた。

旧統一教会への献金によって生活が困窮した兄と妹に、自身の死亡保険金を渡すことが目的だったとしている。

その後は測量会社でアルバイトをしながら測量士補の資格を取得し、宅地建物取引士やファイナンシャルプランナーの資格も取った。

2009年には母親が1998年に親族から経営を引き継いだ建設会社が解散した。

男は事件までの10年ほどは職場を移りつつ、派遣社員としてフォークリフトを使った仕事に従事していた。

男の兄は事件の約7年前(2015年頃)に自殺した。

2020年10月には大阪府内の人材派遣会社に登録し、同月から京都府内の工場に派遣社員として勤務した。

 旧統一教会への恨み

男は事件後の取り調べで「母親が旧統一教会に入会し、多額のお金を振り込んだ影響で破産したことがそもそもの元凶」「家庭生活がめちゃくちゃになり、(同団体を)絶対成敗しないといけないと思った」と供述した。

母親は2009年頃に教会と距離を置き始め、活動を離脱していたが、2019年に教会員と再び連絡を取り始め、2022年初めごろからは月1回ほど教会のイベントに参加していた。

男は「最近も母親と電話で連絡を取っていた」と供述しており、母親の宗教活動再開を把握していたとみられる。

 2019年10月6日に統一教会創設者の文鮮明の妻で、総裁の韓鶴子(韓国在住)が常滑市の愛知県国際展示場で開催された集会にメインスピーカーとして参加するため、来日。

このとき男は火炎瓶をもって会場に向かうが、「教会のメンバーしか会場内に入れなかったので、行くだけで何もできなかった」という。

その後、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、韓が来日する機会は閉ざされ、男も韓国への渡航を諦めた。

男は「元凶は韓総裁かと思ったが、韓総裁を日本に連れてきた岸信介元首相の孫ということで、安倍元首相も一緒と思った」と供述。

また、「安倍氏が統一教会を日本で広めたと思っていた」と説明している。

 2021年9月12日、家庭連合系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで開いた集会「希望前進大会」に、安倍は「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」「UPFの平和ビジョンにおいても、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」とのビデオメッセージを送った。

集会の様子はインターネット上で視聴可能な状態におかれた。

男は「動画を見て、安倍氏と団体につながりがあると思い、絶対に殺さなければいけないと確信した」と供述している。

毎日新聞と朝日新聞は、男が動画を見た時期を「2022年3月~4月」「2022年春」と報じた。

 2021年11月から2022年2月頃にかけて、男は奈良県内でシャッター付きのガレージを借りた。乗用車が1台止められるほどの広さで、契約額は月額1万5千円だった。

男は「火薬を乾かすために借りた」と供述している。

2021年春から作り始めた銃が2022年春頃に完成する。

 2022年4月半ば頃、男は「体調が悪い」と言って職場(前述の派遣先の京都府内の工場)に来なくなり、5月15日に依願退職した。

6月22日に参院選が公示。6月28日、安倍は奈良県入りし、大和西大寺駅南口と、生駒駅前の2か所で演説を行った。

男は自民党のウェブサイトによって安倍の遊説スケジュールを把握していたが、「このときはやるつもりはなかった」という趣旨の供述をしている。

 殺害を決意

7月3日から自身のスマートフォンで、安倍の遊説日程を複数回閲覧。

安倍が、7月7日夜に岡山市で開かれる小野田紀美の個人演説会に弁士として参加することを知る。

このとき男は初めて安倍の殺害を実行に移すことを決意し、7月6日、JR奈良駅の券売機で岡山行き新幹線の片道切符を購入した。

前職の退職により、「金がなくなり、7月中には死ぬことになると思った」「その前に安倍氏を襲うと決めた」と供述している。

 事件前日にあたる7月7日未明、男は奈良市三条大路の家庭連合の建物に対して自作の銃の試し撃ちを行った。

のちに近所の住人が、午前3時半から4時頃までの間に大きな破裂音を聞いたと証言している。

同日、男は3発発射できる銃を持参して新幹線に乗った。JR岡山駅から会場の岡山市民会館に向かう途中、コンビニ店に入り、店内の郵便ポストにジャーナリストの米本和広(後述)宛ての手紙を投函した。

夜7時、小野田の個人演説会が開幕。

安倍は冒頭の10分間、応援演説を行った。

男は「手荷物検査などがあって近づけなかった」と供述している。

自民党はこの日の午後、8日の安倍の遊説先を長野から奈良に急遽変更した。

男は諦めかけていたが、自宅へ帰る途中、翌日に安倍が奈良に来るとの情報を自民党のウェブサイトで知った。

 

事件当日

7月8日10時前、男は自宅最寄りの近鉄新大宮駅で改札を通り、数分後に大和西大寺駅に到着。現場付近を下見した。11時31分頃、男はマスクに眼鏡、グレーの半袖シャツに長ズボン姿で犯行におよんだ。その後、11時32分に殺人未遂の現行犯で逮捕。奈良西警察署に移送され、取り調べが行われた。

 押収された銃は岡山に持参した銃とは別のものであった。長さ約40センチメートル、高さ約20センチメートルで、金属製の筒を2本束ね、木製の板やテープで固定されていた。それぞれの筒に、6個の弾丸が込められたカプセルが入っており、バッテリーを使って火薬に着火させ、一度の発射で1本の筒から6個の弾丸が飛び出る散弾のような仕組みになっていた。

本事件では計12個の弾丸が発射され、そのうち少なくとも2個が安倍に命中したとみられる。

 同日17時15分頃、男の自宅での家宅捜索が開始された。

自宅から複数の手製の銃や爆発物が発見され、近隣住民に避難が呼びかけられた。

また、押収されたパソコンには武器製造に関するウェブサイトの閲覧履歴が残っていた。

男は「硝酸アンモニウムや硫黄、木炭などを混ぜて黒色火薬を作ったほか、花火から火薬を取り出した」「火薬をつくる方法はネットで調べた」と供述している。

事件当時、男の銀行口座の残額は20万円ほどで、カードローンなどの借入金が数十万円あった。

 事件以後の動き

7月9日、家庭連合の米国事務所は声明を発表。暴力を非難するとともに「銃は我々の宗教的信念や慣行と相容れないものである」と述べた。翌10日、同団体の東京事務所の代表は、男の母親が信者であることを確認した。

 7月10日午前、容疑を殺人に切り替え、男は奈良地方検察庁へと送検された。

 7月11日14時、家庭連合会長の田中富広は会見し、男は在籍していないものの、男の母親は家庭連合の正会員であり、母親は月に1度程度は家庭連合の行事に参加していたことを明らかにした。

なお、安倍について、家庭連合は、「友好団体が主催する行事にメッセージが送られてきたことがあり、『世界平和運動』に関しては賛意を示してくれた」としつつ、「会員や顧問になったことはない」「選挙協力も安倍元首相についてはない」としている。

 家庭連合側は会見で「過去に献金トラブルもあったが、2009年からコンプライアンスを徹底した。

今は献金の強要はしていない」とも説明していたが、翌12日には家庭連合の被害救済などに取り組んでいる「全国霊感商法対策弁護士連絡会」も記者会見を開き、元信者への返金を命じる民事裁判の判決が近年も相次いでいるとして「(同連合による)献金の強要はないという説明はうそ」と述べた。

また、同連絡会はあわせて政治家に対して、同連合への支持を表明するような行為を慎むよう求める声明を公表した。

 7月17日、男が銃撃を示唆する手紙を松江市在住の米本和広に岡山市内から送っていたことが明らかとなった。

男はかつて、米本のブログに統一教会を批判する書き込みをしていたとされる。

男は手紙の中で、文鮮明を「世界中の金と女は本来全て自分のものだと疑わず、その現実化に手段も結果も問わない自称現人神」と評し、「私はそのような人間、それを現実に神と崇める集団、それが存在する社会、それらを『人類の恥』だと書きましたが、今もそれは変わりません」と記載した。

安倍については「苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではないのです」「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」という言葉が綴られていた。

 奈良県警が押収した手紙には、男のTwitterのアカウント名が記されていた。7月17日、朝日新聞と読売新聞は、男のTwitterのアカウントを特定したと報道し、投稿された文章を記事に掲載した。

Twitterの初投稿は、常滑市の愛知県国際展示場で開かれた「孝情文化祝福フェスティバル」(男が襲撃に失敗した集会とされる)から7日後の2019年10月13日。投稿されたツイートは計1,363件。旧統一教会への恨みが繰り返し語られるが、安倍については、殺害を示唆するような書き込みはなかった。

むしろ安倍政権を批判するツイートに対し「安倍政権の功を認識できないのは致命的な歪み。永久泡沫野党宣言みたいなもの」とリプライするなど、安倍政権を一定評価するものが多かった。

変化が訪れたのは2020年9月2日。政治学者の三浦瑠麗が同日、歴代最長政権を築いた安倍政権に関する論文を、産経新聞社のオピニオンサイト「iRONNA」に寄稿。

三浦の記事には、政治団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が2015年11月10日に日本武道館で開いた集会「今こそ憲法改正を! 1万人大会」の写真が掲載され、「安倍晋三首相はビデオメッセージを通じ『国民的コンセンサスを得るに至るまで(議論を)深めたい』と訴えた」とのキャプションが付された。

男は、三浦が記事のリンクをはった投稿をリツイートし、「内容に関係ないが、写真が統一教会の大会そのもの。どこまで入り込んでいるのか」と書いた。

 7月17日朝の時点で0件だったTwitterのフォロワーは、18日午後8時時点で約4万5千件に急増した。

それぞれの投稿に対し、多数のリツイートや「いいね」がなされ、拡散したが、7月19日未明から男のTwitterのアカウントが閲覧できなくなった。

ツイッター社は報道機関の取材に応じ、「憎悪や差別、新たな攻撃を引き起こしかねない投稿を禁じる」とする同社の規約に違反したと認める一方、「凍結にいたる詳細等についてはお答えできない」とコメントした。

 

司法解剖

7月9日、奈良県警により公表された安倍の司法解剖の結果によると、死因は失血死であり、左上腕部が狙撃され、左右の鎖骨下動脈を損傷したことが致命傷となった。

 

警備上の問題

問題点

本事件発生当日は奈良県警警備部の参事官をトップとするチームが警護にあたった。

弁士の演説は道路中央のガードレールで囲まれたエリアで行われた。演説台のそばに配置された警察官は、警視庁のSP1人を含む4人。いずれもガードレールの内側にいた。

下記の点が警備上の問題として挙げられている。

 安倍の背後は、事実上「がら空き」の状態になっていた。警視庁特殊部隊の元隊員は「背後を警備していないのはあり得ない」と指摘。

男が車道に進み出て、安倍の約7メートル後ろで立ち止まり、最初の発砲をするまでに「9.1秒」の時間があった。

その9.1秒の間、警察官らが男の動きに気づかなかったことが問題視された。TBSは「悲劇を防げた『空白の5秒間』」と報じた。

元警視総監の米村敏朗は「ほかの人とは明らかに異なる動きをしながら歩いて向かってくる時点で不審者と見込まれるため、警察官がすぐに制止する必要があった」と指摘した。

演説台のそばに配置された4人の警察官のうち、1人が後方を警戒していた。

後方担当の警官は、道路を通り過ぎる自転車などを注視していた。

そして、安倍の真後ろを台車を押して横切る男性の姿に気を取られ、目で追っていたために、斜め後ろから男が近づいてきたことに気付くことができなかった。

最初の発砲から2発目までの「2.6秒」の間に、身をていして安倍の被弾を防ぐ警察官の姿が確認できない。

外国の日本大使館での警護を担当した元警視庁の警察官は「警護の対象人物に覆いかぶさるか、タックルで寝転がして、標的を小さくする対処方法は要人警護の基本であるが、この基本が守られていない」「安倍元首相を寝転がしていれば、被弾したとしても、致命傷にはならなかったと思う」とコメントした。

警視庁のSP関係者は「警視庁は年に数回、公開訓練を行うが、基本中の基本である『大きな音がしたときに警護対象者に近づき、対象者の楯になるようガードする』訓練の模様は、動画でも公開されている」「都道府県警で要人警護を担当する警察官は、警視庁警護課で1年研修することになっており、基本を学んでいないとは考えにくい。なぜ今回のような事態になったのか理解できない」とコメントした。

中東や南西アジアで外交官らの警護を担当したアメリカ人の警備コンサルタントは銃撃の映像を見て「(2発目までの)反応が少し遅いように見える」とコメントした。

選挙の応援と警備の両立に関し、国際政治学者の舛添要一は「日本の警備は刃物に対する防御が中心。有権者との接触を考える選挙の応援と警備の両立は難しい」とコメントした。     Wikipediaより





  1 悪辣 安倍晋三と自民党政権四回の「お友達内閣」





安倍晋三氏が熱弁、小池百合子氏、橋下徹氏、岡田克也氏、石原慎太郎氏、小泉純一郎氏、小泉進次郎氏、菅義偉官房長官……

安倍晋三(首相(当時)官邸で)「まさに国難突破選挙だ! と」

小池百合子(マスコミに)「希望の党……安倍独裁をストップさせる、と。民進党の首相(当時)経験者などは確かに排除いたします」。小池百合子都知事・希望の党代表。

橋下(はしもと)徹(とおる)(マスコミに)「希望の党とかと連携は考えていない。維新が自民党の補完勢力?関係ないね。いわせておきますよ」。橋下徹・維新の会法律顧問。

岡田克也(マスコミに)「民進党は解党して、希望の党へ全員うつる、と。小池さんを信じます」。岡田克也・元・民進党党首。

石原慎太郎(マスコミに)「小池さんはひどい。築地から豊洲市場への移転でベンゼンやシアン化合物とか……って地下水を水道水にする訳じゃないんだから……」

小泉純一郎(マスコミに)「とにかく脱原発といえば勝てるんだよ。みんな原発きらいなんだから。郵政選挙と同じだよ」

小泉進次郎(マスコミに)「自民党は圧勝するという予想におごってはいけない」。小泉進次郎自民党青年部リーダー。

石破茂(マスコミに)「自民党も反省すべき」。石破茂氏。衆議院議員。

菅義偉官房長官(マスコミに)「とにかく粛々と選挙に挑む、と」

豊田真由子(首都道路・車内)「道が違う!……(後部座席から運転手を蹴りながら)……このハゲー! 違・う・だ・ろ!この馬鹿~!この豊田真由子さまにさからうのか」

豊田真由子・元・衆議院議員

稲田朋美(国会答弁で)「中東での自衛隊の日報……? ないんじゃないか。わかりません」稲田朋美・元・防衛相。

金田法相(当時・国会答弁で)「? 知りません。全部わからない。法律に関しては法相のぼくより官僚の方がくわしいので……説明させます。法律のことはまるでわからない」

自民党大勝利…安倍晋三大歓喜…自民党当選者圧勝……うなだれる小池百合子+若狭勝…躍進の立憲民主党……冷めた国民……安倍晋三「国難突破内閣」

自転車の転倒で障害者となる谷垣禎一氏。転倒……

そして、衝撃の安倍元首相の暗殺!



官邸官僚・〝経産官邸〟安倍チーム・安倍の友達官僚……安倍一強を支えた官邸の官僚たちを世間一般ではそう呼ぶ。とくに、今井尚(たか)哉(や)という官僚はその最たるものである。

まあ、眼鏡のえびす顔のおっさんだが、経団連会長まで務めた今井敬(たかし)の甥で、元通産次官の今井善(ぜん)衛(えい)の甥にもあたる。安倍首相の分身という最強スーパー官僚(元・経産省)でもあった。第一次安倍政権で経産省出向で、その後、病気で(潰瘍性大腸炎)辞任・下野した安倍氏を支え、登山などに誘い、安倍再選のための計画を立てた。アベノミクスなどの政策を生んだアイディアマンで、頭脳明晰のスーパー官僚だ。

 無論、安倍すり寄りは、自分が安倍の意を借りて権力を一手に担うためである。

 今井は東大法学部卒のためか頭が切れ、他人のアイデアをも〝自分の策〟として安倍に饒舌にプレゼンしたという。安倍のIQの三倍はIQがある。

 そんな今井の頭脳と自分への服従に気をよくした安倍は、笑顔で、

「さすが今井ちゃん、頭がいい。今井ちゃんの頭の中を見てみたいよ!」

 と言ったとされる。第二次安倍政権で、再任の条件が今井のブレーン就任で、それでOKをもらうと安倍は嬉々として誰彼となく笑顔で話したともいう。

 まあ、それで今井は安倍晋三の首相秘書官(当時)となった。

だが、「虎の威を借りる狐」でしかない。

また、官邸官僚の仲間は、さらに、和泉洋人である。菅官房長官(当時)が絶大な信頼を置いた首相補佐官(当時)でもある。元・国交省官僚。東京「東京ミッドタウン」大阪「大阪あべのハルカス」計画などで「国交省に和泉あり」と。安倍側近だった。

さらには、杉田和博である。元警察官僚で、官房副長官(当時)になった。(内調からJRへ天下り、さらに、官邸官僚に。安倍の守護神と呼ばれた)

佐川宣(のぶ)寿(ひさ)は、元財務相理財局長。森友疑惑で退官(首相夫婦に都合のいいように公文書改ざん)したが、逮捕もされず、退職金も満額貰い、天下った。

「恩義があるから政権を守る」……これは佐川氏ではないが、日韓慰安婦合意のマスコミ操作も今井氏の〝手腕〟であったという。(今井「拉致問題をおれに担当させてくれればいいのに。日本のGDPは五四○兆円だろ? そのうち十○兆円を北朝鮮に払えば、拉致問題は解決する」)

大飯(おおい)原発再稼働(+原発の海外輸出)も、今井氏の策。VS.橋下徹+嘉田(かだ)由紀子(当時)だった。

福田淳一は、元財務相事務次官で、セクハラで辞任した。

高橋洋一は経済学者。ふるさと納税の「授け親」であり、須永珠代は、ふるさと納税の女王のような立場(当時)である。

デービッド・アトキンソンというのは外国人で、青い目のブレーンだが。主に菅政権で、であり(当時)、安倍とはあまり関係ない。

長谷川榮一は、安倍晋三の最側近・内閣広報官(当時)であった。

新原浩朗は、今井チルドレンのひとりだった。

佐伯耕三も、そのひとりで、官邸の秘蔵っ子、とも呼ばれた。

島田和久は、安倍の腹心(当時)(防衛省事務次官)14年より、安倍の秘書官を六年務める。防衛費を五年でGDP比2%増額を目指した。岸田氏の〝安倍派パージ〟で辞任。後任・鈴木敦夫防衛省装備庁長官(横滑り)。

岸信夫防衛大臣は、安倍の実弟(岸家の養子)で、岸田氏の〝安倍派パージ(粛清)〟で辞任。

北村滋は、第二代NSC(国家安全保障局・初代は谷内正太郎)長官。安全保障の頂点に立った警察官僚である。

田中一穂は、財務省主計局長(当時)。消費税増税延期を今井に進言。辞任した。

柳瀬唯夫は、元・総務審議官(加計問題で失脚)→NTTの役員へ天下り(NTTの安倍すり寄り)

谷脇康彦は、元・総務審議官(違法接待で失脚)→NTTの役員に天下り(NTTの安倍すり寄り)

安倍・甘利・麻生と菅(3AS)にとっての原発推進・再稼働は澤田(NTT会長)+甘利+柳瀬の悲願

山田真貴子は、元総務省官僚。

谷査恵子は、ノンキャリの経産省官僚で、安倍晋三の婦人・昭恵の秘書(当時)であり、英語も堪能であり〝御守り役〟であり〝監視役〟だった。

山口敬之(のりゆき)は、安倍や菅と親しいジャーナリストで、伊藤詩織レイプ疑惑で裁判沙汰になったが、安倍政権に守られて不起訴処分である。

佐野太は、文部省事務次官(当時)で、バカ息子を「裏口入学」させた疑惑で辞任した。

籠池夫妻は、森友学園疑惑(国有地払い下げについて、ゴミの埋蔵がおよそ八億円の土地値引きの根拠。三・八メートルより深いところにゴミが埋まり、最深九・九メートルのところからも発見された設定。かりに撤去費用が一億円なら、文科省は七億円を籠池夫妻に提供したようなもの(当然、すべて税金))で説明しなくても有名だ。

加計考太郎は、安倍の刎頚の友で、愛媛の獣医学部学校新設で便宜と疑惑(「総理が自分の口から言えないから自分がかわって言う」加計学園の獣医学部新設問題では、新設の許可を渋る文部科学事務次官(当時)の前川喜平に対し、首相補佐官(当時)の和泉洋人がそう詰め寄った。文字どおり首相の代理人を自任しているような発言といえる。)がある。

黒川弘務は、元・検察庁官僚。安倍の意向で検察トップ就任画策の際は、芸能人までSNSで反対した。不正疑惑でその後、逮捕された。

赤木俊夫さん(安倍晋三氏により不利益を被ったのでチーム安倍ではないが)は、近畿財務局の元・官僚。安倍氏の意向に逆らい自死した。いわゆる『赤木ファイル』を残した。

 安倍政権が経産省の官僚たち(首魁は今井尚哉氏)の〝経産省内閣〟であったことは有名だが、その安倍を操って権力の頂点に君臨したのが今井だった。

 この〝今・三成〟のようだった今井某が、日本の頂点で暗躍したのである。

 森友・加計・桜を見る会……政権に不利になることは隠ぺいやもみ消し、それは権力だったのか忖度だったのか? 官邸官僚への忖度だったのか? 安倍晋三への忖度か?

 逆らうものは〝クビ〟。政治手法は変わらない。この人事権を握ったことで、官僚を意のままに操作するのも今井の策ではなかったか?(というより二十年前の橋本行革ですでにあった) 今の政権は安倍官邸政治の劣化版である。では、何故に、そういう権力構造がつくられたのか? それに迫ってみよう。




――――安倍晋三は子どもの頃から勉強が苦手であった。

安倍晋三(あべしんぞう)は、1954年9月21日東京生まれだが、生まれつき胃腸が弱く、下痢気味だ。

また勉強が苦手で、頭の回転が鈍く、運動も駄目。口も重く、饒舌に話せる訳でもない。

プライドだけは人一倍高いが、かといって得意分野があろう訳もなく、創造力があるでもない。そのくせ何か嫌なことをされると何十年も根に持って覚えており、必ず、〝復讐〟をする。頭があまりよくないので、その反動で、高学歴な学歴エリートの意見は素直にきく。が、するどい意見や建設的な意見があってもそれが低学歴からなら露骨に否定する。

最近では大臣をイエスマンでまとめ、高学歴でほぼ東大卒の学歴エリートの官僚をアドバイザー(相談役)につけ、言わないでも自分の政権に忖度する人間だけに政権を任せていた。祖父(岸信介)も大叔父(佐藤栄作)も、父親(安倍晋太郎)も、東大卒だ。が、 晋三氏は成蹊(せいけい)大学という、小学生から大学までのエスカレーター方式のきいたこともない三流大学卒である。

もちろん、その大学ならエスカレーター式だから、受験勉強、苦手な勉強で駄目にならないように、との親心での結果だった。晋三少年は愚鈍だった。

 自分の味方や友好関係の人々や一般人には気さくで思いやりのある優しい性格だが、自分の敵や逆らう人は〝排除〟したりした。概ね、他人には優しい態度のひとだが。

 だが、敵も多かった。だが、まさか暗殺されてしまうとは……。

 学生時代の安倍晋三は『バカ息子』―――

 成蹊大学の構内を高級外車アルファロメオで乗り回していた。

 学生時代と会社員時代を「要領のよさ」で乗りこなし、尊敬する祖父のように首相になった。勉強をしない、学ばない学生、人間だった。(自分は立法府の長だとか、憲法が権力を縛るのは絶対王政の時代の考え方(晋三発言)。女性が輝く。三年間抱っこし放題(晋三発言))。

 母・洋子には三流大学の無能力の〝バカ〟であったため、(東大首席で超エリートの父親に比べて、坊ちゃん大学の劣等生の息子には愛情を示さず)晋三は母親に嫌われていて、晋三は「母親を見返したい」と決心する。

 そのためには自分は首相になり、さらに祖父を追い越す手段として憲法改正を選び、アベノミクスを掲げた。敵には必ず復讐して、にやりとする。しかし、「何事もうまく見せることが大事。成功とか不成功は関係ない。やっているって事が大事」と自ら語ったという政策は、完璧とは言い難かった。(実効なき空疎なスローガンは確信犯だったこと、自民党のメディア利用のひどさ、を示した)

「おい、シンちゃんは物凄く勉強が苦手だぞ」

岸が言うと、娘婿の晋太郎が、「これはエスカレーター式に大学まで無試験で上がれる学校じゃないと……まずいですなあ。この政治家一家で〝大学浪人〟〝高卒〟だけはまずい」

「おれも弟もお前も東大卒なのに……誰に似たんだろう? 家系には〝勉強が苦手な人〟はいない筈なのに」岸信介も首をひねるしかない。

「寝ションべんタレで、時計の時刻の読み方も出来ない、ときたか……」

陰鬱に落ち込む筈である。

(安倍 晋三(1954年〈昭和29年〉9月21日 -2022年(令和4年)7月8日 )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、内閣総理大臣(第90・96・97・98代)、自由民主党総裁(第21・25代)。自由民主党幹事長(第38代)、内閣官房長官(第72代)等を歴任した)奈良市での応援演説中に背後から銃撃され暗殺された。享年六十七歳。

(元・内閣総理大臣、自由民主党総裁、衆議院議員、所属政党・自由民主党(細田派)

称号・政治学士(成蹊大学、1977年)配偶者*安倍昭恵*親族*安倍寛(祖父)、岸信介(祖父)、佐藤栄作(大叔父)、佐藤市郎(大叔父)、安倍晋太郎(父)、安倍洋子(母)、安倍寛信(兄)、岸信夫(弟))

話を戻す。

父親は紙に書いた名前をまだ寝ている母親に見せた。

「晋三?」

「わしからの贈り物の名前でもある。晋太郎からの晋、高杉晋作からの晋…そう、晋三、安倍晋三じゃ」

「……晋三? まあ、いい名前ですわ」

「そうであろう。そうであろう」

晋太郎は目を細めた。

赤ん坊は何故か夢見心地、の顔だ。

そんな晋三は少年になった。生まれつき腸が弱く、すぐに下痢や腹痛に悩まされた。

安倍晋三は東京の病院で産まれていて、故郷の山口県には墓参りでいくくらいだった。

だが、晋三の母親・洋子(岸信介の娘)は息子を山口県に転住させた。

病気治療のためである。

萩の海を眺めながら母親の洋子は五歳か六歳頃の晋三に言ってきかせた。

「いいかい、しんちゃん。この世の人はすべてそれぞれ世に生まれた理由があるのです。生まれてくるのに遅いも早いも関係ない。ひとはそれぞれやるべきことがあるから生まれてくる。それをみつけて実行するのがさだめというもの。それは百姓たちを守る政治家、商人も、百姓も関係ない。だが、現在は百姓を守るのは政治家。いいですか、あなたは誰よりも学問と教養で天下のために働く政治家になるのですよ。」

「はい」晋三は頷いた。

祖父・岸信介や父親・安倍晋太郎からのジバン(地盤・選挙区)もカバン(政治資金)も看板(有名な名前)もあった。だが、安倍晋三は体が弱く、すぐに病気になった。消化器系特に腸が弱く、頭もあまりよくないために成蹊大学という二流大学にしかはいれなかった。皆に馬鹿にされてすねて政治家ではなく神戸製鋼社員となった。

だが、父親の安倍晋太郎が死んだので嫌々政治家になった。

お世辞にも演説はうまくなかった。また馬鹿にされた。プライドの高い安倍晋三は復讐を誓った。「学歴エリートどもめ。この晋三が、安倍晋三がお前達をつかう立場になってやる。社会的成功! 恨みは偉くなって金を稼ぎ、晴らす! ぼくは岸信介の孫で、安倍晋太郎の子供だぞ! ぼくを馬鹿にする人間には必ず復讐してやる!」



晋三は山口県の豪商家の台所にあった鯛のおかしらなどを久保家に笑顔で贈るが、久保利通の母親・ウメに「お坊ちゃま………お気持ちはうれしいのですが…久保家は乞食ではありません」と優しく諌められ、晋三の心は傷つく。

晋三は落ち込んだままだった。

自宅に帰ると晋三は落ち込んだ。

「ぼくはひとの誇りを傷つけてしまいました…」母の洋子に苦難を吐露した。

「……そのひとは弱いひと?」

「いいえ」

「ならそのひとの誇りは傷つくことはない。そう考えるのはあなたのおごりです!」

うまいことをいうものである。

晋三は初めて号泣した。熱い涙を流し、

「日本に…生まれてきて…ようございました。ぼくは日本が大好きです」

彼ははじめて日本のことを思い、熱くなった。

海を眺める丘で夕焼け空で晋三は公威にいった。

「どんな男になりたいか?ですか?……そうですねえ。〝日本一の男〝ですかね」

「は? 日本一?」

「そう。日本一です。政治家にはなりたくないけど政治家なら内閣総理大臣。口下手なぼくが岸信介おじいちゃんみたいになれるかどうかはわからないけど。ぼくは日本一に」

のちの平岡公威こと三島由紀夫は晋三坊ちゃんのことを好いていたが、おれが日本一に…なれるのか…と苦悩もしたらしい。

この頃は、まだ三島由紀夫ではなく、平岡公威という名前である。

三島由紀夫のペンネームで名作を書き始めていた。

晋三を気に入った当時の首相(当時)岸信介は彼を政治家にするため岸の豪邸に呼んだ。

東京への帰参がかなった。病気療養の為に山口県の田舎にいたのだ。東京の豪邸にいくとき、ウメは「いいですか。お坊ちゃま、おとこの道は一本道ですよ。こうと決めたらまずは前進する。いいですね?」

「おう。わかった。ウメ。それにおじさんにおばさんも…お世話になりました」

「体に気を付けるのですよ」

「晋三、がつがつ食べるなよ。お前は内蔵が弱い」

「ぼくの子だ。どんなに偉くなっても名前や身分がかわってもぼくの子だ。ぼくの息子だ」晋太郎は号泣した。


安倍家の〝乳母〝として知られ、晋三氏の養育と教育を任せられていた久保ウメさんは、野上氏の取材に「パパ(晋太郞氏)が晋ちゃんを抱っこするのをほとんど見たことがない」と語っていた。また、古参秘書も「晋太郞さんが子供たちの授業参観に出たという記憶がない」と振り返っている。晋三氏自身も、「家族への愛情表現も極端に不器用だった」と語っている。

父・晋太郞氏と息子・晋三氏の距離感は一般家庭と違うものがあったが、それでも晋三少年は、どの子供もそうであるように、父を喜ばせようとしたことがある。ウメさんは野上氏の取材にこう語っている。

〈幼稚園くらいの頃、晋ちゃんがあめ玉をくわえながら、『ボク、パパのあとやるよ』って、政治家を継ぐって言い出した。三つ子の魂百までと言いますが、幼心に〝パパが一生懸命やっている。自分もいつかは〝と思ったんでしょう〉(『安倍晋三 沈黙の仮面』より)

 晋三氏が9歳だった1963年、晋太郞氏は3期目の選挙で落選する。再起を期して、〝パパ〝は選挙区をかけずり回っていた。そんな中、晋三少年はバス遠足に行った。歌合戦になってマイクが回ってくると、突然、こう言って同級生達を驚かせた。

〈ボク、安倍晋太郞の息子です。安倍晋太郎をよろしくお願いします〉(同前)──そう友人たちの前で父の応援演説をしたのだ。

 息子は、がんで1991年にこの世を去った〝パパ〟と同じ67歳で凶弾に斃れた。

             NEWSポストセブン記事文章引用


安倍晋三氏は1954年9月21日に、毎日新聞の記者であった安倍晋太郎と、その妻である洋子の次男として東京都で生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現、長門市)である。父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相(当時)、岸信介で、大叔父には後の首相(当時)、佐藤栄作がいる。政治家一族であり、安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している。幼い頃の夢は野球選手や、テレビを見て刑事になることに憧れていた。

勉強が駄目で、運動も苦手、いつも持病の胃腸病で下痢気味……こんな子どもはいじめられて当然である。だが、父親も祖父も地元の大政治家。いじめようにもバックにいる男達がそうさせない。だが、晋三氏は東京より地元の影響力がある山口県の田舎で育てられた。東京ならいじめられても文句を言うにも限界があるが、田舎なら地元の大政治家の威厳でどうにでもなる。母親の洋子は、息子の晋三を山口の親戚の家に預けた。

毎日、電話で晋三少年と話したという。そういう絆が母と息子には、あった。



明治二十二年(一八八九年)、東京市が再編されるのに伴って渋谷村が誕生する。

 現在ではお洒落なイメージの渋谷だが、百年前くらいは田園風景の江戸の片田舎であった訳だ。農牛が糞尿を垂れ流しながら草を食んでいた村であったのだ(笑)

 だが、この物語の主人公・岸信介が、山口県吉敷(よしき)郡山口町(現在山口市)八軒家で誕生したのはその七年後であるという。

 つまり、明治二十九年(一八九六年)十一月十三日であるのだ。

 岸信介は山口に生まれたが、すぐに田布施(たぶせ)という瀬戸内海寄りの寒村に移り、育ったともいう。

 日清戦争に勝利した翌年で、拙著『『花燃ゆ』とその時代 吉田松陰とその妹・文の生涯』の主人公であった文の晩年くらいに近代日本の体制が確立したくらいの時代である。

 幕末の長州藩の物語は大河ドラマ『花燃ゆ』と私の、拙著『『花燃ゆ』とその時代 吉田松陰のその妹・文の生涯』を是非読んでもらいたい。

 岸信介が産声をあげてからおよそ六十年が過ぎた頃、昭和三十年(一九五五年)十一月、民主党と自由党の統一が図られて、新たに自由民主党が誕生、岸が初代幹事長に就任するのだ。

 終戦からまだ十年(敗戦年は一九四五年(昭和二十年))しか経っていないが、ここでいわゆる五十五年体制の確立がなった。

 そのひと月前に左右社会党(万年最大野党「社会党」・自社さ連合で、90年代に村山富市社会党党首を首相(当時)として、政権をのちにとるがその後衰退する。なれの果てが現在の社民党である)大同団結が実現しているのだという。

 翌年昭和三十一年暮れに、岸信介は石橋(いしばし)湛山(たんざん)内閣の外相に就任、そのすぐ直後、石橋が病気で倒れ、三十二年一月末には首相(当時)の代理を務め、二月二十五日には第五十六代内閣総理大臣に就任するのである。

 岸信介が東京渋谷南平台に土地を取得し、豪邸を建てるのはそんな政局の数年前の昭和二十六年一月(戦後一年後)である。

 当時は焼野原だったのだろうか?よくわからない。

 工藤美代子さんの著書『絢爛たる悪運 岸信介伝』をもっと参照すれば、近所には往年の著名な外交官・内田定槌(さだつち)(ブラジル大使・トルコ大使等歴任)の瀟洒な西洋邸宅と、西郷吉之助(隆盛)の弟の西郷従(つぐ)道(みち)(元帥海軍大将・海軍大臣)の瀟洒な西洋館邸もあるという。

昭和三十五年六月初旬、家を建ててから九年後、岸信介はいつの間にか総理大臣に上り詰めていた。だが、後五か月もすれば六十四歳を超える信介は、自宅の茶の間で孫を膝にのせて遊び相手をしていた。二人の孫と鬼ごっこをする信介を、妻の良子(よしこ)と長女の洋子は半ばあきれ顔で見やったという。岸信介は米国との安保改正条約締結に、強い信念をもっていた。孫と遊ぶのはいつもの見慣れた光景だ。だが、遊ぶのは豪邸の屋敷内だけで、屋敷の外では団塊の世代の若者のデモ隊が怒声とシュプレヒコールに埋まっていたという。

「アンポ反対! アンポ反対! 岸を殺せ!」

「アンポ反対! ハガチー追い返せ!」

 まるで集団ヒステリーの脱原発デモのような六〇年安保闘争が最高潮の状態であった。

 茶の間の奥が台所で、割烹着で料理をつくりながら娘の洋子は、

「いつまでもおじいちゃまの邪魔をしちゃだめよ、しんちゃん」

 と笑っていう。長女の洋子は昭和三年六月生まれで、「しんちゃん」とは現在の安倍晋三氏である。

「暇つぶしだ。孫たちを連れてきてくれよ」

 ほぼ毎日のように洋子は父親の家にいったという。

 嫁ぎ先(安倍晋太郎氏)の家は世田谷区代沢にあって、自動車ならたいした距離ではないのだという。

 但し、デモ隊から見つからないように幼い子供ふたり連れで首尾よく入り込めるか、が勝負だという。

「のぶさん、裏道からならなんとかなるわ。洋子にいってくださいな」

 岸夫婦はお互いを「よし子さん」「のぶさん」と名前で呼び合っていたようだ。

 岸信介は十五歳までは佐藤家で育ち、佐藤家の次男だったが生家である岸本家の当主信政叔父の急死により岸家の養子となる。良子はその家のひとり娘で、従兄妹同士で結婚した訳である。

 昭和三十年(一九六〇年)、五月から六月にかけて社会党、日本共産党系のデモ隊が国会前や岸邸にデモを仕掛けていた。

「アンポ反対! ハガチー(アイゼンハワー米大統領の新聞係秘書)帰れ!」

 団塊の世代は旧ソ連のKGBに操られていた。本人たちは自分の意思で行動したと思うかも知れない。

 だが、実際は違った。

 アジテーション(扇動)担当のKGBスパイや工作員が当時の社会党、日本共産党を足掛かりに(欧米資本主義の資本主義を潰そうと)暗躍していた。悪質なのは扇動された者たちがいまだに操られていたとわからないことである。

 集団ヒステリーであり、自分の頭で考えないから、扇動されるのだ。が、団塊の彼ら彼女らは「自分の意思で安保闘争を闘った」といい張る。

 無知者程信じやすく、扇動される。無知者程流行に流される。現在の無邪気な「脱原発デモ」「反日デモ」「戦争法案反対デモ」と同じである。

 誰かの頭に乗って、ストレス発散にと、シュプレヒコールを叫んでいるだけ。

 岸の屋敷内には火のついた新聞紙や石つぶてが投げ込まれ、警察官たちが護衛しているが、多勢に武勢、岸邸は占拠されたという。

 家から出られない岸は、裏口の小道から娘と孫を向かい入れたのだ。当時五歳だった下の孫は、四十六年後の平成十八年(二〇〇六年)と、五十二年後の平成二十四年(二〇十二年)、二度も総理大臣に就任する安倍晋三氏(昭和二十九年(一九五四年)九月二十一日生まれ)である。

 ふたりの孫が表通りで響くシュプレヒコールに合わせて、「アンポ、ハンタイ!」と無邪気にはしゃぎながら座敷を駆け巡っていたというのはよく聞く逸話である。

 安倍氏はインタビューでいう。「逸話通りです。ウナギの寝床みたいな細長い屋敷の裏に小道がありまして、そこから祖父の家の裏口に入れたんです。

 祖父は和服でくつろいでいましたが、表は大騒ぎでね。鮮明に記憶は残っています。

 祖父の家の前のお宅には兄と同じ年の子がいましてね。三人でその家のお風呂場の窓からデモ隊に向かってバンバンと水鉄砲を撃った覚えがあります。もちろん遊び半分ですが」

(『絢爛たる悪運 岸信介伝』工藤美代子著作・十三~十四ページ)

安倍晋三の母親は現在八十代、だがボケてもいないし、寝たきりでもない。

 安倍晋三のママ、洋子さんとは? 元首相(当時)、岸信介の長女。安倍晋太郎の妻であり、安倍晋三の母親。22歳のとき毎日新聞政治部記者だった晋太郎氏と結婚。安倍新総裁の母、高齢でも息子に演説法指導昭和33年の安倍晋太郎の衆議院議員初当選以来、選挙や外遊などに内助の功をつくしている。父と息子を総理大臣とする女性は、洋子さんが初めて。政界では「ゴッドマザー」と呼ばれる存在。安倍晋三続投を決めた洋子の一言「お前は辞める必要なんかない!」。政治・演説にも助言しているとか。将来、息子が政権を担うころライバルになるのは小沢氏だと見て、国会近くの高級料亭に小沢を招いて、母子で丁寧に接待した。「演説するとき、話し方が早い。それでは高齢者には聞きとれない」。晋三氏への助言。「話すときあまり周りをきょろきょろ見回すな」晋三氏への助言(中央日報より)。「辞めるのなら、自分で衆議院を解散し、総選挙をやったあとにしなさい」

 2007年の参議院選挙での話。「安倍晋三氏、新しい首相(当時)確実視」というニュースが伝えられた時も、冷静だった。愛が深い…逸話、選挙区の山口に行っていた時でも、先天的に腸が悪かった晋三を気遣って、毎日電話をかけていた。晋三氏が9歳のときの話だそうだ。  

晋太郎氏の仏壇に向かって、「あなたにはなかった運をどうか晋三に授けてください」と必死に祈っていた。楽観的で闊達な性格から地方区での人気は晋太郎氏をしのいでいた。

 一方、安倍さんは…昔からマザコンで、母親にだけは頭が上がらない。

 何事も母親の洋子の指示を仰いでいたという報道もあるほど。真意のほどはわかっていない。

 週刊文春の「中心は安倍議員ではなく、安倍洋子である」の記事に対して、公式サイトで真っ向から否定している。(安倍晋三氏の母親の洋子さんの情報はインターネット上の検索情報である)

 岸信介の娘だけあってのぼーっとした眼のあたりと、ブルドックを連想させるたるんだ頬は娘にも孫にも遺伝している。

 子供達は「アンポ、ハンタイ!」と遊ぶので母親の洋子は叱ったが、岸信介は笑顔で遊びに付き合う。石つぶてや火炎瓶が投げ込まれるが、幸いに豪邸で道から屋敷まで五十メートルは距離があり、座敷まで届かない。

 叱った効果がでたのか、最後の頃は晋三少年らも「デモ助、帰れ!」等といっていたそうだ。

 本人は「私は向こうが強くなればなるほど、強くなれるんです」(「岸信介の回想」)と言って憚らない。

 岸信介は「デモに参加している人たちは、必ずしも自分の意思で参加しているわけではない。集団ヒステリーと共産主義者のアジテーション(扇動)なんだ」というのみである。

 (山口県人、長州人の血脈の中でも、とりわけ類いまれな強い血脈を形成していたのが岸信介のファミリーである。

 岸が生まれたのは今からおよそ百十五年ほど前のことだ。

 日清戦争の勝利が前年にあり、維新世代との交替が見え始めたその時代に話を戻さねばならない。

 人は岸を称して「妖怪(ようかい)」とも「巨魁(きょかい)」とも言う。

 さらには、ときに曖昧さも術数としたことから「両岸」とも言われ、「国粋主義者」とのレッテルも貼られた)

(『絢爛たる悪運 岸信介伝』工藤美代子著作二十~二十一ページ)

(以下文章記事大半を『絢爛たる悪運 岸信介伝』工藤美代子著作・幻冬舎出版から参照しています。盗作ではなく引用です) 


勉強は苦手だった安倍晋三氏だが、意外とファッションセンスがあり、口下手だが、不思議と実力者に好かれる。〝人脈〟は豊富だ。

(座右の銘・吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」。「初心忘るるべからず」。憲政記念館には至誠(真心)と揮毫している。

*愛読書・古川薫の『留魂録の世界』(留魂録は吉田松陰の著作である)。

*尊敬する人物やファンである人物・幕末期の思想家、吉田松陰を尊敬する。「晋三」の名は、松陰の松下村塾の門下生だった高杉晋作から付けられた。内閣官房副長官時代に仕えた小泉純一郎、森喜朗を尊敬する対象としている。石原慎太郎には「政治家にいないタイプ」「つねに挑戦的でかつイケメン」などの理由で嫉妬しており、学生時代には父にあうために来訪した石原に『太陽の季節』文庫本にサインを書いてもらった際にもっと新しいものを買えと全く媚びない言葉を掛けられて憧れを感じている。

*ファッション・寒がりである。クール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初は背広で通していたが、東京新聞の政治ネットモニター調査では、クールビズが似合う政治家第2位となった。2002年、清潔感を大切にしたファッションを心がけていることが評価され、政治経済部門でベストドレッサー賞を受賞。安倍は「いつも私の服をチェックしてくれる妻が受賞したようなもの」とコメントした。

*アーチェリー・大学時代にアーチェリーをしていた安倍は、2005年に全日本アーチェリー連盟の第6代会長に就任している(前任は同じく首相(当時)経験者の海部俊樹、父の安倍晋太郎も第4代会長である)。2007年3月25日、連盟から再び会長に推薦され、これを受託したため、14日の理事会で2期目を務めることとなった。首相(当時)であるため、職務は副会長が代行することになっている。2006年4月28日のフジテレビのバラエティ番組では、明石家さんまとアーチェリーで対決、その腕前をテレビで初めて披露した。

*ゴルフ・ゴルフも趣味の一つであり、アメリカ留学中も、現地で知り合った友人とプレーしていた。ドナルド・トランプ米大統領や加計孝太郎とゴルフをプレーする仲である。

*野球・少年時代、プロ野球・サンケイアトムズ(現:東京ヤクルトスワローズ)のファンだった。一方で、神戸製鋼所に勤務していたことから「あの会社は阪神ファンじゃなきゃ生きていけない」と冗談めかして語るように、2017年の第48回衆議院議員総選挙では公明党の赤羽一嘉氏の応援に神戸市北区の岡場駅前で行われた街頭演説にて「今日(10月14日)のクライマックスシリーズで阪神タイガースが勝ちました」と発言している。

また、アンチ巨人であることも公言しており、巨人出身の政治家であった堀内恒夫に食ってかかったこともある。

*食べ物・調理・かつては寝る前にビデオを見ながら、アイスクリームやせんべいを食べるのが好きだったが、妻の助言でやめた(2017年時点)。(コース料理よりも)自分で注文するアラカルトが好きと、2012年に語っている。得意料理はタバスコ入りの焼きそばと述べている。

*お笑い・お笑いが好きであり、特にタモリのファンでフジテレビ系「ボキャブラ天国」をよく見ていた。これもあり、自らと考えが一部異なる爆笑問題の番組に出演したり、桜を見る会で一緒に写真を撮ったりもしている。

*喫煙・

自らの喫煙歴について、「24、25歳ぐらいまでたばこを吸っていて、その後やめた」と打ち明けたうえで、「吸っている時には受動喫煙の立場に立たされる人が不愉快であるとは気づかないが、やめたとたんにそれがよく分かる」と述べた)

〝落ちこぼれ〟…………安倍晋三少年。

 勉強が出来ない晋三少年は、とうとう、1964年から二年間(小四・小五年生)東京で家庭教師がつくことになった。家庭教師は今の政治家で警察キャリア組の平沢勝栄氏だった。

 当時は東京大学の学生で、黒縁眼鏡の爪折り制服の青年である。

 その頃は、最初の東京オリンピック・パラリンピックの開催のことだ。

 確かに、安倍晋三少年は馬鹿だった。オリンピックの競技をテレビで観ていた。

 金持ちだけあって、すでに家にはカラー・テレビがあったという。

 平沢氏はのちに冗談めかしに、「『平沢が教えたからあんな馬鹿になったんだ』と言う人が多いが『(おれが教えたから)あの程度ですんでいる』んですよ」と苦笑する。

 勉強を教えても、理解に大分時間がかかる少年で、やはり、祖父や父親のようなIQ(知能指数)には遠く及ばない。

父親のつてで、作家で政治家の石原慎太郎と家であったときは『太陽の季節』の文庫本を差し出して、「サインしてください! 尊敬しています」とねだった。だが、石原は、「もっと新しい本を買え」と媚びる様子もない。なおさら憧れた。

 安倍晋三の青春時代のアイドルはアグネス・チャンである。

 のちに親交を深め、最近ではよく家族同士で食事にも行く仲であった。

 だが、まさか暗殺されるとは……僕自身は安倍氏をたいして評価してなかったが…。(あれだけ馬鹿にされ、ハブられたら、当然、安倍さんに悪感情を抱かざるを得ない)

地元山口県の下関で二○○○年に起こった安倍邸宅への火炎瓶の投擲事件だが。これは安倍晋三が地元の対立候補の妨害をやくざ組織に頼んで、報酬をケチったために、火炎瓶を投げつけられたのだという(一部のメディアの報道をもとに書いた)。(負けている将棋をぐちゃぐちゃにしてなかったことにする)(なんか逆ギレしてうやむやにする)

安倍氏の選挙区だった下関の衰退ぶりは酷い。シャッター街が増え、人口は激少していた。なのに人口に似合わない豪華な〝ハコもの〟だけがあり、それには自民党に献金していた大手企業が談合していた疑惑がある。五輪にしろマイナンバーにしろ、これを全国規模でやっているから、日本は衰退している。(下関の公共事業は古巣の神戸製鋼系企業にまかせ、地元中小企業はおとしていない。父の晋太郎は地元の朝鮮系住民に優しかったのに…)。岸一族と旧統一教会のズブズブのつながり、国会での嘘の数々、いかに「要領よく」「やったふり」「雰囲気だけ」な政策だったか、法の解釈を捻じ曲げても、官僚が法を破ってまでも、政権におもねいた。それが忖度。政治と行政のモラルの低下、そして戦争ができる国になろうとしているニッポンの本当の姿。(自民党は下野してからSNSを活用し、支持を広げてきた。野党が無能なのも自民圧勝の原因)

三流大学卒だからか、ものすごい〝学歴コンプレックスの塊〟。一流大卒のエリートなどを妄信し、高卒や〝叩き上げ〟を馬鹿にした。社会に認められている〝叩き上げ〟や〝ノンキャリ〟でも、本当は信用していなかったという。

高級官僚の〝高学歴〟の〝IQの高い外国語使い〟は尊重し、高卒の〝叩き上げ〟は社会に認められていないなら、「つまんない人物」としたという。

(官僚の人事やメディアをコントロールするのは安倍の〝家臣〟がやった。安倍晋三にそんな知恵もIQもない。*祖父の岸と孫の晋三の間は、H・W・ブッシュと息子のW・ブッシュのように似ている)


話は変わる。

 「『三人の息子のうち、長男の市郎はうちの跡継ぎ、次男の信介は男の子がいない岸家(茂(も)世(よ)の夫の実家)へ、養子に出さなければならない。それでは、栄作に佐藤家(本家)の跡を継がせよう』

  と考えたのでしょう。つまり、『この家をつぶしちゃならん』ということで、栄作が私にあてがわれたわけです。あるいは私が栄作にあてがわれた、といってもいいのですが」

                         (「佐藤寛子の「宰相夫人秘録」」)

 佐藤寛子から見れば松岡洋右(ようすけ)は、父・佐藤松介が結婚した相手の藤枝が松岡の実妹という関係から「伯父」であり、岸からすると父・佐藤秀助の弟・松介の妻が松岡の妹なので義理の「叔父」となる。

 「あてがわれた」などというと現代ではいささか穏当を欠くきらいがあるが、寛子が語る以上に佐藤家、岸家には相互に「あてがい婚」を繰り返してきた現実がある。

 何代かにわたって両家は近親婚によってその血族の純血性を維持してきたのだ。

 

 松介叔父が亡くなったため信介は岡山を去り、山口中学二年に編入した。

 明治四十四年五月である。

 山口では母の妹・さわの嫁ぎ先である吉田祥朔(しょうさく)の家に寄宿することになった。

 この吉田夫婦の長男・寛(明治三十五年生まれ)が昭和六年に結婚した相手が吉田茂の長女・桜子(明治四十三年生まれ)であった。

 信介、栄作の従兄弟が吉田茂の娘を妻にする、という新たな閨閥(けいばつ)が生じる。

 吉田寛もまた将来を嘱望された外交官の道を歩み始めていた。

 桜子は父と同じ外交官を結婚相手に選んだものの、七年後の昭和十三年には寛が病死するという不幸に見舞われる。

 その葬儀に妻・寛子とともに出席した佐藤栄作の風貌が亡き女婿にそっくりだった、ということから吉田茂は後年、栄作を特別にひいきするようになったといわれている。

 信介、栄作、吉田茂が民主党と自由党の保守合同を巡ってさまざまな葛藤に遭遇するが、それは四十年以上先のことである。

(「絢爛たる悪運 岸信介伝」工藤美代子著作 幻冬舎 四十二~四十三ページ)

 

 「貴族趣味の吉田先生に対し、(松岡の伯父は)野人派で性格も違いますが、たがいによきライバルだったのでしょう。

 吉田先生にお会いした二度目の記憶は、松岡洋右が戦犯で拘置中に病死した(昭和)二十一年六月です。

 伯父は結核が悪化し、亡くなる十日ほど前、アメリカ側の特別なはからいで巣鴨を出され、東大病院に入院していました。伯父の遺体が千駄ヶ谷の屋敷に帰った日、吉田先生は羽織、はかま、白たび姿でおみえになりました。小走りに遺体のそばに寄られ、白布をとられてしばらく涙ぐんでおられた姿が強く印象に残っています。」

                         (「佐藤寛子の「宰相夫人秘録」」)


 長州の松岡、土佐の血を引く吉田は肌合いこそ違っても、外交官の気骨だけは共通して強いものがあった。

 (中略)陸軍将官の中で山口県出身者が占める割合は圧倒的で、その数は三百人近くにのぼる。

 陸軍大将に限れば、総数百三十四人の大将のうち、十九人が山口県出身者である。

 とりわけ明治から大正までの草創期は顕著だった。

 すでに挙げた名前と多少重なるが、長州山口県出身の陸軍将官の名だたるところを列挙すれば、山県有朋(元帥・大将)、乃木希典(大将)、児玉源太郎(大将)、桂太郎(大将)、寺内正毅(元帥・大将)、田中義一(大将)=以上は総理経験者、寺内寿一(元帥・大将)、桜井省三(中将)、など枚挙にいとまがない。

 信介も尋常科までは例外ではなかった。

 「陸軍の長州、海軍の薩摩」といわれて久しい土地柄から陸軍志望だったのだが、海軍に興味を示したこともある。

(「絢爛たる悪運 岸信介伝」工藤美代子著作 幻冬舎 四十五ページ)


 まず孫の安倍晋三の記憶である。

「祖父から怒られた記憶はないけれど、祖母の良子は随分と厳しいひとでした。

 例えば祖父が僕らにお小遣いを渡そうとすると、どうも祖母は渡したくない。甘やかすな、という躾(しつけ)ですから。

『シンちゃん、おこずかいだよ』なんて祖父が言うと、祖母は絶対ダメですとね。

 祖母は昔風にきちんとした着物姿で、めったに笑わないんですよ。だから怖い。

 祖父が甘やかすと、そんなに甘くては子供のためにならないから、と言って怒っていましたから。

 だから、だっこされた記憶なんかも全くないな。しゃべりかたから身のこなしまで、非常にきちんとした人でした」

 昔気質で生一本の見本のような良子が心不全で亡くなったのは昭和五十五年(一九八〇年)六月、七十九歳だった。

 したがって、晋三が「アンポ、ハンターイ」と言って南平台の家の中を走り回っていた時分はまだ五十九歳である。

(『絢爛たる悪運 岸信介伝』工藤美代子著作 幻冬舎 四十九ページ)

 大正四年九月、岸信介十九歳、妻・良子十四歳で結婚する。


「私どもは数年起居をともにし許婚の間だったので、結婚式と言ってもいわば結婚披露ともいうべきものだった。

 親戚連中も数多く集まり、地下の連中も殆ど夜を徹して祝ってくれた。東京では只親しい友達を招いて披露かたがた小宴を設けただけであった。

 従って、私供の結婚式は一般に行われているような形式や花やかさは持たず、又その際感ぜられるような興奮や思い出は残されなかった」

                            (岸信介「わが青春」)

 結婚式を挙げることで信介と良子の仲が深まるようなことはなかった。

 すでに幼いころからそういうもんだという心境もあったのだろう。

 信介が大学に進んだ大正六年(一九一七年)には、代々木の小さな借家から市谷谷町(現市谷台町)の二軒長屋の一軒にふたりだけで住むようになったという。

 「良子と女中の三人暮らしだった。大正六年九月三十日から十月一日にかけての大暴風はこの家で遭遇した。当夜は雨漏りがひどく、家はゆらぎ、戸をとばされないように必死におさえていた」

                            (岸信介「私の履歴書」)



 岸が暴漢にナイフで刺されたのは昭和三十五年七月十四日である。

 藤山、池田、石井の総裁選挙は決選投票までいったが池田隼人が総裁に決まった。

 その興奮冷めやまぬ中、祝賀のレセプションで、岸が席につくと、岸にひとりの暴漢が走り寄り、左太(ふと)腿(もも)を背後から何か所もナイフで刺すという事件が発生し、現場の会場には大量の流血の跡が残ったほどだった。

 右翼結社に所属する荒巻退助と名乗る男は、その場で逮捕されたが、動機も不明のままだった。

 ここでも日頃から岸が指摘していた警備の甘さが露呈した訳だ。

 救急車で赤坂の前田外科病院へ搬送されたが、見舞客にも慌てず騒がず「ナニ、この程度で済んでよかったよ」と笑顔で答えた。

 当時六歳くらいだった安倍晋三氏は、祖父の病院に見舞いに行ったときのショックを次のようにいった。

「病院に入っていったらね、秘書官の中村長芳さんが祖父の履いていた靴をボクに見せるんですよ。靴の底に血がもう固まっていましたが大量にね、溜まっていてすごいショックだったのを覚えています」

 この六〇年安保では社会党の河上丈太郎が刺されたり、日比谷公会堂で社会党の浅沼委員長が刺殺されるなどした。

 (「絢爛たる悪運 岸信介伝」工藤美代子著作 幻冬舎 三百十七~四百三十九ページ)


 昭和五十年(一九七五年)五月には、すこぶる元気であった佐藤栄作が築地の料亭で財界人と懇談している最中に脳溢血で倒れるという事態が起きた。

 佐藤はそのまま昏睡状態が続き、六月三日死去。

 七十四歳で急逝した佐藤は日本武道館で国葬が執り行われ、葬儀委員長は前総理の田中角栄だった。現職総理が岸・佐藤と縁の薄い三木武夫だったことからの人選と思われる。

 弟を亡くして五年たった昭和五十五年(一九八〇年)六月十四日、今度は最愛の伴侶の妻の良子に心不全で先立たれた。

 この後「隠し子騒動」等あったが岸は「安保の城の妖怪」であり続けた。

 岸は盟友の病気見舞いが義理固いものだったという。

 かつて病床で「三木武夫だけは病気見舞いにきても追い返せ」といっていた岸だったが、九十歳になる岸は昭和六十一年(一九八六年)の夏に三木武夫の病室に会いに行っている。

 岸の娘婿の安倍晋太郎は岸信介の跡取り的な立場であったが、平成三年(一九九一年)、膵臓癌の為に享年六十七歳で死去する。孫の晋三は悲しむでもなく、祖父が死ぬまでの病室の待合室で、ゲームボーイだかゲームウォッチだかの携帯ゲームをしていたのだという。

 岸信介は晩年、ひとにあえば「安倍晋太郎をよろしく頼むよ」というのが口癖になっていたという。安倍晋三は父・晋太郎の地盤を受け継いだが、亡くなった三宅さん(政治評論家)によると「演説がやたらと下手であった」という。

 岸の最期の闘病は、苦しむでもなく、むしろ穏やかな最期であった。

 夜になると走馬灯のように昔の記憶が頭をよぎったことだろう。

 幼いころにおんぶした佐藤寛子が、

「義兄さん、弱気を出しちゃ駄目よ! 頑張るのよ!」と手を握って励ました。

 岸信介は寝たきりになる。

 その寛子も昭和六十二年四月、岸より四か月早く、くも膜下出血で急逝してしまう。

 寛子の急死などとても話すわけにもいかず、家族は病室のテレビを消していたという。

 昭和六十二年(一九八九年)八月五日、岸は肺炎を併発し、七日朝になって容体が急変する。

 岸信和夫妻、安倍晋太郎夫妻ら親族が駆けつけて見守る中、十五時四十一分心不全のため静かにみまかった。

「アンポ、ハンタイ!」と安保闘争の怒号のなか遊んだ孫の祝賀には出席できなかったが、そのかわり日取りの迷惑もかけなかった。

 九十歳と九か月の大往生の生涯で、あった。

(『絢爛たる悪運 岸信介伝』工藤美代子著作 幻冬舎 三百十八~四百七十五ページ)

      


佐藤栄作大叔父の首相(当時)時代に、ニクソンショックや米中国交樹立があり、その後、佐藤は政権を投げ出し急死……。岸も死んで、〝今太閤〟〝政界の風雲児〟田中角栄が首相(当時)になる。

だが、すぐに『金満政治』や『ロッキード事件』で角栄は失脚。それでも、〝闇将軍〟〝キングメーカー〟として院政を敷く。その頃、安倍晋三は高校生で、学校ではやはり勉強は出来ない。地理部に入り、試験も受けないで、エスカレーター式に、大学生になった。

その前に、アメリカに語学留学に行っている。金持ちだから〝学歴に少しでも箔がつけば〟……と両親が行かせた。その留学時代に、のちの〝盟友〟・加計(かけ)孝太郎(こうたろう)と出会っている。(*学生時代・成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科を卒業した。小学4年生から5年生にかけての、1964年から2年間は平沢勝栄が家庭教師についていた。高校でのクラブは地理研究部に所属。高校卒業後、成蹊大学に進み、佐藤竺教授のゼミに所属して行政学を学ぶ。

大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った。1978年1月から一年間、南カリフォルニア大学に留学しており、首相(当時)として訪米中に同大学を訪問している。ただし、在籍したものの、学士の資格は得ていない。

*会社員時代・

1979年4月に帰国し、神戸製鋼所に入社。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している)

 語学留学した割りには英会話が全然駄目である。

「英語は苦手です」安倍晋三氏は正直に本音を吐露している。

「おまん(君)が安倍先生の息子さんきにか」

「……どちらさまでしょうか?」

「おれは加計……加計孝太郎という。親父は裕福な医者じゃが、おんしのお守りをしろっちい、いわれたがじゃ。親父は晋太郎さんと親密じゃきぃ」

「そうですか。ボクは……安倍…安倍晋三です。よろしく」

「ああ、親父の頼みでは断れんきい。よろしゅうな。にしてもおんしの英語は下手クソじゃきにぃ。嗤うぜよ」

「英語は苦手なんです」

「おんしは…苦手は〝英語〟だけかえ? 違うじゃきにのう?」

「……失礼な。じゃきに、じゃきに、と〝坂本龍馬〟ですか?『日本の夜明けぜよ』?」

 安倍晋三氏の冗談に、ふたりは笑った。

「おまん、おかしれえ奴じゃきにのう」

この加計孝太郎こそがのちの〝盟友〟関係になる。生涯の友、刎頚の友である。

 無事に、大学も卒業した晋三は、親父のコネで神戸製鋼に就職する。しかし、当然ながら〝駄目社員〟である。「使えねえ、お坊ちゃん」陰口を叩かれるが、コネ入社なのでクビにはならない。この頃、〝変人〟小泉純一郎に出会っている。

 小泉純一郎は、「政治家に必要なのは魂とパフォーマンス。人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして……まさか!」

 ………変な人。のちに、この人物が自分の出世の後ろ盾になるとは思いも寄らない。

時代は米ソのデタント(軍備削減)やゴルバチョフのペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(刷新)……ベルリンの壁が崩壊し、ソ連崩壊、である。その頃には毎日新聞の記者だった父親の安倍晋太郎は政治家になり、外相として働いていた。その跡取りとして、晋三は秘書として抜擢された。

〝政治家の息子の馬鹿〟と呼ばれていたが、そんなのは何とも思わない。

 後で、復讐すればいい。自分にはそのきっかけがある。祖父も父親も政治家……金持ちなのだ。金の力で、なんとでもなる。




 祖父の岸信介や安倍の爺さんが死んで、毎日新聞の記者だった晋太郎は政治家になった。

時代は戦後・岩戸景気・高度経済成長以後の世界、である。

安倍晋三は山口県の田舎から東京に戻っていた。

「お前は今日から政治家安倍晋太郎の秘書…安倍晋三くんだよ」

「秘書……はい!」

「お前の教育係として京の近衛家からの侍女・幾島をつれてきた。よく励むように…!」

「それなのですがおとうさん…」

「何故にお前が政治家や秘書にか? か?」

「はい! 申し訳ありません。でも、何故ぼくかと?」

「そういう息子だからだ」

「………そういう?」

「まあ、わたしの勘だ。ぴんときたんだよ」

「…はあ」

「いいか晋三、これからは修羅の道。わたしの道具となってもらうぞ」

「は? 道具…にですか?」

「そう。お前はこの安倍家の政治家として国会議事堂にいくのだ」

「え? 国会に…ですか?」

「そうだ」晋太郎は頷いた。「それも日本の為。わたしはのう。日本をかえたい。次の首相(当時)の後見役に中曽根康弘を推したい。そのために安倍晋太郎の政務秘書官となって欲しい」

「……中曽根? はい!」

晋三は頭を深く下げた。神戸製鋼に勤めていたが辞めた。当時、父親の晋太郎に政務秘書官になるように要求されていたが、晋三は二週間辞職を拒否した。晋太郎は神戸製鋼の社長などに電話をかけつづけたが、本人が辞めないという限り、なんともし難い。そこで、上司が飯に誘って、「君は将来、政治家になりたいのか?」ときく。晋三は「はい」と答えた。「なら、将来、過去にこうしていれば……と。後悔しないように辞めるべきだ。世の中には〝必要な迷惑〟もある。君が抜けた分は他の社員がカバーする。さあ、親父さんに秘書になります! と、いってこい」晋三はその言葉に人目もはばからずポロポロ涙を流したという。やはり、政治家の息子である。

アメリカ留学でカタカナ英語くらいは少し話せたが、三流大学卒業の学歴にコンプレックスがあった。だから、部下や参謀は高学歴のエリートばかり選ぶ。

コンプレックスの裏返しであった。

高学歴でない、家柄も良くない人間の才能など安倍晋三にはつまらなく見えた。

だから立派な文章を見ても高学歴がないと「立派な文章でも印刷するだけなら誰にでも出来る」と鼻で笑った。高学歴でない人間は信用できない。狭量な性格だった。

自分に利用できるか関係ない一般人には気さくで優しいが、敵や無学には厳しかった。

この頃、平岡公威(のちの三島由紀夫)は死んでいた。

大作家・三島由紀夫・平岡公威となった彼は、自殺したのだ。

三島由紀夫の夢は日本の再軍備、自衛隊・日本軍の武力蜂起・天皇の国家元帥復活であった。それでのちに1970年に事件をおこしたのだった。




もはや戦後ではない。時の天皇は昭和天皇裕仁であった。

安倍晋三は成蹊大学という三流大学にしかはいれなかった。

だが、父親は有力政治家で祖父はあの岸信介である。

お金持ちの家に生まれて甘やかされて育った。病弱な子供時代に沢山に他人を恨み、妬み、蔑んだ。喧嘩は弱かったが鼻につく自尊心が傲慢につながった。

そんな晋三も社会にもまれると丸くなり、安倍晋太郎の死後に政治家に山口四区から出馬して落選すると「おやじごめん! おやじごめん!」と人目もはばからず号泣したという。その夜、晋三は乱れた背広姿のまま屋台で、深酒をして泥酔し、クダを巻いた。

「……ばーか野郎……おれは……〝馬鹿〟でも〝役立たず〟でもねえ」

グラスを落とし割る。ぐでんぐでん、だ。真っ赤な顔で、屋台に伏っぷす。

「いい加減にしてくれよ! ………商売の邪魔だよ、お兄ちゃん! 勘定はいいから帰れ」

屋台の親父は声を荒げる。ふらふらしながら、晋三は歩き出し、やがて、帰宅、玄関先でぶっつぶれた。

「……晋三! ………いい気なものね。深酒して〝現実逃避〟とは」母は呆れた。

「どうせ……ぼくは〝馬鹿〟で〝のろま〟な亀ですよ。ひっく、ひっく」

「テレビドラマか! 甘えるな、晋三!」母・洋子は息子の晋三の頬を平手打ちした。

「……」

「死んだお父さんに恥ずかしくないのか! 〝弱音〟を吐くな、馬鹿!」

母・洋子の両目から涙が溢れた。「……ごめん。おふくろ」晋三も熱い涙を流す。

「お前の人生はまだまだこれから! 甘えず、精進しなされ。お母さんがついているわ」

「……おふくろ」こうして、親子は和解する。

お菓子メーカーのご令嬢・昭(あき)恵(え)は何度目かのお見合いをしていた。

なかなかいい人物に出会わない。今度の相手は、ある財閥の金持ちの息子で、福本悪三郎という醜男だった。立派な黒の背広を着て、親の財閥の御曹司だが、薄い頭髪にゲジゲジの八文字眉毛、細い線のような離れた目、ダンゴっ鼻、松本清張のような分厚い下唇、低身長、キモい声………キモい醜男だった。

低学歴・低収入ではなく、親の力でそこは大丈夫だ。が、この男、性格も悪いし、男尊女卑の塊のような男だった。

「人間は一流大学を出ていなければ負け組で、人生おわっていますねえ。学歴は立派なフィルターです。それにしても、ぼくは外国の女性も知っていますが、自己主張が酷くていけません。男尊女卑! これです! 日本の女性は男より〝三歩後ろを歩く〟……これがいい。さすがは大和撫子。三歩後ろを歩くような女性は素晴らしい。そうは思いませんか?」

「違う! 違う! 違う、違う!」昭恵は着物姿で反発する。

身を乗り出して、悪三郎の胸ぐらを掴む。「人間の可能性は無限大だ! 一流大学を卒業しなくても、社会的に成功して金持ちになる人間はごまんといる! それに、他の女はどうかしらないけど……わたしは男の〝三歩後ろ〟を歩くつもりはない。いや、むしろ、一緒に歩く! 並んで歩く。わかったか!」

「………ははあ」これでこの見合いは破談となった。

 何度目かのお見合いで、昭恵は安倍晋三と出会う。

 昭恵は〝福本悪三郎〟の話をした。すると、晋三は、

「ぼくは三流大学卒だし、〝負け組〟なんですかねえ? ぼくは〝マザコン気味〟なので、女性に男の〝三歩後ろ〟を歩くより、一番前を歩いて、ぼくを案内して共に進むのがいいですね」と、柔らかく言う。これで縁談は決まった。

 昭恵も晋三も、お互いの相手を気に入り、結婚することになった。

「昭恵さん……どうかぼくと結婚してください」

「……はい。晋ちゃん」

挙式には岸信介らは間に合わなかった。すでに鬼籍にはいられた後であった。

初夜の日、洋子に「昭恵さん、くれぐれも晋ちゃんに好いていただけるように」

「わかってます」

昭恵は白い寝巻で向かった。

しかし、晋三は「ぼくは疲れた。もうやすめ」などという。

その後、人払いをした豪邸の寝室でふたりだけで話した。

「………」晋三は考えた。

 すると昭恵が旦那さまの胸に飛び込んだ。「…あ、昭恵!」

「どうかわたしを受け入れてください! 必ず丈夫な跡取りを産んでみせます」

「…昭恵」

「旦那さま…。いいえ、晋三様。晋ちゃん」

 こうしてふたりはひとつになった。


一時期、安倍晋三はうつけのふりをすることがあった。

「なればなおのことうつけのふりなど…」昭恵は食ってかかった。

「お前になにがわかる? 政治家は孤独だ。ぼくは政治家になどなりたくはなかった。ずっと昭恵とどこぞかの田舎で畑仕事でもしながら暮らしたい。だが、無理。わたしは安倍晋太郎の息子、岸信介の孫…次の政治家だから。先は短い。だが、だからこそ安倍家の家族を守りたい」

  話を少し戻す。



子宝に恵まれなかった。

 晋三が〝種なし〟なのか、昭恵が妊娠にあわない身体なのか? それはこの夫婦の個人の情報なのでわからない。子どもが欲しくて〝不妊検査〟などの〝妊活〟もしてみた。

結局、安倍晋三と昭恵夫人との間には子供が出来なかった。

養子を貰うのは考えなかった。そのかわりに愛犬を飼った。猫よりイヌが好きだった。

夜、豪邸で人払いをして寝室で昭恵と晋三は囲碁をした。

「ふしぎな人間だなあ」晋三は微笑んだ。

「何が?」

「何をするにもまっすぐだ。日本国中、言葉をろうしている人間ばかりなのに」

「…わたくしの勝ちです」

「昭恵…何故負けない?」

「では、旦那様はわたくしがわざと負けたらうれしいですか?」

「いいや」

ふたりは笑った。

  安倍晋太郎の生前の話に、話を戻す。

晋三の母親や岸家の滝山らが〝民間人〟〝カトリック教徒〟と訊いて頭に血が上った。

許せぬ! 昭恵と晋三を仕事以外ではあわせないようにと滝山らに命じた。

 安倍家の長男と妻の夫婦は安倍家を訪れた。母の洋子は、

「あのこ(晋三)は運をもっている。天下から授かった」などという。

ある日の早朝、豪邸の仏壇の部屋でいつものように昭恵や晋三や彼の母親である洋子や安倍晋太郎らが安倍家代々の仏に祈っていると、安倍晋太郎が眩暈を覚え倒れて気絶した。

「だ、旦那様!」

「どうなされました? あなた!」

妻の洋子は「すぐに病院へ! 医者を呼べ!」と命令する。

気絶した晋太郎はナースの手で寝かされた。

実は前から体の調子がよくなかった。だから、妻である洋子に「自分は老い先短い」と本音を吐露していたのだ。

医者にかかり、ふとんから起き出すと、晋太郎は、

「洋子と晋三や昭恵に、案ずるな」と伝えて欲しい、と女中の滝山に頼んだ。

だが、彼の妻の洋子と女中の滝山は策を練った。

昭恵に、安倍晋太郎は病である、としてあわせず……

更に民間人の昭恵を嫌った洋子らは「早朝に仏壇の間にくるな」とも伝えた。

昭恵さんには「ずっと晋太郎の体調が悪いから控えているように」という意味の指示があったのだという。

「ですが、今は義父上さまのご健康が大事! 何故に晋三婦人でもあるわたくしが義父上さまにこうもながくあえないのでしょうか?」

「旦那様は御病気故」

「ならばお見舞いを…」

「余計な配慮。晋三婦人としてどっしりしていればよい」

洋子らはふんと鼻を鳴らして消えた。

あえない日々。嫁として、婦人として、女として。……義父上様。まだ御病気はお悪いのでしょうか? その頃、安倍晋三まで病がちになっていた。

……何故、来ないのだ? 昭恵…わたしは…もうそなたのところへはいけないのだ…

晋三は病院で愛人の志賀子が寝間着姿でやってくると最後の力をふりしぼって駆けだした。

「旦那様!」

「し、晋ちゃん―!」

安倍晋三は昭恵の寝所に駆け付けた。荒い息のまま、

「久しぶりじゃのう、昭恵。お前が来ないのでぼくがきた。お前がいないと風景に色がないかのようだ。面白くもない」

「……旦那様。御身体は? 御病気はもうよいのですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」

晋三は無理に微笑んだ。

 

あくる日、昭恵と晋三は庭で話した。

「旦那様にとって安倍家とは?」

「安倍家は中心であり家族だ」

「…家族?」

「そうだ。ぼくは安倍家ではなく安倍という家族を守りたい。安倍家ではなくな」

「旦那様」

「頼んだぞ、昭恵」ふたりは抱擁した。

「君にひとつだけきいておきたい。ぼくの妻で後悔はないか?」

「ございません! 旦那様は日本一のお方。そのようなお方の妻となり誇りに思います」

「…皇室も…アメリカも…何もない…政治家も農家も身分もない自由な世界で…家族で暮らしたいものだ。自分の子供がいないのは残念だがね」

「…はい」

 次の早朝、安倍晋太郎は牡丹の花をとろうと鋏で切ろうとして眩暈で、倒れた。

安倍晋太郎の病気と晋三の謹慎がはじまった。父親にあえない日々が続いた。主治医にきくが「忙しい」と。では、と渡して欲しいものが、と。それは囲碁の碁石だった。

病床で苦しい晋太郎は、…何故あいにこないのだ? 洋子? 晋三? 昭恵? もう、わしからはいけない……いけない。涙を流した。

晋三も泣いていた。

話を戻す。





安倍晋三に文壇の大御所は「公威さん。三島由紀夫は、安倍晋三は必ず大物政治家になると言っていました」という。

「へえ」

晋三は数十年ぶりの再会で1970年(昭和45年)に自衛隊の武装蜂起を呈示して防衛庁の官邸で割腹自殺した三島由紀夫(平岡公威)の過去の発言をきき、ほっこりとした気分になった。

最初は田舎風や東京の現代風にこだわり、軋轢はあったが、やがて安倍晋三と昭恵は仲むずましい夫婦となった。

「わたしは子供が欲しいのです」

昭恵はおんな心を見せる。晋三は「子供を産む事だけがおんなのしあわせではないよ」

「しかし、子供がなければ安倍の家族は滅びます…」

「昭恵。ぼくは君を幸せにしたい。安倍家に嫁いだことを後悔させません」

「…晋ちゃん……旦那さん」ふたりは抱擁して泣いた。

それは熱い涙、であった。

 話を戻す。



 政治家になった安倍晋三氏は何も取り上げるものがない政治家人生を過ごした。

 九十年代はバブル崩壊や、阪神淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリンテロ、TK音楽ブーム、アムラー、浜崎あゆみ、ウィンドウズ95やたまごっち、酒鬼薔薇聖斗事件……。

 様様な事件や事故や現象が、安倍晋三の頭の上を渦を巻いて通り過ぎていった。

〝凡庸〟安倍晋三には〝出番〟がない。

 自分が認められない……と、〝髀(ひ)肉(にく)の嘆(たん)〟をかこっていた安倍を、盟友関係の加計孝太郎が励ました。

「なんきぃ、なんきぃ、情けなや。腐るもんやないきぃ! きっと、おまん(安倍さん)は社会に認められるがじゃ! 落ち込むなや」

「……だけど……」

「いかんちぃ! 弱気はいかんぜよ! まだまだ!」

「……まだまだ?」

「まだまだこれからじゃきにのう!」

 しかし、二十一世紀になり、9・11アメリカ同時多発テロあたりから安倍晋三にチャンスが舞い込むようになる。日本では〝変人〟と呼ばれた小泉純一郎を〝演説の天才〟田中真紀子が扇動し、〝凡人(小渕恵三)・軍人(梶山静六)・変人(小泉純一郎)〟のうちの小泉純一郎を猛プッシュする。

「わたしが自民党をぶっ壊します! この小泉が首相(当時)になって日本を変えます」

 小泉が選挙カーの上でマイクにいう。すると、真紀子(田中角栄の娘)が、

「どうか、自民党にいれなくてもいいんで、どうかこの小泉純一郎さんに力ヲおかしください! おらたちが古い、汚い、制度疲労をおこした自由民主党をぶっ壊し、〝日本の改革〟を成し遂げます! 〝改革なくして成長なし〟〝改革なくして成長なし〟……おらたちが日本を刷新いたします! 小泉とこの田中真紀子がやるんです。どうかお力をおかしください!」

 真紀子のプロパガンダと超絶演説、小泉のパフォーマンスで、〝小泉フィーバー〟が起こる。その大喝采の熱狂のおかげで〝変人〟と忌み嫌われた小泉純一郎は、首相(当時)になる。

 安倍晋三は〝勝ち馬〟に乗った。

 小泉政権の官房副長官として、若手から大抜擢を受けたのだ。

「君が安倍晋三くんか。頼むよ」

「はっ、小泉総理!」

 熱狂と狂気の最中、小泉純一郎総理大臣は、〝拉致問題〟を解決すべく、北朝鮮にいった。当時の金正日総書記と握手をかわすが、〝拉致問題〟は解決しなかった。

 北朝鮮はオマケの如く、五人の拉致被害者だけを日本に帰国させる。

 だが、一度、その五人を北朝鮮に帰して……という条件にはおばさんの中山恭子氏(内閣参与・当時)とともに安倍晋三は反対した。

「冗談ではありません! 拉致被害者五人を北に帰したら……〝拉致問題〟をもうやむやにされかねません。わたしは断固反対です」語尾を強めて主張した。

「う~ん、そうかい?」小泉は例のダミ声でいう。

「そうです! 北朝鮮には断固とした強烈な〝経済制裁〟しかありません」

 この北朝鮮への強気の姿勢で、安倍晋三の名前や存在が有名になる。

〝捲土重来(けんどちょうらい)〟………狙っていた訳ではないが、そういうことだった。

(政界入り

*秘書時代・

神戸製鋼所に3年間勤務した後、1982年から外務大臣に就任していた父・晋太郎の秘書官を務める。1987年6月9日、森永製菓社長の松崎昭雄の長女で電通社員の昭恵と新高輪プリンスホテルで結婚式を挙げた。媒酌人は福田赳夫夫妻が務めた。

1987年、参議院議員・江島淳の死去に伴う補欠選挙に立候補する意思を示したが、宇部市長・二木秀夫が出馬を表明したことから晋太郎に断念するよう説得され立候補を見送った。

衆議院議員

1991年、父・晋太郎が急死。1993年に父の地盤を受け継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選(当選同期に浜田靖一・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・塩崎恭久・野田聖子・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)。当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属する(当時の会長は三塚博)。

1994年、羽田内閣施政下、社会党の連立離脱を期に野党自民党が社会党との連立政権樹立を目指して作った超党派グループ「リベラル政権を創る会」に参加。首班指名選挙では 村山富市に投票し自社さ連立政権・村山内閣樹立に貢献。

1995年の自民党総裁選では小泉純一郎の推薦人の一人になった。1999年、衆議院厚生委員会理事に就任。

内閣官房副長官

派閥領袖の森喜朗首相(当時)が組閣した2000年の第2次森内閣で、小泉純一郎の推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任。第1次小泉内閣でも再任した。

2002年、水野賢一が外務大臣政務官在任中に台湾訪問を拒否され同辞任した際も理解を示し擁護、小泉首相(当時)の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相(当時)と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と毅然とした対応で臨んだ。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。

内閣官房参与の中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁を主張し、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも中山と共に頑強に反対した。西岡力は、対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得たと述べている。

(《岩田明子氏が初めて聞いたエピソード》安倍晋三が凶弾に倒れた際、妻・昭恵の脳裏に真っ先に浮かんだ言葉とは

岩田 明子 - 4 時間前

ジャーナリスト・岩田明子氏による人気連載「安倍晋三秘録 第6回 金正日・正恩との対決」(「文藝春秋」2023年3月号)の一部を転載します。

◆◆◆

「覚悟しておいてほしい」

 今から約20年前の2002年9月17日。日が昇り切らず、薄暗さが残る朝5時だというのに、富ヶ谷の安倍晋三邸の前には大勢の記者が詰めかけていた。私もそのうちの一人だった。NHKの政治部記者として安倍番になって、2か月しか経っていない頃だ。

岩田明子氏

© 文春オンライン

 この日、小泉純一郎総理が北朝鮮を訪問し、最高指導者である金正日との首脳会談に臨む、「電撃訪朝」が予定されていた。官房副長官として同行する安倍の出発を、記者たちは今か今かと待ち受けていたのだ。

 しばらくして、玄関口に現れた安倍は記者たちを一瞥すると、送迎車に乗り込んだ。その時の凍てつくような厳しい表情は今も忘れない。

「北朝鮮で殺されるかもしれない。政治家の妻として、覚悟しておいてほしい」

 実はこの日の出発前に、安倍は妻の昭恵にそう打ち明けている。今回の取材で、初めて耳にしたエピソードだ。過去20年取材した中でも、これほど重い言葉を聞いたことはなかった。

 それまでにも北朝鮮は、外国人の拉致だけでなく、115人もの死者を出した大韓航空機爆破事件など、指導者の命令によって数々の凶悪犯罪に手を染めてきた。そうした国家と対峙するにあたって、安倍は命を懸ける覚悟だったのだろう。昨年7月に安倍が凶弾に倒れた際、昭恵の脳裏に真っ先に浮かんだのが、この「殺されるかもしれない」という言葉だという。

「もう一度総理になってください」

 2020年8月28日、安倍が第二次政権の退陣を表明。その際の会見では「拉致問題をこの手で解決できなかったことは、痛恨の極みであります。ロシアとの平和条約、また、憲法改正、志半ばで職を去ることは、断腸の思いであります」と語っている。拉致問題は、安倍が悲願に掲げた憲法改正や平和安全法制の整備、日露交渉と並んで、政治家としての最重要課題だった。

 拉致被害者の家族も安倍に多大なる期待を託していた。1983年に留学中のロンドンで拉致された有本恵子さんの父親は、退陣表明後に安倍の事務所を訪ねている。

「日本のために是非、もう一度総理になってください……」

 有本さんの父は、隣室にも届くほどの声で懇願したという。忸怩たる思いだった安倍は言葉に詰まりながら「天が必要としたときには、また頑張りますから」と言う他なかった。

 拉致問題がマスコミに取り上げられる前から、安倍は熱心に取り組んできた。父晋太郎の秘書時代に有本さんの両親が安倍事務所を訪ね、「娘を取り戻してほしい」と依頼したことがきっかけだ。だが、事務所として警察庁や外務省を紹介するなどの対応を取ったが、進展は見られなかった。この時の無念さが安倍の胸には燻り続けた。以来、安倍は北朝鮮に毅然たる姿勢を取り続ける。一方で安倍が政治家として注目を浴びたきっかけも拉致問題だった。

 大きな進展を見せたのは冒頭に触れた第一回の小泉訪朝だ。当時、外務省の田中均アジア大洋州局長が「ミスターX」と極秘裏の交渉を重ね、その末に訪朝を実現。内情を知るのは、官邸では小泉、福田康夫官房長官、古川貞二郎官房副長官などごく少数に限られ、安倍は小泉が記者発表をする8月31日直前まで知らされていなかった。おそらく拉致被害者家族会と距離が近かったため、情報が洩れることを懸念したのかもしれない。

 それでも安倍の強硬姿勢は一貫していた。平壌の百花園招待所で開かれた日朝首脳会談。金正日が拉致を認めようとしないのに対して、交渉の限界を感じた安倍が、昼休みに控室で「拉致を認めない限りは、日朝共同宣言に署名すべきではない」と小泉らに訴えたのは有名な話だ。北朝鮮側に盗聴されていることも承知の上だったという。また、同年10月15日に蓮池さん夫妻や地村さん夫妻、曽我ひとみさんが帰国。田中均などは5人を再び北朝鮮に帰すべきとの主張をしていたが、ここでも安倍は断固反対の姿勢を崩さなかった。

 この頃、安倍は事情を聞くために、帰国間もない5人が住む新潟、福井に度々足を運んでいる。私も何度も同行した。北朝鮮に家族を残してきた蓮池さんらは「北に帰りたい」と表向きは口にするが、安倍は本心ではないと見抜いていた。そのため、あくまでも日本政府の意志として帰国させない方針を決定したのだ。北朝鮮での悲惨な暮らしぶりをすべて聞き取ったうえでの判断だった。後に蓮池薫さんは安倍にこんな趣旨のことを語っている。

「日本に帰国が決まった際に北朝鮮の幹部から『北朝鮮に戻りたいのか? それとも日本に永住したいのか?』と聞かれました。しかし、その幹部は『空調の音がうるさい。止めろ』と指示したんです。すぐに自分が盗聴されていると感じました。日本に帰国後も、北朝鮮の工作員と思しき特徴ある人物が、突然、私の前に姿を現すんです。それは“監視している”というサイン。自由に喋ることなんてできません」

滋さんは気持ちを押し殺して

 第一回日朝首脳会談の際に、北朝鮮側から拉致被害者は「八人死亡、五人生存」との報告があり、横田めぐみさんも死亡者に含まれていた。当時、めぐみさんの父滋さんは会見で涙をこらえながら「死亡を必ずしも信じることができない」と語り、母早紀江さんも「まだ生きていることを信じて戦い続ける」と悲痛の想いを明かしている。安倍には、当時の忘れられない光景があった。

「拉致被害者5人が帰国して、私たちが出迎えたとき、滋さんは拉致被害者やその家族の様子を写真に収めるべく、ひたすらカメラのシャッターを切っていた。自分の娘は死んだと北朝鮮から突き付けられ、辛いだろうに、その気持ちを押し殺して……。私も胸に想いが込み上げて、涙が出てきたよ」

 日朝首脳会談を機に北朝鮮は拉致被害者の調査を行っており、8人の死亡の経緯をまとめ、日本側に報告書を渡している。そこではめぐみさんについて「93年に鬱病を発症し、入院した平壌の病院で自殺に及んだ」と記されていた。

 だが、02年当時からこのような北朝鮮の説明にはあまりに不審な点が多く、「めぐみさん自殺」の情報も根拠に乏しいものだった。日本政府としては、北朝鮮に再調査を求める必要があった。

 2004年の5月22日に小泉は再び訪朝し、第二回日朝首脳会談に臨んでいる。幹事長の立場にあった安倍は同行していない。ただ、その頃の安倍は「今の時点で総理が訪朝するのは賛成しがたい。行方不明者の中には必ず生存者がいるのに、会談をすれば、北朝鮮が幕引きを図ることになる」と話していた。小泉の訪朝が目前に迫る5月10日に、私が安倍と面会した際にも、こんな考えを明かしていた。

「決して『めぐみさんが死んだ』と言われないようにしなければならない。それに(北朝鮮が死亡したと主張する)8人全員の帰国と、残りの行方不明者の安否の確認も徹底的に求めるべきで、この姿勢を断固として崩してはならない」

 あくまでも生存者全員の帰国を前提に交渉を粘り強く続ける、これが安倍の終生変わらぬ拉致問題へのスタンスだったと言える。

◆ジャーナリスト・岩田明子氏による「 安倍晋三秘録 第6回 金正日・正恩との対決 」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年3月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

(岩田 明子/文藝春秋 2023年3月号))

自民党幹事長

2003年9月、衆議院解散を控える中で自民党の選挙の顔となる幹事長である山崎拓の性的スキャンダルが持ち上がったため、小泉は後任幹事長として安倍を抜擢した。閣僚も党の要職も未経験であった安倍の幹事長就任は異例であり、事前には筆頭副幹事長もしくは外務大臣への就任が有力視されていたため、小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた。また、自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった。

11月投票の第43回総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが、自民党単独では選挙前の過半数から半数割れとなった。ただし前回選挙からは当選者増でもあり、幹事長に留まる。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。

2004年4月の埼玉8区補欠選挙では、自民党史上初の全国的な候補者公募を実施した(公募に合格した柴山昌彦が当選)。

同年夏の参議院選挙では、目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長の武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任した。幹事長経験者の幹事長代理就任も異例の事であった。

2004年、党改革推進本部長に就任。

内閣官房長官

「麻垣康三」も参照(麻生太郎・谷垣禎一・福田康夫・安倍晋三)

2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣。2006年9月1日に総裁選への出馬を表明。憲法改正や教育改革、庶民増税を極力控えた財政健全化、小泉政権の聖域なき構造改革に引き続き取り組む方針を示す。

最初の内閣総理大臣就任

「第1次安倍内閣」および「第1次安倍内閣 (改造)」

2006年9月20日、小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎、谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった)

 安倍晋三が一回目の首相(当時)になる前に、一般人から鋭い意見の『改革プラン』『日本刷新計画』のような原稿が送られてきて安倍は期待した。が、その人物が低学歴であると知ると露骨に嫌な顔をして、「なんだ、期待していたのに騙された」と、期待外れの不満を漏らしたという。

まるで、中小零細企業の人事課の馬鹿おっさんが、求人の採用面接に、大卒ではなく専門卒や短大卒がきて、露骨に「事務職もうやっていない。工場なら」の大嘘とか、ちっぽけな田舎の医薬品の店長ふぜいが、「うちにはマニュアルがなくてねえ。あなたはマニュアルがなければなにも出来ないでしょ?」という偏見みたいだ。

 審美眼がないというか、偏見でしか相手を見られない、というか。

 とにかく、安倍は『美しい国へ』という本とフレーズで、戦後最年少の首相(当時・五十二歳)になった。

「安倍晋三くんを内閣総理大臣に任命致します!」議長の宣言を受けて、国会内で席から立ち上がり、笑顔で、挨拶で頭を下げる安倍晋三氏……カメラのフラッシュの嵐だ。

 …………よし! これでぼくの時代だ。やっとこの機会が来たぞ。加計くん、やったぞ! 

昭恵! やったぞ! おやじ! 嬉しさで頬が限りなく緩んだ。

「『美しい国』へ。この日本を、祖国を、『美しい国』へと生まれ変わらせます! 〝美しい国〟へ、〝戦後レジュームからの脱却〟……この安倍晋三が国民の皆様へお約束します」

 CIA(米国情報局)の分析は『安倍晋三は頭も体も心も弱い』で、あった。

だが、この第一次安倍内閣は大失敗だった。

「全部、すべて……ポンコツかよーっ!」安倍は悲鳴を上げたい気分だったろう。

 閣僚の任命した大臣たちが、すべて〝ポンコツ〟ばかりで、不祥事や失言で辞任していく。「女性は産む機械」「原爆、しょうがない」事務所経費水増し、農相自殺……野党は〝首相(当時)の任命責任〟と突いてくるし、官僚はいうことを訊かないし、散々である。くそ、くそ、くそ、糞野郎! ぼくが悪いんじゃない! 悪いのは大臣だろ?

 鬱屈した気分で、総理官邸でひとりで壁を拳で叩いた。

 そのうちに、ストレスが溜まり、持病の胃腸の病気が悪化し、〝マンモスゲリピー〟になった。もう、トイレで、下痢で腹がおかしく、痛い。

 もうおしまい、であった。

 こうしてあいつに〝ぼくちゃん投げ出し辞任〟と呼ばれる辞任劇となった。

 たった一年数ヶ月で、内閣を投げ出したのだ。

〝無責任〟〝我が儘ぼくちゃん〟と揶揄されたが、腹が痛くて、痛くて、どうしようもない。失意のままの〝投げ出し内閣〟は短命で終わりを告げた。

「痛ててて、痛ててて、痛ててててー」腹を抱えては、便座にかじりついた。

「総理! 〝大量破壊兵器〟は?」

 第一次政権を去るとき、記者からそんな質問が飛んだが、安倍は無視して国会の階段を無言で降りていった。屈辱……恥、汚点……悪夢、くそったれ!

(*第1次安倍内閣

就任表明では、冒頭に小泉構造改革を引継ぎ加速させる方針を示し、国家像として「美しい国」を提示した。

安倍は小泉前首相(当時)の靖国参拝問題のために途絶えていた中国、韓国への訪問を表明。

2006年10月に就任後の初外遊先となった中国・北京で胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。

北朝鮮が核実験を実施したことに対しては「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、対北強硬派のジョン・ボルトンらと連携して国連の対北制裁決議である国際連合安全保障理事会決議1718を可決させ、個別でより厳しい経済制裁措置も実施した。

同年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える郵政造反組復党問題が政治問題化する。12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現した。一方で、同月、安倍が任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎内閣府特命担当大臣(規制改革担当)兼国・地方行政改革担当大臣が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。この後、閣内でスキャンダルが続いた。

2007年3月、安倍の北朝鮮による日本人拉致問題に対する非難と従軍慰安婦問題への謝罪に消極的であることが「二枚舌」とワシントンポストに批判されたが、4月下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続き日米関係が強固なものであることをアピールした。

参議院沖縄県選挙区補欠選挙に絡み、日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため、多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の島尻安伊子の応援演説を行うなどのバックアップを行った。

5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣が議員宿舎内で、首を吊って自殺。

こうした中、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアで大きく報じられた。同月6日 - 8日には首相(当時)就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。7月3日には久間章生防衛大臣の原爆投下を巡る「しょうがない」発言が問題化。安倍は久間に厳重注意に処し、久間は直後に辞任、後任には小池百合子が就任した。

参議院議員選挙(2007年)での敗北

2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。

同年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。

選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」楽観視していたとも言われるが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を下回る大敗であった。

これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方や四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。

体調の悪化と総辞職

参院選直後の7月31日の自民党総務会において、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。 同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と自民党内からも批判された。

広島平和記念式典に行く前日の8月5日から、胃と腸に痛みを感じ、食欲の衰えを感じるようになる。そして、8月19日から8月25日のインドネシア・インド・マレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。しかし、慶應義塾大学病院の主治医によると、(17歳のときに発症したという)潰瘍性大腸炎の血液反応はなく、機能性胃腸障害という検査結果であったという。

選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍改造内閣)。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、オーストラリア・シドニーで開催された APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。

この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。

2007年9月10日に第168回国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。

2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を急遽行った。また、理由についてはテロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断したとした。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に緊急入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。

安倍内閣メールマガジンは9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下、これをもって最終号を迎えた。

なお、病院側は、安倍首相(当時)の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした。9月21日は安倍の53歳となる誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。 

このように安倍首相(当時)は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相(当時)の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた。

20日の官房長官会見では「首相(当時)は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。

9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。

さらに、首相(当時)としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては、毎日新聞により、政府内でも批判の声があると報じられた。

9月25日、第1次安倍改造内閣最後の閣議に出席し、その後国会へ登院して、衆議院本会議での首班指名選挙にも出席した。第1次安倍改造内閣最後の閣議で、閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には皇居で行われた自民党総裁福田康夫首相(当時)の親任式に出席し正式に辞職し再び病院へと戻った。

突然の辞任への反応

安倍は辞任の理由として「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相(当時)を続けるより新たな首相(当時)のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢は記者会見で「打診を受けたことは1回もない」と否定し、以降も「意見を変える気はない」と明言)。

一方、自身の健康への不安のためとする理由も、与謝野馨(当時、内閣官房長官)が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。

もともと胃腸に持病を抱えており、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でも持病に触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。

この「胃腸の持病」について、安倍は辞任後の2011年に掲載された『週刊現代』へのインタビューで、特定疾患である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしている。

臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明について、野党側は「無責任の極み」であるなどと批判した。

与党側でも驚きや批判の声が上がったほか、地方の自民党幹部からも批判が出た。

9月13日に朝日新聞社が行った緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。

安倍の突然の辞意表明は、日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相(当時)がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた。 

欧米諸国の報道でも批判的な意見が多かった。

辞任の原因

2007年当時の医師の診断ではカルテ上は「腸炎、または急性腸炎」で一般に言う「腹痛」であったが、実際には「潰瘍性大腸炎」を患っていた。潰瘍性大腸炎は1973年に特定疾患(2015年からは指定難病)に指定されている。

麻生・与謝野クーデター説

安倍の辞任において、幹事長の麻生太郎と官房長官の与謝野が安倍を辞任表明に追い込んだとする「麻生・与謝野クーデター説」が自民党の新人議員の一部によってメディアを通じて広められた。

この「麻生・与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。

さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相(当時)の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した)



 第一次安倍内閣が短命におわった後で、福田康夫政権、麻生太郎政権と短命内閣が続いた。そこで勢力を拡大したのが当時の最大野党・民主党であった。

 日本の野党はそれまで○○党や△△党とか……烏合の党のようにふっついたり離れたりを繰り返していた。が、長期間・与党であり続けた自民党への不満がマグマのように国民の底に溜まっていた。

 しきりに、野党の鳩山由紀夫議員や、菅直人議員、野田佳彦議員、蓮舫議員らが、

「一度でいいので政権を我ら民主党にお任せ下さい!」

「今度こそ我ら民主党こそが自民党をぶっ壊します!」

 などと扇動する。国民もそれにはやぶさかでなく、「一度任せるのもいいんじゃないか」

「民主党政権なら〝失われた二十年〟という不況がよくなるのではないか」

 といった淡い期待も持ち始めていた。

 だが、民主党が当時、政権を握ると、とんでもない大失敗になった。

 まず、行政機関の役人であり、会社ではないが社員である公務員の一流官僚たちを完全に〝敵〟にまわした為に、政治家の記者会見でも大臣所管でも〝官僚の手助け〟がなかった。そのために、大臣の記者会見やスピーチも官僚の〝原稿(作文)〟もない。

 〝作文〟がなければ日本の政治家にまともなスピーチや議論が出来る訳がない。

 まるで、操り糸の切れた〝操り人形〟………民主党議員は失態を犯していく。

 そして、泣きっ面に蜂の、『東日本大震災』である。

 安倍首相(当時)はいまでこそ、「あの悪夢のような民主党政権」と断罪する。が、現在の自民党の政権が安定しているように見えるのは、大臣をイエスマンで固めて、一流大卒の高級官僚に政権運営も〝原稿(作文)〟も一任し、すべて任せて掌の上で転がっているだけだからだ。しかも、都合が悪くなると、秘書や官僚に忖度させ、〝蜥蜴の尻尾切り〟をする。

 すべて〝他力本願〟だから、政治家の才能など微塵も無い。

しかも、谷内正太郎だか、北村滋だかの元・官僚を〝軍師〟かなにかと勘違いし、NSC(国家安全保障局)のトップに据える………何でも〝高学歴〟〝頭脳明晰の筈の官僚出身〟〝トップに忖度する従僕官僚〟……そんなものが安倍晋三独裁政権の〝ダイナモ(心臓)〟だ。

「一位になる理由は何でしょうか? 二位では駄目なんでしょうか?(蓮舫議員・民主党による事業仕分け・スパコン(当時))」

「(東日本大震災による福島第一原子力発電所の)メルトダウンは……起きておりません(枝野幸男官房長官・当時・この大嘘がのちに問題になる)」

政権時期に未曾有の大災害『東日本大震災』が起こった民主党政権(当時)は、確かに不幸だし、運がなかった。

 その三年の民主党政権のときは、自民党ははじめての野党時代で、安倍晋三にとっては〝雌伏の時〟………である。晋三の母親は、「あなた、晋ちゃんの病気を治して! もう一度、晋ちゃんをもう一度、首相(当時)に! リベンジさせて」と仏壇に毎日拝む(まるで祈祷)し、晋三は病気ならば、と、一念発起して知識を蓄えるために読書や『兵法三十六計』『プロパガンダ(大衆操作)』『孫子の兵法』や、経済の本、歴史の本、もちろん政治学も読んだ。のちの軍師・今井尚(たか)哉(や)などの官僚たちが安倍の復権後の〝天下〟を期待して〝すり寄って〟くる。虎の威を借る狐、というわけだが高級官僚にとって安倍は〝利用価値〟がある、と映っていた。

〝ゲリピー〟のほうも治療に時間を費やした。

(*内閣総理大臣退任後

体調回復と活動の再開

慶應義塾大学病院から仮退院し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った。

11月13日に新テロ特措法案の採決を行う衆議院本会議に出席し、賛成票を投じた後、福田康夫首相(当時)や公明党の太田昭宏代表へ体調が回復したことを伝えた。

2007年末、『産経新聞』のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」と答えている。

2008年1月、『文藝春秋』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相(当時)の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている。

2008年3月5日、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や世耕弘成らが入会した。設立総会において、安倍は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任」と語り、同懇話会の座長に就任した。

3月6日、清和政策研究会(町村派)の総会に出席し、

「首相(当時)として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」と述べて所属議員に謝罪した。

第45回衆議院議員総選挙直後に行われた2009年自由民主党総裁選挙では、麻生太郎とともに、平沼赳夫の自民党への復党と総裁選挙への立候補を画策したが、平沼が難色を示したため実現せず、西村康稔を支援した)

 

安倍と管は互いを必要とする関係

「いつ出馬しても、あのやめ方は批判されるでしょう。今年の総選挙は、他の野党の党首選ではありません。事実上、次の総理を決めるもので、マスコミも大きく報道します。政治家・安倍晋三を国民にもう一度見てもらう最高の舞台じゃないですか」

12年8月15日の終戦記念日を前にした管は、都心のレストランで 3時間にわたり総選挙の出馬を口説いていた。管が語る「おれが安倍さんを総裁選挙に引っ張った」という言葉は、誇張でも何でもなく、具体的にはこの場面を指している。

〝今・三成〟と呼ばれた元・経産省官僚の今井尚(たか)哉(や)も失意の安倍にすり寄ってくる。東大法学部卒の頭脳明晰の今井は、饒舌に経済政策や外交戦略をプレゼンする。

「今井ちゃん、さすがに頭がいい。すごい! もし、もう一度ぼくが首相に返り咲いたら、ぼくのブレーン(頭脳)になって!」

「……いいですよ。この今井にお任せを。天下を取りましょう!」

「やったー! これでぼくは歴史に名を残せる! 復讐だ」

 安倍晋三はにやりとなる。〝今・三成〟今井尚哉の服従と頭脳に気をよくした。

一方、その前日12年八月には、大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長らが日本維新の会という新党の旗揚げをする意向と、朝日新聞(12年八月15日付)に報じられたが。同紙によると、松井一郎大阪府知事らが安倍に対し「僕らを利用して、日本を変えて下さい」と膝詰め談判。自民党を離党し、新党との連携をするように秋波を送ったというのだ。

それまで管は、月一回のペースで安倍に総裁選出馬を促していた。新聞各社の世論調査では石破茂がトップを走り、安倍は石原伸晃からも後れを取る三番手だった。

総裁選が一カ月に迫った八月になっても、安倍は迷っていたが、管はようやく安倍から「それでは準備を進めてください」との言葉を引き出した。九月に入り、管は決選投票に持ち込めば、少なくとも国会議員票で勝てると、独自の票読みを伝えて、励ましたという。

安倍が逡巡したのは、言うまでもなく07年第一次政権をわずか1年で放り投げたことで批判を浴びた記憶が、自らにも、国民にも鮮明に残っていたからである。

管は第一次安倍政権で初入閣し、総務大臣についていた。ところが、第一次政権には暗雲が一気に垂れ込め始める。多額の利権などが追及された同年五月の松岡利勝農林水産大臣の自殺。その後任の赤城徳彦の政治団体が、実家をつかった事務所に多額の経費を計上。さらに、参議院選挙の惨敗と、持病の潰瘍性大腸炎の悪化がつづいたのである。

問題が発覚してから、数ヶ月後近くで大臣更迭の、迷走ぶりだった。その安倍に対し、「まさか、あの安倍さんが」「あれから5年しかたっていないのに」という批判や不満が国民の中に深く燻っていた。

しかし、菅は違った。

菅は、梶山勢力を担いだ頃の派閥抗争の事態は遠のき、派閥闘争を彩った竹下登・金丸信・梶山らは鬼籍に入り、野中広務は政界引退。唯一、生き残っていた生活の党の小沢一郎に対しては、国民の不信感が鬱屈していた。政権復帰の好機に、だれを総理大臣に選ぶか? 菅は、早くから安倍に白羽の矢を立てていたのである。

菅は、官房長官の会見の場をのぞいて、たいそうな天下国家論を口にしない。その意味で、菅はむしろ現実主義者なのかもしれない。

安倍晋三をもう一度、総理大臣にすれば、自分に有利なポストや官房長官などの有利なポストや権力が自分に戻ってくる……それを期待して菅は動いたのだ。

安倍にしてみれば、菅は頼れる唯一の存在だろう。高級官僚や世襲議員が、自分の周りにあまたいる中にあって、菅義偉は異色だ。

「菅は、味方なら心強いが、敵に回したらこれほど恐ろしい男もいない」

安倍にとって菅は、自らを光らしてくれた存在であり、一方、菅にとっても、安倍は自分を見出してくれた人であり、肝心なところで互いに必要とする存在なのだろう。

  『したたか総理大臣・菅義偉の野望と人生』松田賢弥著作(講談社文庫)より引用


いよいよもって民主党政権(当時)が駄目になってくると安倍晋三は党首討論で、当時の野田佳彦首相(当時)の言質をとろうとした。画期的な新治療薬(アサコール)によって、〝ゲリピー族〟から回復し、気力体力ともに復活していた安倍は、

「じゃあ、いいんですね? 首相(当時)、解散総選挙を我々にお約束できますよね?」

 すると、野田首相(当時)は驚くことに、「わかりました……解散総選挙……やろうじゃありませんか!」

「本当ですね? いいんですね、いいんですよね? お約束ですよ。解散総選挙……間違いありませんね?」

 安倍晋三の口元に勝利の微笑が浮かんだ。……民主党はいまや国民の嫌われ者……この時期の解散総選挙ならば自民党は勝てる! 勝利だ、自民党というよりぼくの!

 安倍の持病の潰瘍性大腸炎は、特効薬のアサコールにより、病状が回復していた。

 もう、憂いはない! 今井ちゃんなどのブレーンもいる。今度こそ……!

こうして、選挙で民主党はボロ負け……自民公明連立与党が過半数以上の票を取り、安倍晋三は二回目の総理大臣になった。二度目の〝捲土重来〟である。

「内閣総理大臣・安倍晋三君!」

国会の議席から立ち上がり、四方八方におじぎをする安倍晋三は満面の笑顔だ。

 カメラのフラッシュの雨あられ……こうして独裁政権がスタートする。

(*2度目の総裁就任

2012年9月12日、谷垣総裁の任期満了に伴って行われる2012年自由民主党総裁選挙への出馬を表明。自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。

当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相(当時)辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった石破茂、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった石原伸晃の後塵を拝していると見られていた。しかし、麻生派、高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり、9月26日に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決選投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。

一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった。

内閣総理大臣に再就任

2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰。同年12月26日、安倍が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足した。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は、戦後では吉田茂以来2人目である。

首相(当時)再登板後は、デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で、日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ、多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示す。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は、アベノミクスと称される。「アベノミクス」は2013年新語・流行語大賞のトップテンに入賞し、安倍が受賞した。

参議院議員選挙(2013年)での勝利

「第23回参議院議員通常選挙」

第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙(前述)以降、参議院では政権与党が過半数を下回るねじれ国会が続いていた(2009年の第45回衆議院議員総選挙から2010年の第22回参議院議員通常選挙までの期間を除く)。2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙で、政権与党の自民・公明両党が合わせて半数を超える議席を獲得し、「ねじれ」は解消した。

2020年東京オリンピック招致

安倍は2012年12月の首相(当時)就任以降、2020年夏季オリンピックの東京招致委員会の最高顧問として各国首脳との会談や国際会議の際に東京招致をアピールした。さらに、2013年3月に来日したIOC評価委員会との公式歓迎行事では演説を行い、歌を披露する場面も見られた。

安倍は首相(当時)就任後、1964年東京オリンピックの開催が決定した当時の首相(当時)が祖父である岸信介であることを持ち合いに、自らがIOC総会に出席してプレゼンテーションを行う意欲を見せていた。

これにより開催地決定の直前である9月5日と6日にロシアのサンクトペテルブルクで開催されたG20を途中で切り上げ、6日にブエノスアイレスに到着しIOC委員へ東京支持を呼びかけた。

7日の総会では東京のプレゼンターの1人として演説を行い、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」

と発言。演説後の質疑応答では総会直前に明らかとなった福島第一原子力発電所の汚染水漏れに関する質問が出た。

これに対し安倍は「結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」、「健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している」と答え、

「子供たちの将来や日本にやってくるアスリートに対する責任を完全に果たしていく」と述べた。

しかし、汚染水漏れのニュースは後を絶たず、安倍の発言が東電の公表している状況とも異なっているなど、状況は統御されていない事実が明らかになった。

このことは国会でも追及されており、安倍は追及に対して「事態は掌握しているし、対応はしている、という意味でコントロールと発言した」と抗弁している。

参議院議員選挙(2016年)での勝利

「第24回参議院議員通常選挙」

任期満了に伴う2016年7月10日の第24回参議院議員通常選挙では、北海道・東北地方・信越地方・沖縄県で苦戦したものの、前回を上回る議席を獲得した。安倍はこの結果を受けて、アベノミクスが信任を得たものと主張した。

東京都議会議員選挙(2017年)での敗北

「2017年東京都議会議員選挙」

2017年7月の都議会選挙では57議席から23議席に減らし、2009年の都議選時の38議席にも満たない過去最低の議席数に留まった。これについて、安倍は「大変厳しい都民の審判が下された。自民党に対する厳しい叱咤と深刻に受け止め、深く反省しなければいけない」と述べた。敗因について、「政権発足して5年近く経過し、安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろう。真摯に受け止めなければいけない。政権を奪還したときの初心に立ち返って全力を傾ける決意だ」と説明した。

衆議院議員総選挙(2017年)での勝利

「第48回衆議院議員総選挙」

選挙前と同じ284議席を獲得し、安倍自民党が大勝した。小選挙区で218議席、比例代表で66議席を獲得した。小選挙区の候補者は、北関東ブロック、東京ブロック、南関東ブロック、近畿ブロック、中国ブロックで比例復活も含めて全員当選した。小選挙区の候補者3名が無所属で当選後、公示日に遡って自民党公認となった。

2025年大阪万国博覧会招致

「2025年万国博覧会の大阪招致構想」

2018年11月23日、パリで行われたBIE総会において大阪府が2025年日本国際博覧会の開催地に選ばれた。安倍はビデオで、「大阪、関西、日本中の人たちが皆さんをお迎えし、一緒に活動することを楽しみにしている。成功は約束されている」と大阪招致をアピールした。 開催決定後、世耕弘成を「国際博覧会担当大臣」に任命することを固めている。

参議院議員選挙(2019年)の結果

「第25回参議院議員通常選挙」

自民党は57議席を獲得した。改選前から9議席減となり、非改選の議席を含めた単独過半数を維持できなかった。

通算組閣回数・首相(当時)通算在職日数

2019年9月11日に内閣改造を行い、第4次安倍第2次改造内閣が発足。これにより通算組閣回数は11回となる。 2019年11月20日、首相(当時)通算在職日数が「2887日」となり、それまでの桂太郎(2886日)抜き歴代最長となった。連続の在職期間は、大叔父の佐藤栄作に次ぐ歴代2位)

2025年大阪万国博覧会招致

「2025年万国博覧会の大阪招致構想」も参照

2018年11月23日、パリで行われたBIE総会において大阪府が2025年日本国際博覧会の開催地に選ばれた。安倍はビデオで、「大阪、関西、日本中の人たちが皆さんをお迎えし、一緒に活動することを楽しみにしている。成功は約束されている」と大阪招致をアピールした。 開催決定後、世耕弘成を「国際博覧会担当大臣」に任命することを固めている。

2019年11月20日、首相(当時)通算在職日数が2887日となり、それまで最長だった桂太郎(2886日)を抜き歴代最長となり、さらに2020年8月24日、連続在職日数が2799日となり、それまで最長だった大叔父の佐藤栄作(2798日)を抜き歴代最長となった。

辞意の表明

2020年8月28日、持病である潰瘍性大腸炎が悪化したことなどから、国政に支障が出る事態は避けたいとして、内閣総理大臣の職を辞する意向を固めたと複数のメディアが報じ、その後総理大臣官邸で行われた臨時閣議において、辞任する意向であることを表明した。

その後、首相(当時)官邸で行われた会見で正式に辞意を表明し、「様々な政策が実現途上にあり、コロナ禍の中、職を辞することについて、国民の皆様に、心より、心より、お詫び申し上げる」と謝罪した。また、次の総理大臣が任命されるまでの間、引き続き職務にあたる考えを示した。

この辞意表明を受けて、自由民主党は総裁選を行うこととなったが、総裁選の時期や形式に関する対応は二階俊博幹事長に一任された。

2020年9月16日午前の閣議において、安倍内閣は総辞職した。こののち菅義偉(第99代総理大臣)が国会の内閣総理大臣指名選挙、任命式を経て総理大臣に就任し、安倍は内閣総理大臣を退官した。その後任は岸田文雄氏である。

 話を戻す。

第二次安倍政権がいよいよもってスタートする。〝安倍独裁政権〟で、ある。

経済政策では〝アベノミクス〟〝消費税増税〟〝三本の矢(大胆な金融緩和・機動的な財政出動・民間投資を刺激する成長戦略)〟そして、安倍のライバルである石破茂との総裁選挙でも安倍晋三は勝利する。

豊田真由子の「このハゲー!」発言や、ポンコツ大臣桜田氏や片山さつきの失言などもあったが、長期政権を続けられた。その効果的な策は〝官僚への丸投げ〟〝官僚の作文棒読み〟〝官僚のいいなり〟で、安定政権を維持したという。

杉田水脈(みお)議員の「(LGBTは)生産性がない」「(夫婦別姓について)なら結婚しなくていい」等の差別発言もあったが、有名人やテレビタレントの滝川クリステルの「お・も・て・な・し……おもてなし」プレゼンテーションで2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催(新型コロナウイルスの影響で一年延期)にもこぎつけた。

滝川クリステルは〝政界のホープ〟と呼ばれていた政治家の小泉進次郎議員と結婚したが、純一郎元・首相(当時)の次男の進次郎は石破茂を選ばず、〝(総裁選で)逃げた〟。そのことによって男を下げて、「やはり、只のおぼっちゃまだ」と、人気ががくんと落ちまくった。のちの総裁選挙で河野太郎の支持に回り、石破氏とも共闘。『小石河連合』とも呼ばれたが、結局、何の実績もない〝人寄せパンダ〟に過ぎない。

消費税増税……森友・加計疑惑……桜を観る会の疑惑……

IR疑獄……新型コロナウイルス対策……トランプ米国大統領との関係(主人とポチの主従関係)……とにもかくにも大嘘をつきながら安倍晋三は前進し、暗躍する。

新型コロナウイルス対策では、無意味な全校休校、アベノマスク政策(日本の一世帯に二枚ずつの布製マスクを配る(費用466億円))……そして、三十万円の制限付き給付金からひとり十万円の無制限での給付金(費用14兆円)まで、さまざまに頭をつかう。

それまで安倍氏を支え続けた〝本物の軍師〟の筈のガースー菅義偉氏は、「もうやってられない!」と安倍氏を見限り、官僚の作文を〝棒読み〟するだけになった。

ちなみに、安倍首相(当時)の『カタカナ語濫用』は日本語のレベルが高校生以下だからだ。

「モメンタム(勢い)が見える」「オーバーシュート(感染者の爆発的増加)」「ロックダウン(都市の封鎖)」「クラスター(感染者集団)」……

英語はカタコト語だけ。なら日本語はどうか?

「両陛下には末永くお健やかであられることを願っていません」(安倍発言)

 真逆(まさか)の「已みません」を「いません」。高級官僚からしたらまさかここにルビ(読み仮名)がいるとは思わなかった。

(*発言

2002年

原子爆弾の保有・使用に関する発言

2002年2月、早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じたが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の〝政策〝としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した。

2016年4月には鈴木貴子の質問主意書に対し「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない。しかし核拡散防止条約及び非核三原則に基づき、一切の核兵器を保有し得ない」とする答弁を閣議決定した。

民主党を「中国の拡声器」

2002年5月19日中国・瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件に関して、日本国外務省の不手際を調査するため中国を訪問した民主党を、テレビ番組において「中国の拡声器」と批判した。安倍は2日後の5月21日、参議院外交防衛委員会において、民主党の激しい反発に遭い、発言を撤回した。

辛光洙の保釈署名者の土井たか子と菅直人に対する発言

2002年10月19日広島市・岡山市の講演において

「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」

「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。

この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。

また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。

結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。

大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した。

2011年

日韓図書協定

2011年の日韓図書協定について、「国民や歴史に対する重大な背信だ」と批判した。

2012年

「来年の通常国会において私たちは既に私たちの選挙公約において定数の削減と選挙制度の改正を行っていく、こう約束をしています。今この場でそのことをしっかりとやっていく約束しますよ」発言

2012年11月14日の党首討論で野田佳彦首相(当時)が「来年には定数削減する。それまでは歳費を削減する」と言ったのに対し安倍は「来年の通常国会において私たちは既に私たちの選挙公約において定数の削減と選挙制度の改正を行っていく、こう約束をしています。今この場でそのことをしっかりとやっていく約束しますよ」と言って解散したが、逆の立場になった2016年2月19日、野田の質問に対し

「政治は結果。定数削減を言うのは簡単だが実際に実行するのはそう簡単ではない」

「我が党も責任があるが、共同責任。誰かだけに責任があるわけではない」などと答えた。

2014年

最高責任者に関する発言

2014年2月13日、自民党の総務会において「最高責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても、私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ」と発言した。

この発言について、自民党の村上誠一郎は「総理の発言は、選挙で勝ったら、拡大解釈で憲法を改正しても、何をしても良いのかと理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と、自民党の船田元は「拡大解釈を自由にやるなら、憲法改正は必要ないと言われてしまう」と、それぞれ意見した。

消費税10%を延期

11月、「来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。2020年度の財政健全化目標についてもしっかりと堅持してまいります。来年の夏までにその達成に向けた具体的な計画を策定いたします」と発言したが、消費税率が10%に引き上げられたのは2019年10月であり、財政健全化も2020年時点で達成してない。

2015年

2015年衆議院予算委員会においての野次「日教組どうするの!」

2015年2月23日の衆議院予算委員会において、民主党議員の質問中に、質問内容と全く関係なく「日教組どうするの!」という野次を飛ばし続けた。

これについて、「なぜ日教組と言ったかといえば、日教組は補助金をもらっていて、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいる」などと理由を説明した。

しかし、後にそれが事実に反することを指摘され、

「私の記憶違いにより、正確性を欠く発言を行ったことは遺憾で訂正申し上げる。申し訳ない」と、それが誤りであることを認め撤回した。

一方、野次で質疑を遮ったことについては謝罪などのコメントはしていない。

自衛隊について「わが軍」と発言

2015年3月20日、参議院予算委員会で自衛隊訓練の目的を尋ねられた際、「我が軍の透明性を上げていく、ということにおいては、大きな成果を上げているんだろうと思います」と語った。

30日の衆院予算委員会で後藤祐一の質問に対し、安倍は「共同訓練の相手である他国軍と対比するイメージで自衛隊を『わが軍』と述べたわけで、それ以上でもそれ以下でもない」と改めて説明し、

「自衛隊の位置づけに関するこれまでの政府見解を変更するものではないし、そのような意図はない」、「軍と呼ぶことは基本的にない」と主張した。

また、「言葉尻をとりあげて議論をする意味はあまりない。もう少し防衛政策そのものを議論した方が生産的だ」、「こうした答弁により大切な予算委員会の時間がこんなに使われるならば、いちいちそういう言葉は使わない。ただそれを使ったからどうこういうものではない」と述べた。

衆議院特別委員会において野次「早く質問しろよ」「大げさなんだよ」

2015年5月28日、衆議院平和安全法制特別委員会において、辻元清美の質疑中に「早く質問しろよ」「大げさなんだよ」とやじを飛ばした。批判を受け、同6月1日の同委員会において「重ねておわび申し上げる。真摯に対応していく」と謝罪した。

2016年

「デフレ脱却していないがもはやデフレではない」発言

第2次安倍内閣発足後にいわゆるアベノミクスを推進した安倍は、国会内で「もはやデフレではない」とデフレ脱却を主張したが、同時に「デフレ脱却道半ば」と付け加えたため野党議員より意味不明と非難された。

「私は立法府の長」発言

2016年5月16日、衆議院予算委員会で自身を指して「立法府の長」と発言し、翌17日の参議院予算委員会でも「立法府の私」と発言した。

23日の参議院決算委員会で、「もしかしたら言い間違えていたかもしれない」と釈明した。

産経新聞社はこの「立法府の長」発言を2016年の国会の名言6位に取り上げた。

沖縄タイムスは社説にて、行政府の長を言い間違えたのではなく、何でも可能であるという全能さを表しているのではないか、謙虚さが必要であると批判している。

一方、立命館大学教授の大西祥世はこれを、議院内閣制のもとで国会の安定多数を維持している首相(当時)の安倍が衆議院・参議院・内閣の「「三位一体」体制の長であるという意味合い」を示す発言であると評した。

「これまでのお約束とは異なる新しい判断だ。公約違反ではないかとのご批判があることも真摯に受け止めている」

2017年4月の消費増税の再延期について2016年6月、伊勢志摩サミットにて経済リスクを世界のリーダーと共有し「世界経済は想像を超えるスピードで変化し不透明感を増している。リーマンショックのときに匹敵するレベルで原油などの商品価格が下落し、さらに投資が落ち込んだことで新興国や途上国の経済が大きく傷ついている」。

「現在直面しているリスクはリーマンショックのような金融不安とは全く異なるが、危機に陥ることを回避するため、内需を腰折れさせかねない消費税率の引き上げは延期すべきだと判断した」。

「これまでのお約束とは異なる新しい判断だ。公約違反ではないかとのご批判があることも真摯に受け止めている」

「アベノミクス加速か後戻りするのかが参院選の最大の争点だ」と発言。

2017年

「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」発言

森友問題で2017年2月17日に国会での答弁。2018年、文書改ざん等で佐川宣寿前国税庁長官ら職員20人の処分を公表したが麻生太郎財務大臣も責任を取らなかった。

「訂正でんでん」発言

2017年1月24日の参院代表質問にて、元民進党の蓮舫議員の発言に対して、「訂正でんでんという指摘は全く当たらない」と云々(うんぬん)を誤読したと思われる答弁をして話題となった。

「こんな人たち」発言

東京都議選の2017年7月1日に秋葉原駅前での街頭演説で野次に苛立って「皆さんあのように人の主張の訴える場所に来て演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません。私たちはしっかりと政策を真面目に訴えていきたいんです。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗中傷したって皆さん何も生まれないんです。こんな人たちに皆さん私たちは負けるわけにはいかない。都政を任せるわけにはいかないじゃありませんか」と言ったが菅官房長官は問題は「全くない」「きわめて常識的」だと発言。

2018年

「エンゲル係数上昇は食生活の変化」発言

2018年参院予算委員会の場で民進党の小川敏夫が安倍の経済政策について、「エンゲル係数が顕著に上がっている」と経済指標から庶民の生活の貧困具合を指摘したが、安倍晋三は「エンゲル係数上昇は物価変動、食生活や生活スタイルの変化が含まれている」

「景気回復の波は全国津々浦々に」とアベノミクスによる景気回復を主張した。

経済評論家の斎藤満はこれについて、

「テストなら0点」「食費は生活の基礎的な部分。支出に占める割合が大きければ大きいほど、生活に余裕がないという指標」

「今や外食の単価が下がり、ワンコインでおつりがくることもある。外食費は多くない。安倍や麻生は1万円を超えるステーキを食べに行く金持ちだから、自分と国民の違いが分からない」と答弁について指摘した。

2019年

「総理なので森羅万象すべて担当している」発言

2019年2月6日、参議院予算委員会において、毎月勤労統計の不正調査問題に関する足立信也の質問に対し、「総理大臣でございますので、森羅万象すべて担当しておりますので…」と発言し話題となった。

「唯一のミスは大阪城にエレベーターをつけたこと」発言

2019年の大阪サミットのとき、ジョークとして「唯一のミスは大阪城にエレベーターをつけてしまったこと」等と発言したが、「障害者や高齢者を軽蔑する発言だ」と批判された。

2020年

「募ってはいるが募集はしていない」

2020年1月28日の衆議院予算委員会において、日本共産党の宮本徹による桜を見る会問題に関する質問に対して、

「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」

と答弁をして話題となった。

この答弁に対して宮本は、

「私は日本語を48年間使ってきたが、『募る』というのは『募集する』というのと同じですよ。募集の『募』は『募る』っていう字なんですよ」と諭した。

「意味のない質問だよ」

2月12日、衆議院予算委員会で辻元清美が質問の最後に「タイは頭から腐る」と述べたことに対して、質問終了直後に「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばした。

これに対して野党は抗議し審議が一時中断された。同月17日の衆議院予算委員会で安倍はこのヤジについて謝罪した)

 またこの他の安倍晋三氏の発言は『安倍晋三語録』を参照にして下さい。

 また、新型コロナウイルス対策でも『自宅待機』を訴えたかったのか安倍氏はネット動画に歌手でタレントの星野源さんとの2カメラの動画を配信した。が、安倍氏は金持ち感満載の自宅の高級ソファで、普段着で、犬と戯れており、それが「貴族か!」「ルイ16世か!」と反発され炎上した。

「金持ち喧嘩せず」安倍晋三は嘯いた。





安倍晋三は最期に仏壇の安倍家代々の先祖に祈った。子供は諦めてくださいと医者にいわれた数日後のことだった。長い不妊治療の末だった。

………安倍家のみなさま、申し訳ありません。安倍家をおわりにしてしまいました。

すると岸信介や安倍晋太郎の霊が見えた。

…なんじゃあ、晋ちゃんらしくもない。そちの落ち度ではない。どのような形にせよ、安倍の家は残るのであろう?では、それでよいではないか?城をまくらに討死か?つまらん。つまらん。安倍家のこころを残したい。晋ちゃんがいるところが安倍家の城なのだ。

ひたむきに生きよ。晋ちゃん、わしがいつもみているからな。

……おじいちゃま。おやじ…。




私に言わせれば、政府や役所がふざけたことを言ったら、企業としては声を大にして反発するべきだと思います。

「経営もわかっていないくせに余計なこと言うな」と、なぜその一言が出てこないのか私には不思議でなりません。

首相(当時)も副総理も家業は政治家です。経営の経験もないのですからわからなくて当たり前です。人間を人参で操るようなとんでもない発想に基づいた政策だと思います。

企業どころか経団連すらこれに対して反発しないのは、情けないし非常にみっともないことだと私は感じています。

森友学園・加計(かけ)獣医学部問題

2017年度は安倍晋三にとって森友・加計問題による学校責任者においての税制上の忖度(そんたく)があったのではないか?という首相(当時)や夫人の昭恵に対しての疑惑が極まった。

安倍晋三は「忖度はなかった」として「印象操作だ。くだらない」と傲慢さを見せて内閣支持率が下がると、アドバイザーに相談し、言い回しや態度を極めて丁寧で謙虚にみせることにして実行した。

野党の質問にちゃんと答え、疑惑を晴らすことはなかったが、態度の傲慢さが消えた為に?支持率は回復して、2017年度の総選挙(衆議院)では圧倒的な与党の勝利となった。 

だが、これは野党の特に希望の党を率いた東京都知事・小池百合子の敵失での勝利であった。

秘書に「このハゲー! 違・う・だ・ろ!」と暴言を吐いて殴った疑惑の元・自民党の豊田真由子は落選し、不倫疑惑で無所属出馬となった(元・民主党)山尾志桜里は議員当選した。山尾は主婦の「保育園落ちた日本死ね」のツイートを引用して安倍を攻撃した反安倍の議員だった。IQが高いとある漫画家に擁護されたが、結局、議員辞職した。

不規則発言や不安定な発言で問題になった稲田朋美防衛相(当時)や金田法相(当時)や田中大臣(当時)にこりたのか、安倍は総選挙後に高学歴内閣を発足し、皇室会議で2019年に明仁親王・上皇を退位させ、徳仁親王・新天皇陛下を即位させることを決めた。

景気は回復などしてないがもう数年「夢」を見せ続ければ安倍晋三の悲願の〝憲法改正〟も夢物語ではなくなった。とはいえ、森友・加計問題は疑惑が晴れないままだ。

本当に忖度がなかったのか? まさに疑惑である。



安倍晋三は最初の首相(当時)になったとき内閣はボロボロだった。

期待していた軍師が高卒だと知ると話もしないで「役に立たない」と勝手に判断した。

軍師がいないばかりに第一次安倍内閣は『ポンコツ内閣』といわれるほどぼろぼろの無能政治家ばかりだった。お友達内閣の閣僚達は次々とぼろをだし辞任していく。

最期は安倍晋三の持病の消化器系の病気が再発して一年での退陣となった。

だが、安倍晋三は復讐がおわっていなかった。

今度こそは……ぼくを舐めるな!

執念で二度目の首相(当時)になる。2012年よりの八年の長期政権になった。

すべては学歴エリートの高級官僚への丸投げであった。『安倍一強』独裁政治…

官僚の手のひらで、安倍晋三は悦に浸った。官僚の作文を棒読みした。

やがてそんな甘い人生も転換期を迎える。


「おおっ、滝山! ひさしぶりだなあ!」

すっかり白髪頭で老眼鏡をかけた安倍晋三や昭恵夫人が笑顔で迎えた。

「続いていきますなあ」滝山は感慨深げにいった。パソコン作業をしていた昭恵は「何が…?」と問う。「安倍家の………こころです」

「ぼくは安倍の家を守りたいと思った。民間人より政界に来たのは何十年前か。つづくのう。命はつづくのう。岸信介おじいさま。佐藤栄作おじさん。昭恵。大切なものは地位でも財産でもなく親友や思いやりにこそある、と。そういう人生が一番大切なのだ、と。…いうことか」

そして、安倍晋三は微笑んだ……こうして安倍晋三の波乱の人生は、続いていく。世界平和を祈って…ただ、安倍家のために、日本人の幸福のために…

とにかく紆余曲折をもって安倍晋三氏は戦後最大の長期政権を保持し、二度も総理大臣の椅子に輝いた。

安倍晋三氏は成蹊大学という三流大学しかでてないし、英語もまるで話せないが、大臣や政務官や高学歴エリートをうまくつかえば自分を高められるきぶんになっていたという。

安倍晋三は国会で「今こそまさにアベノミクスという維新回天にも等しい革命で、この安倍晋三が日本をよくしたということです!(自民党大拍手)ぼくはやりますよ! 必ず日本をよくして「安倍さんのおかげでよくなった」と日本国の国民のみなさんにいってもらいたい。日本の経済も社会保障も被災地の復興も全部、この安倍晋三にまかせてください!」

自民党大集団拍手喝采……期待に応える安倍晋三氏……

……しかし………結末は……       

2020年8月、持病の『潰瘍性大腸炎』が悪化し、血便まででたことでドクターストップがかかる。安倍晋三は病気が重いということで、「首相(当時)辞任」を記者会見で正式に証明した。

「病気の悪化により首相(当時)の職務を続けることが難しくなったために、わたくし安倍晋三は内閣総理大臣を辞職することと致しました」……こうして、独裁政権は呆気なく終わった。

 安倍晋三の独裁は、終焉を迎え、平和な日本が戻った。      

7年8ヶ月続いた安倍政権が、突然、終わった。

2012年12月に発足して8年近く。思えば、長い長い時間だった。

諦めや無力感を植え付けられるような、反対意見を言えば「晒し者」にされかねないような、常にそんな緊張感が頭の片隅にあるような年月だった。

さて、第二次安倍政権が真っ先に手をつけたのが「生活保護基準引き下げ」だったことは、書き続けてきた通りだ。もっとも貧しい人の生活費を下げるという決断は、「弱者は見捨てるぞ」という政権メッセージのようにさえ思え、貧困問題に取り組む私は発足そうそう、足がすくんだのを覚えている。

そうして13年から生活保護費は3年かけて670億円削減。もっとも引き下げ幅が大きかったのは子どもがいる世帯だ。13年、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が成立したものの、その影で、生活保護世帯の子どもはそこから除外されるような現実があった。

引き下げ後、生活保護利用者から耳にするようになったのは「一日一食にした」「どんなに暑くても電気代が心配でエアコンをつけられない」という悲鳴だ。この夏も数万人以上が熱中症で救急搬送され、すでに100人以上が亡くなっているが、その中には、節約のためにエアコンをつけられずにいる貧しい人々が確実にいる。

こんなふうに弱者を切り捨てる一方で、安倍政権は「アベノミクス」を打ち出し、ことあるごとに経済政策の効果を喧伝してきた。が、その実態はどうなのか。私たちの生活は、果たして楽になったのか?

例えば、「非正規という言葉を一掃する」と言いつつも、12年に35.2%だった非正規雇用率は19年、38.3%に上昇した。また、12年から19年にかけて、正規雇用者は154万人増えた一方で、非正規雇用者は352万人増えている。

金融資産を保有していない単身世帯は12年では33.8%だったが、17年には46.4%まで増えた(18年以降は質問が変わったので単純比較できず)。また、アベノミクスで「400万人を超える雇用を増やした」と胸を張るが、その中には、年金では生活できない高齢者や、夫の給料が上がらず働きに出た女性も多い。

現在4割に迫る非正規雇用の平均年収は179万円。働く女性の55.3%が非正規だが、その平均年収は154万円。安倍政権は「女性活躍」と打ち出してきたが、多くの女性が求めているのは「活躍」よりも「食べていける仕事」だ。結局、この7年8ヶ月で潤ったのは、ほんの一部の大企業と富裕層だけだ。

そんなこの国を今、新型コロナウイルスが直撃している。

今も連日「もう何日も食べてない」「3月からなんとか貯金を切り崩して頑張ってきたがとうとうそれも尽きた」「日雇いの仕事にどうしてもありつけず、今日から野宿」などの深刻な相談が寄せられている。真っ先に切り捨てられたのは非正規やフリーランスや自営業。リーマンショックの時との一番の違いは、女性からの相談が多いということだ。それもそのはずで、コロナの影響を真っ先に受けた観光、宿泊、飲食、小売りなどのサービス業を支えるのは非正規雇用の女性たちである。また、「夜の街」と名指された場所で働く女性からのSOSも止まない。相談内容は「近々寮を追い出される」などの深刻なものだ。

そんな人々が餓死しないために使える制度のひとつが生活保護だ。

しかし、利用を勧めても、「生活保護だけは受けたくない」と頑なに首を横に振る人も少なくない。そんな光景を見るたびに思い出すのは、自民党が野党だった12年春の「生活保護バッシング」。お笑い芸人家族の生活保護受給が報じられ、不正受給でもなんでもないのに一部自民党議員がこれを問題視。片山さつき議員は厚労省に調査を求めるなどオオゴトにしていった。そんな中、同議員は生活保護について「恥と思わないことが問題」などと発言。このような報道を受け、制度利用者へのバッシングがあっという間に広がった。

今年6月、安倍首相(当時)は国会で、生活保護バッシングをしたのは自民党ではない、などの発言をしたが、今書いたことからもわかるように、生活保護バッシングをしていたのは思い切り自民党である。自民党の生活保護プロジェクトチームの世耕弘成氏は12年、雑誌のインタビューで、生活保護利用者に「フルスペックの人権」があることを疑問視するような発言までしている。このように、ちょっと調べれば誰でもわかることなのに「すぐバレる嘘をつく」のが安倍首相(当時)の癖だった。

さて、自民党が政権に返り咲く半年前の生活保護バッシングはメディアにも広がり、テレビ番組の中には「生活保護利用者の監視」を呼びかけるものまであった。

当然、生活保護を利用する人々は怯え、外に出られなくなったり、うつ病を悪化させたりしていった。



なぜ、あれほどまでに生活保護利用者という弱者が叩かれたのか。

当時野党だった自民党にとって、それはコスパがよかったからなのだと思う。どれほど叩いても、生活保護利用者はさらなるバッシングを恐れて声を上げたりはしない。

当事者団体もなければ、彼ら彼女らの声を代弁するような団体もない。そうして利用者を叩けば叩くほど、「自分たちはこんなに働いても低賃金なのに」という層からは絶大な支持を得る。

生活保護バッシングは、リスクを最小に抑えて「仕事しているフリ」「やっている感」が出せる格好のネタだったのだ。そうしてバッシングによって溜飲を下げた人々からは拍手で迎えられる。このような状況の中、自ら命を絶った生活保護利用者もいたが、彼ら彼女らがその死を知ることは一生ないだろう。そして12年12月、自民党は「生活保護費1割削減」を選挙公約のひとつに掲げて選挙戦を戦い、政権交代。

そうして実際に保護費はカットされた。

その後も、生活保護バッシンクは続いた。それだけではない。16年には「貧困バッシング」もあった。子どもの貧困の当事者としてテレビ番組で取材された女子高生の部屋に「アニメグッズがあった」などの理由で「あんなの貧困じゃない」というバッシングが起きたのだ。このことが象徴するように、この7年間は「声を上げた人」が徹底的に叩かれるようになった7年間でもあった。

「貧しくて大変」と声を上げれば「お前よりもっと大変な人がいる」と言われ(こういう物言いには「犠牲の累進性」と名前がついているのだが)、政権を批判する声を上げれば時に非難を浴び、「炎上」する。

同時に、この7年間は、「公的な制度に守られている」ように見える人々へのバッシングが繰り返された。生活保護バッシングや、「安定した」公務員に向けられるバッシングだけでなく、おなじみの「在日特権」はもちろん、「公的なケアが受けられる」障害者が「特権」として名指しされたりもした。同時に「子連れヘイト」も広がった。

このような人々が「守られている」ように見えるのは、障害も病名もない人々が「死ぬまで自己責任で競争し続けてください。負けた場合は野垂れ死ってことで」という無理ゲーを強制されているように感じているからだろう。「失われた30年」の果ての地獄の光景がそこにはあった。

安倍首相(当時)が何度も「敵」を名指してきたことにより、この国には分断とヘイトが蔓延したということだ。

忖度のもとで、いじめや排除が正当化され続けてきた7年8ヶ月。「言論弾圧」という高尚なものですらなく、もっともっと幼稚な、子どもが小動物をいたぶるような感覚に近いもの。

安倍首相(当時)は、そんなことを繰り返してきた。自らを批判する人々を「左翼」「こんな人たち」と名指し、また国会で「日教組~日教組〜」とからかうような口調で言ったのを見た時、怒りや呆れよりも、恐怖を感じた。

クラスの中の、人気も信頼もないけど偉い人の息子でお金持ちという生徒が、「今からみんなでこいついじめよーぜ」と言う時の表情にしか見えなかった。

そんな子どもじみたやり方で進められる分断は、時には誰かを殺すほどのものになるのではないか――。安倍首相(当時)が誰かを名指すたびに、総理大臣が「誰かを袋叩きにしてもいい」という免罪符を発行することの罪深さを感じた。

しかし、それに異を唱えたら自分がターゲットになってしまうかもしれない。ターゲットにされてしまったら、終わりだ。そんな恐怖感が、私の中にずっとあった。

そんな安倍政権が終わるのだ。

私はどこかほっとしている。

いつからか息を潜めるような思いで生きていたことに、終わってやっと、気づいた。

7年8ヶ月。その間には、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など、多くの人が反対の声を上げてきたことが強行採決された。私たちの声が踏みにじられ、届かないことを突きつけられるような年月だった。声を上げることによって、見知らぬ人たちからネット上で凄まじい攻撃も受けた。そんなことを繰り返しているうちに萎縮し、無力感に苛まれるようにもなっていた。

この約8年で破壊されたものを修復していくのは、並大抵の作業ではないだろう。

政治は私物化され、自分の身内にのみ配慮するやり方がおおっぴらにまかり通ってきた。

災害の中で「赤坂自民亭」が開催され、沖縄の声は踏みにじられ、福島は忘れられ、公文書は改ざんされ、そのせいで自死する人が出ても知らんぷりする姿は「民主主義の劣化」などという言葉ではとても足りない。

だけど、ここから始めていくしかないのだ。なんだか焼け野原の中、立ち尽くしているような、そんな気分だ。

(2020年9月2日の「雨宮処凛がゆく!」掲載記事「第531回:安倍政権、終わる。〜格差と分断の7年8ヶ月〜の巻(雨宮処凛)」より転載。)


「うちには家庭の温もりはなかった。たまに親父がいると〝お化け〟みたいだった」(安倍晋三談*ジャーナリスト野上忠興氏とのインタビュー)

 アベノミクスは「見せかけ」だけの空虚なスローガンであった。普通の国は、権力者とメディアの社長が会食などしない。結局、大企業や多額の献金をできる成功者のための経済にして、円安・輸出有利になり、トリクルダウンなど落ちてこず、大企業や政治家や大金持ちだけ得する国にしただけ。官僚や政治家のモラルの低下・劣化。これが安倍晋三という政治家の生んだ国・アベノミクスの『美しい国』である。国民の政治への関心が低いと、現在だけでなく、将来も大変なことになる。安倍氏にまつわる数々の疑惑や犯罪は、彼の死で、いや、妖怪の孫の死で、ウヤムヤになった。自分の都合しか考えない印象操作に、愛国者とのプロパガンダーーーそれが安倍晋三のすべてである。

 アベノミクス三本の矢「大胆な金融政策」「機動的な財政出動」「民間投資を促す成長戦略」

 (2013年)「特定秘密保護法」

 (2015年)「安全保障関連法」………

 しかるに、安倍晋三元首相は2022年7月8日(金)の奈良市での参院選挙の応援演説において、背後から銃弾を浴びせられ、凶弾に斃れた。犯人は四十一歳の元自衛隊員の山上徹也容疑者(被告)で、密造散弾銃による暗殺テロだった。

 斃れた安倍晋三元首相は、病院で死去……享年六十七歳……

 あまりにも早すぎる英雄の死、で、あった。





第二部 日本国の課題と日本国内及び海外の事情

 問題解決のためのメソッド



菅内閣、短命に終わるこれだけの理由 スーパー世襲政党のロジックと無責任政治体制

全国新聞ネット 2020/12/22(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)

安倍晋三前首相は、数々の不祥事やスキャンダルに関して在任中一切責任を取ることなく、今もまた桜を見る会前夜祭の経費補てん問題の責任を秘書に押しつけて逃げようとしている。それでも「責任は私にある」と胸を張ることは大いに好んでいた。後継となった菅義偉首相はそれに比して、政府の対応や政策の最終的な責任が首相である自分にあると理解していないようだし、建前であっても首相としての責任を認めなくてはいけないことさえよく分かっていないようだ。(上智大学教授=中野晃一)

■染みついた体質

日本学術会議新規会員の任命拒否問題で6人を除外する前の推薦名簿を「見ていない」と言ってのけたり、コロナ感染の拡大と医療崩壊の危機のさなかニコニコ動画に出演し「ガースーです」とニヤついてみたりする。

いずれも首相としての責任を感じていたらできない所業だ。菅首相に染みついた責任感のなさは、官房長官としてあまりに長い7年8カ月間、安倍首相に代わり「全く問題ない」「適切に対応している」「その指摘は当たらない」と繰り返してきたからだろうか。

「ガースーです」と自己紹介した菅首相=12月11日(ニコニコ生放送提供)© 全国新聞ネット

 森友学園や加計学園、桜を見る会など、それぞれ一群を成す事件や疑惑は一義的には安倍首相による国家の私物化に起因するものだった。菅官房長官として職責上矢面に立たされていたのであり、どこか人ごとという投げやりな態度で済ませてきたのだろう。そうした「手腕」が評価されて政権が転がり込んできたのもまた事実である。

 田中真紀子氏の容赦なくも的確な評によれば「安倍家の生ゴミのバケツのふた」として安倍前政権から引き継いだ「臭いもの」にふたをし続けることが「菅政権の役割」ということだった。田中角栄元首相の娘だけに、自民党政治を熟知していると言わざるを得ない。

 菅内閣が、安倍政権から継承したものは、悪臭漂う「安倍家の生ゴミ」だけでなく、それらに「ふた」をするごとく、公文書を改ざんしたり破棄したり、国会で延々と虚偽答弁を繰り返したり、法の支配をゆがめ、説明責任(アカウンタビリティー)を放棄することがまかり通る悪夢のような「2012年体制」であると前に指摘した。

記者会見に臨む菅首相(右端)=12月4日、首相官邸© 全国新聞ネット

 その悪夢たるゆえんは、安倍首相の個人的属性と解されていた無責任な政治が、菅首相に継承され、内閣や政権の交代を超えるニュー・ノーマルとして常態化し、新たな政治体制(レジーム)として確立しかねないことであった。

 安倍政権の「使用人」根性が染みついたかのような菅首相には、当事者意識も当事者能力もなかった。

 安倍政権よりもある意味ひどいのではないか。そう感じさせる理由は、首相さえもが責任感もやる気も全くない「お客様苦情係」と化してしまった究極の無責任体制にあるのではないか。一般市民が「とにかく責任者を出してくれ」と絶望の叫びを挙げているような状況である。

 菅首相のリーダーシップの欠如などという生やさしい問題ではない。生ゴミのバケツのふたとしての功績が買われて首相になった人物が、発揮すべき指導力など持つわけがなかったのだ。

 ■終わらない悪夢

 さらに述べるならば、これは菅首相個人の能力だけの問題ではない。せっかく首相になれた以上、本格政権を作りたい意欲は抑えがたいはずだ。ましてや菅を首相にした二階俊博幹事長は、81歳にしてなおも権勢を維持するために菅内閣の存続に手を貸すことにやぶさかではなかっただろう。だが、政権運営は失敗。後任は岸田氏になった。

二階幹事長=9月1日、東京・永田町の自民党本部© 全国新聞ネット

 しかし実態は、老獪(ろうかい)な二階が、安倍や麻生太郎副総理らの一瞬の隙を突き、「菅総裁誕生」の流れを作ったに過ぎない。菅は、来年9月の任期切れで用済みとなった。

 なぜか。

 自民党の世襲政治である。1991年に就任した宮沢喜一以降、自民党総裁・総理はことごとく世襲議員であり、小渕恵三首相が倒れたさなかに密室の談合で選ばれた森喜朗だけが例外である。

 2006年に安倍が小泉純一郎の後を継いで以降、自民党は、単なる世襲ではなく、元首相の子か孫でなければ首相に就けないと思えるほどの「スーパー世襲政党」と化しているのである。

 菅もかつては世襲制限を掲げていたことがある。ところが、有権者もメディアもすっかりならされ、3世4世となる自民党世襲議員の圧倒的な特権は不問に付されるようになってしまった。

 何の実績もない小泉進次郎が初当選時から「将来の首相」扱いされ、滝川クリステルとの結婚に際して一部メディアが「将来のファーストレディー」と騒いだことの異常さは話題にもならなかった。

「桜を見る会」を巡り自らの秘書らが東京地検特捜部の任意聴取を受けていたことに関し、記者の質問に答える安倍前首相=11月24日、国会© 全国新聞ネット

 目下、東京地検特捜部の取り調べでけん制されている安倍にとって、菅は急場しのぎで留守を預からせただけで、使用人として見下しきっているのが実態だろう。事実、辞意表明直後に敵基地攻撃能力に関して談話を発表し、後任首相の手を縛ろうとした。

 このことだけでも常軌を逸しているが、辞任からわずか2カ月後の11月に衆院解散・総選挙について「もし私が首相だったら非常に強い誘惑に駆られる」とわざわざ言って注目を浴びた。永田町の常識で言えば、菅をよほどばかにしていなければ到底できることではない。

 最大派閥の清和会にいつでも復帰して会長に収まることができ、まさに「上皇」気取りなのであろう。本音では3度目の登板を諦めていないのかもしれない。

 同じく元首相の孫で自身も元首相にて今や8年の長きにわたって副総理兼財務相として居座る安倍の盟友・麻生は、党内第2派閥を率いる。

 配下として元総裁の子にして3世議員の河野太郎を菅の次の首相に押し込み、80歳でもなおキングメーカーとして影響を保持しようともくろんでいる。傲岸(ごうがん)不遜で知られる麻生が「たたき上げ」の菅を対等の人間として見ているとは到底考えられない。

麻生副総理兼財務相=9月11日© 全国新聞ネット

麻生派と並ぶ派閥の領袖(りょうしゅう)は竹下亘、竹下登元首相の弟(病死)である。二階が第4派閥の長だからと言って、平時に三大派閥を意のままにできるわけがない。

こうしてみると、世襲でなく、派閥に属さない菅は、安倍が政権を再び放り投げるという特異な状況でなければ首相になれなかったはずである。

側近と言えば、河井克行や菅原一秀らしかいない惨状で、自前の官房長官さえ選べなかった。加藤勝信は官僚出身だが、安倍の父・晋太郎の側近中の側近だった加藤六月の娘婿で、安倍晋三からすれば次の首相候補とすることを念頭に官房長官に据えさせたと見るべきだ。

もう一人、安倍や清和会(そして経産省、財界)が目にかけているのが、経済再生担当・コロナ対策担当大臣の西村康稔である。

西村も加藤同様官僚出身で、その岳父が吹田愰という岸信介の地元山口における側近で、吹田は岸の政界引退に際して選挙区で後継指名を受け国政進出を果たしたほどである。つまりやはり姻戚・血縁を通じて安倍・岸家の人脈だ。岸家と言えば、安倍の弟・岸信夫もまた防衛相として入閣している。

衆院予算委で日本学術会議に関する自身の答弁について協議する与野党の理事らを見る菅首相(左奧)=11月2日午後© 全国新聞ネット

何のことはない。国家の私物化が安倍の下で進むはるか前から、自民党の私物化・世襲化は行き着くところまで行っていたのである。菅に独自の政権基盤はなく、短命内閣で終わるだろう。そして短命で終わり、後任は〝安倍の犬〟の岸田氏だ。

しかし菅が引きずり下ろされたとしても自民党1強が続く限り、河野、加藤、西村あたりを後継首相にすげ替えて、有権者に対して一切責任を負わない2012年体制が存続することになる。2021年総選挙で立憲野党の共闘は有権者に選択肢を示せるのか。2020年の暮れ、あまりに寒々とした日本の民主主義のなれの果ての光景である。

参考:

■朝日新聞論座(2020年9月9日)「菅政権なら『安倍家の生ゴミのバケツのふた』田中真紀子氏が語る自民総裁選」

■47NEWS(2020年9月17日)「菅内閣誕生で完成『2012年体制』の悪夢 二階氏が後継指名した最大の狙いは」



コロナ対策で総理への視線が変化 霞が関が隠す最大級の爆弾

2020/06/02 07:05 (当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


 2つとも共同通信によるものだが、一つ目の5月25日のものは、〈首相(当時)官邸に報告した法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく「訓告」となったことが24日、分かった。複数の法務・検察関係者が共同通信の取材に証言した〉とある。

 もう一つは、スピード承認に前のめりになっていた「アビガン」に関するものだ。共同通信は5月20日の配信で〈(アビガンについて)国の承認審査にデータを活用できると期待された臨床研究で、明確な有効性が示されていないことが、分かった。複数の関係者が共同通信に明らかにした〉と報じた。

 こうした報道の背後には、これまで安倍官邸の支配下で〝忖度〝してきた官僚たちが潜んでいるとみられる。内部事情に詳しい者によるいわゆる「リーク」である。

 安倍首相(当時)はそうした「官僚の造反」に苦い経験がある。第一次政権当時、社会保険庁改革を打ち出した途端に「消えた年金問題」が発覚(2007年)して支持率が急落、自民党内から「社保庁役人のリークによる自爆テロだ」との声があがった。さらに天下り規制に乗り出すと、大臣の不祥事が次々に表面化して退陣に追い込まれ、「役人のリークで政権が潰された」(当時の閣僚)といわれる。

 そうした教訓から、首相(当時)に返り咲くと官邸に「内閣人事局」を設置して各省庁の幹部人事を一元的に掌握し、忖度官僚を出世させ、気に食わない官僚は容赦なく左遷する〝恐怖政治〝で官僚をおさえつけてきた。だからこそ、安倍首相(当時)やその〝虎の威〝を借りて行政を壟断してきた官邸の安倍側近官僚たちはこの状況に恐怖していたはずだ。元文科官僚の寺脇研・京都芸術大学教授が語る。

「コロナ対策で霞が関の総理への視線が明らかに変わった。総理は全国一斉休校を文科省の反対を押し切って法的根拠もなく実施し、クルーズ船への対応でも、厚労省内からおかしいという批判があったが、聞き入れなかった。挙げ句にアベノマスクというアホな政策に466億円。さすがに霞が関の官僚もこのままでは危険だと考えていた。

 これまではモリカケ問題などスキャンダルに口をつぐんできたが、総理の独断を止めるために過去の不祥事の決定的な証拠が明らかにされる可能性もある」

 その霞が関が隠し持つ最大級の〝爆弾〝が「桜を見る会」の招待者名簿だ。総理や昭恵夫人が、誰を招待したのかの記録がある名簿は表向きシュレッダーで裁断、廃棄され、電子データのバックアップも消去されたことになっている。それが見つかれば大スキャンダルに発展するのは確実だろう。

「招待者名簿は省庁ごとに作成して保管されてきた。総理や昭恵夫人など官邸分の名簿は内閣総務官室の人事課が作成したが、機密指定されていない資料だから、他の役所の職員とも電子データでやり取りされていた。国会で問題化した後も公安などが名簿の一部をもとに内々に反社の出席者の確認に動いていたくらいです。

 どの役所も問題の名簿を探し、わが社(役所)の大臣官房は官邸分の名簿データを持っている。ないことになっているだけで、主だった役所は部外秘にして握っていると思う」(有力官庁の人事課職員)

 霞が関が〝さらば安倍首相(当時)〝と政権に三行半を突きつけた今、そうした爆弾資料が流出する。総理が強いときはいわれるまま〝疑惑隠し〝に加担しながら、弱ったとみるや裏に回って倒閣に動く。官僚組織が長年受け継いできた〝総理使い捨ての論理〝こそ、安倍首相(当時)にとって最大の脅威だったのである。

※週刊ポスト2020年6月12・19日号(引用)



安倍晋三の正体 「アベノミクスで経済が良くなった」「雇用が増えた」「GDP・税収が増えた」というのは真っ赤な嘘 『森友・加計問題』都合の悪いことをすべて隠ぺい

(毎日新聞記事参照)(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


 安倍晋三首相(当時)の主張で、「アベノミクスによって経済が良くなった」「雇用が増えた」「GDP・税収が増えた」というものがありました。ですが、「財政が良くなった」わけではなく、または、「雇用が増えた」というのは単に少子高齢化、労働人口が減ったということであった。世界第四位の〝隠れ移民大国〝ですが(笑)いわゆる『不法就労移民』の移民対策はドイツやフランスに学ぶ必要があります。それともこれが政府の移民対策なのか(笑)

「アベノミクスで経済がよくなった」というのは真赤な嘘でした。

例えば、日本の投資信託の保有額は減っていたのです。公式の発表資料より30兆円も少ないというのが金融庁の試算でした。

日銀の統計ミス。ミスは金融機関や、家計などの資産や、経済推移を示す「資金循環計」。この統計は年1回調査会社を見直す設定を行っており、2018年六月下旬の設定値を算出する際に誤りがあったのが見つかっているという。2005年以降の数値をさかのぼって改訂した結果、2017年十二月の家計の投資信託保有額は改定前の109兆1千億円から 76兆 4千億円へ約33兆円も減少した。個人金融資産に占める投資信託の割合も、改定前の2012年の3.8パーセントから、2017年には5.8パーセントまで上昇したことになっていた。が、実は 2010余年の4.6%をピークに、2017年は 4.1パーセントまで低下していたことが明らかになった。また厚労省などの『不正統計問題』も明らかになっている。統計のデータが出鱈目で、「アベノミクスによって経済が良くなった」「給料が増えた」というのがデマであることが問題となる。野党の追及にも安倍首相(当時)は嘘をつくだけ。イカサマだった。

ミスの元凶はゆう貯銀行の保有分だった。家計の保有額は、投資信託の総額から、金融機関などの保有分を差し引いて算出される。が、ゆう貯の保有分のうちこれまで「外国債権」としていた資金資産が投資信託であった。差し引きされるはずの分までプラスされていた。これがミス.の元凶である。

またIR法案、つまり総合リゾート・カジノの法案では、経済が良くなる「印象操作」があるが、カジノなど斜陽産業であり、経済効果はあまり見込めない。

また安部晋三氏の疑惑である『森友・加計・学園問題』は、全く解決していない。

「すでにない」という文章が見つかった、改ざん。森友学園………国有地を安く民間に売却?安倍首相(当時)及び安倍昭恵夫人が関与?

加計(かけ)学園問題………何故規制の厳しい獣医学部の施設が認められたのか?学園のトップは安倍晋三氏の親友であり、刎頚の友の加計孝太郎氏である。

どれも関与を証明する新資料や文章は出て来てはいない。安倍晋三首相(当時)は「自分や妻昭恵が関与していたら、首相(当時)も政治家もやめる」と、2017年に発言している。役人・官僚が、〝そんたく〝したのか……謎は残る。

「ポピュリズム(大衆迎合)」は2016年のトランプ旋風とイギリスの「EU離脱」旋風である。これは確かにポピュリズムだが、グローバルズムに疲弊した「国民の選択」であることは揺るがない。そして三年遅れること日本でも、欧米型のポピュリズムが現れ始めた。 

メディアに依存せず、「国民の不安」ばかりを煽る政治勢力。「消費税廃止」を旗印に選挙で躍進した「れいわ新撰組」「NHKから国民を守る党」である。安倍晋三首相(当時)は「国民の力強い信任をいただいた」と、いうが…。確かに、国民の不満は間違いなく高まっている。

十年前と比べ、非正規労働者は、350万人増の2120万人、全労働人口の約四割(38%)をも占め、貧困層(年収200万円以下)も900万人以上に達している。安倍氏は「悪夢のような民主党政権に戻すな」というが、アベノミクスをこれまで支えてきた「外需」が消えれば(米中貿易戦争で可能性が高くなった)、いつか景気後退や金融危機や雇用危機などの「経済危機」もあり得た。

また、れいわ新撰組の山本太郎代表は、「消費税廃止の財源はある!日本の富裕層への増税で財源は確保できる!」という。このひとは脱原発のときもそうだが、現実が見えていない……というか。欧米と比べて、日本の富裕層などほんの数パーセントしかおらず、大幅に富裕層に課税しても消費税1%分にも遠く及ばない。

結局、財源を確保するためには山本太郎氏が「みなさん」と声をかけている中間層や庶民からも税を取るしかない。

山本氏は見識が甘く、役に立たず、ピエロに過ぎない。自分に都合が悪い意見はすべてブロックし、「フェイクニュース」という。どこかの誰かさんと同じだ。

小泉進次郎氏は、何の実績もない「人寄せパンダ」に過ぎない。


  安倍首相(当時)、歴代最長政権で何をしてきた? 「嘘ばかり内閣」数々の愚策とお友達人事(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)

週刊女性PRIME [シュージョプライム] 2020/03/25 11:00


© 週刊女性PRIME 2003年、党幹事長時代に『週刊女性』の取材に応じた安倍首相(当時)。今と表情が全然違う

「7年間という長期政権で安倍さんは権力を持ちすぎてしまった。安倍さんを守るために官僚も大臣も平気で嘘をつき、国民ではなく安倍さんのための政治になっていた」

 山井和則衆院議員は第2次安倍政権をそう批判した。

 通算すると歴代最長の長期政権となり、権力を恐れる周囲は〝忖度〝をしていく。その様子を〝まるで戦前の日本だ〝と評する人もいたが、この異常な状況はいつから始まったのか。アベノミクスならぬ〝安倍の愚策〝を振り返る。

次から次へと政策の看板をかけ替える

「安倍さんは20年にわたるデフレからの脱却を至上命題として掲げ、これを実現するために〝金融緩和〝〝財政出動〝〝成長戦略〝という三本の矢を打ち出しました。株価が上昇して一見、成功しているように見えたアベノミクスですが、実際はそんなことはありません。株価対策として年金資金が80兆円以上も使われていたのです」

 と、ジャーナリストの須田慎一郎さんがアベノミクス成功の目くらましを解説。続けて、こう批判する。

「安倍さん同様に長期政権だった小泉(純一郎)さんは、5年半の任期中に郵政改革を、中曽根(康弘)さんは5年で国鉄民営化、佐藤栄作さんは7年半で沖縄返還を実現しました。政策のよい悪いは置いておいて、実際に掲げた目標はそれぞれ達成しています。じゃあ、安倍さんは何をしたの? というと標語を発表するばかりで、達成できたのか検証もないまま次から次へと政策の看板をかけ替えている」

 これまで安倍首相(当時)が掲げた標語は、

《デフレ脱却/三本の矢/女性活躍/地方創生/一億総活躍/働き方改革/人生100年構想/人づくり革命》

 などといったもの。

「どれも聞きざわりのよい言葉ですが、例えば〝人生100年構想〝は定年を70歳まで延長して、さらに年金の普及を遅らせる狙いがありました。

 〝働き方改革〝は電通の新入社員だった女性が長時間労働で自殺した事件や過労死が取りざたされ急きょでてきたスローガンです。長時間労働の是正や非正規社員の待遇改善がなされるのかと思いきや、現場企業を混乱させただけで9割の企業が働き方改革に成功していない(クロスリバー調べ)と答えていた」(政治評論家の有馬晴海さん)

数の力で押し切り、お友達は次々に出世

「安倍さんがしたことで、最も許せないのは憲法9条の法解釈を変えて集団的自衛権を合憲とし、自衛隊が専守防衛の枠を超えて武力行使できるようにしたこと。戦争に巻き込まれる国になったんです。大事なことなのに審議を尽くさず数の力で押し切っていく。まさに〝独裁政治〝でした」

 と、前出の山井議員。そんな〝独裁〝は数々の犠牲者を生んできた。

 安倍昭恵夫人の関与が囁かれ、国有地が大幅に値引きして売却された森友学園問題。

「籠池夫妻は昭恵さんと出会わなかったら逮捕されなかった。ほかにも赤木俊夫さんという方が犠牲に。彼は財務省近畿財務局の上席国有財産管理者という立場で、文書改ざんを強いられ自殺されました。改ざん前の文書には昭恵夫人の名前が繰り返し出ているのに、安倍さんが国会で〝私や妻が関係しているということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞める〝と言い放ったことが文書改ざんの引き金です」(山井議員)

 さらに52年間どの大学も認められなかった獣医学部を新設する『国家戦略特区』の指定について官邸の働きかけがあったとされる加計学園問題。いずれも周囲が安倍首相(当時)に〝忖度〝し、起きたこと。

 なぜ安倍首相(当時)の〝独裁〝が続いたのか。前出の山井議員は、

「安倍さんの意向に逆らうものは冷遇され、従うものは好待遇を受けるというお友達人事があったからです。

 例えば、与党内でも安倍さんに批判的だった溝手(顕正前参院議員)さんは、同じ選挙区に河井案里議員をぶつけられました。河井さんには1億5000万円もの選挙資金が投入され、溝手さんは落選。溝手さんを落としたことで夫の河井克行さんは法務大臣にまで出世しました」

 と、お友達優遇人事を批判した。しかも案里議員は、その選挙で公職選挙法違反を疑われ夫は法相を辞任。先日ついに夫妻の秘書も夫婦も逮捕された。

 山井議員は続けて、

「森友問題だって、自殺された赤木さんの上司の佐川局長は出世しています。安倍内閣では安倍さんのほうを向いて嘘をつけば出世できるから、みんな言いなりになる。これまで20年近く議員を務めていますが、こんなに嘘ばかりの内閣は初めて!

 お友達議員は大臣にふさわしくなくても次々に出世。口利き問題の甘利明さん、防衛省をあれだけ混乱させた稲田朋美議員も守りました」

 ほかにも〝お友達記者〝の山口敬之氏によるレイプ事件。

「山口氏に逮捕状が出たにもかかわらず官邸の鶴のひと声で取り下げられたと言われています」(全国紙社会部記者)

ツイッターで『#安倍辞めろ』がトレンド1位に

 昨年から今年にかけても、公費の私物化が問題視された 〝桜を見る会〝問題や、検察幹部の定年延長人事への介入問題など続々と疑惑が。

 国民はこの〝独裁〝に振り回された。

「順調にいけば、東京五輪を花道にして来年9月の満期まで首相を務める予定だったと思います。しかしコロナでの対応が後手にまわり、反感情は高まり。ある婦人団体は自民党に〝一刻も早く総理をお辞めになってください〝と手紙を出したそうです」(前出の須田さん)

 ツイッターでも『安倍辞めろ』というハッシュタグがトレンド1位になったが、数時間後には圏外になるという不思議な現象が起きた。

「絶対的権力は絶対的に腐敗する」(イギリスの格言)

 忖度国家に警鐘を鳴らすのにぴったりの言葉だった。

 そして、安倍氏には天誅が下ったのか、病気悪化(潰瘍性大腸炎)し、首相辞任となった。後任は菅義偉官房長官(当時)で、たたき上げの苦労人総理と人気が出た。

 だがすぐに、メッキが剥げ、辞任。後任は岸田文雄氏だった。

第2次安倍政権と〝独裁〝疑惑の数々

■2012年

12月 第2次安倍政権スタート

■2013年

12月 特定秘密保護法を強行、国民の〝知る権利〝が脅かされることに

■2015年

3月 安倍政権を批判していた元経産省の古賀茂明氏はレギュラー出演していた『報道ステーション』を降板させられたとし、自身の最終出演回に「I am not ABE(私は安倍首相(当時)ではない)」と書いた手製のパネルを掲げた

6月 安倍首相(当時)の元番記者の山口敬之・元TBSワシントン支局長に出されていた準強姦逮捕状を握りつぶす(伊藤詩織さんレイプ事件)

9月 集団的自衛権の一部行使容認を含む安全保障関連法が成立

■2017年

2月 国有地売却をめぐる森友学園問題が発覚。首相(当時)の妻・安倍昭恵氏の関与が焦点に

5月 獣医学部新設をめぐる加計学園問題で「総理のご意向」文書が発覚

6月 共謀罪法を強行

■2018年

3月 森友問題で財務省の公文書改ざんが発覚

12月 沖縄・辺野古への米軍新基地建設で埋め立てを強行

■2019年

7月 衆院選で改憲勢力3分の2を割るも与党過半数を維持/安倍首相(当時)に批判的なことを言った一般人が複数の警察官に取り囲まれる事態に

11月 桜を見る会問題が発覚/'16年当時に安倍首相(当時)の元秘書の子息とトラブルを起こした相手が暴行容疑で逮捕されていたことが発覚(通常なら口頭注意ですむようなケンカだったと言われる)

■2020年

2月 従来の法解釈を変更し、東京高検の黒川検事長の定年を半年延長。官邸に近い黒川氏を次の検事総長にするため!?

3月 コロナで小中学校一斉休校要請 新型コロナ対策特別措置法施行

 安倍首相辞任


安倍首相(当時)のご飯論法をパクる片山氏の口上

©プレジデントオンライン編集部 (当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)

2018/11/17 11:15

 2018年11月14日、衆院内閣委員会に臨む片山さつき地方創生担当相(当時・手前)と桜田義孝五輪担当相(当時・写真=時事通信フォト)© PRESIDENT Online2018年11月14日

「門前の小僧、習わぬ経を読む」とはこのことか。安倍内閣の閣僚たちが行う国会答弁が、安倍晋三首相(当時)に似てきていた。「1強」といわれる力を背景に野党を見下したような答弁を続ける安倍氏が得意としたのは「ご飯論法」。相手の質問の趣旨をはぐらかして、ずれた答弁をする手法だが、野党から集中砲火を浴びる片山さつき地方創生相らも、ご飯論法を使い始めた――。

流行語大賞の候補にもなった「ご飯論法」とは、まず「ご飯論法」とは何なのか、復習しておきたい。AさんがBさんに「今日、朝ご飯食べた?」と聞いたとする。

Bさんは朝、パンを食べた。しかし、ある事情でAさんに朝、食事を取ったことを伝えたくない。その時、Bさんは「今朝は、ご飯は食べていません」と答える。これが「ご飯論法」だ。Aさんが聞いた「ご飯」は、コメかパンかを聞いているのではない。「朝食」を取ったのかを聞きたかったのは明らかだ。だから本来なら「はい。食べました。パンを食べました」などと答えるべきだろう。

ところが「ご飯」をコメという意味で聞かれたと意図的に解釈して否定的な答えをするのが「ご飯論法」のミソだ。

「加計理事長との食事は問題と思うか」という質問をはぐらかす。安倍氏は、今年の通常国会で、この手法を使った。

例えば、ことし5月の衆院予算委員会のやりとりを紹介しよう。加計学園の加計孝太郎理事長と食事をするようなことが問題だと思うか、という野党議員の質問に対し安倍氏は「食事をごちそうしてもらいたいから、国家戦略特区で特別にやるというようなことは考えられない」と答弁。

質問者が聞いているのは、利害関係人となる可能性のある加計氏と食事することの是非なのだが、食事をごちそうになるために便宜供与することはない、と論点をずらしている。

安倍氏が「ご飯論法」を駆使することは労働問題に詳しい上西充子法政大教授がツイッター上で紹介し、広がったといわれる。「ご飯論法」は2018年のユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされた。

「看板大臣」片山さつき氏が多用している。「ご飯論法」は今国会でも散見される。最たる例は片山さつき地方創生担当相。片山氏の写真付きの巨大な看板が、さいたま市にあり、公職選挙法違反の疑いがあるという指摘を受けた11月7日。片山氏は「書籍発売時の宣伝広告であり、政治活動のためのものではない」としたうえで、同じ看板はさいたま市の1カ所しかないと思うと答えていた。

しかし2日後に浜松市や名古屋市にもあったことが判明。「虚偽答弁だ」との指摘を受けた。これに対し片山氏は浜松市や名古屋市の看板が、違う書籍の宣伝のためのものだったとしたうえで「この書籍の看板、これと同じものは、ここ(さいたま市)にしかありませんと明確に申し上げた」と釈明した。

看板はあるけれど、全く同じ看板はない、というのは立派な「ご飯論法」だ。

曖昧な答弁をしたり、同じ内容を繰り返したり。片山氏は国税庁への口利き疑惑で「私設秘書」として仲介したとされる人物について「秘書ではない」と否定。ただしその後の答弁で、この人物は私設秘書用のバッジが交付されていたことが判明している。これにも「ご飯論法」という指摘が出た。

片山氏と並んで国会で追及を受ける桜田義孝五輪相(当時)も、質問とずれた答弁を繰り返しているが、これは計算して「ご飯論法」をしているのか、単純にかみ合わないだけなのかは分からない。

他の閣僚たちも、怪しげな答弁をすると、直ちに、SNSなどで「ご飯論法だ」などと拡散された。最近は、厳密に「ご飯論法」とは言えないやりとりでも、曖昧な答弁をしたり、同じ内容を繰り返していたりすると「ご飯論法」と認定されることもある。閣僚たちも大変だった。

いつまでも同じような質問ばかりする野党

「ご飯論法」が横行する状況は、野党にも問題がある。今年に入り通常国会では「森友」「加計」問題の追及が続き、秋に臨時国会が召集されると片山、桜田の2人を中心にした新人閣僚への批判が行われてきた。

しかし、その間、野党の追及によって辞任に追い込まれた閣僚は1人もいなかった。野党側が、一撃で仕留める材料を持たず、報道された疑惑を元に質問することが多いから、閣僚の方も、のらりくらりとかわしていればゴングに救われる。だから「ご飯論法」のような答弁が続発するのだ。

そして有権者たちは問題閣僚たちに怒りを感じつつも「いつまでも同じような質問ばかりしている」と野党にも不満を持ち、内閣支持率は底割れしないでいる。

片山まつり、桜田まつりでモリカケ追及が止まっている

国会の現状を一番喜んでいたのは安倍氏だったかもしれない。もちろん片山氏や桜田氏が連日テレビや新聞で、おもしろおかしく扱われることは政権にとってはありがたいことではなかった。ボディーブローのようにダメージは蓄積された。そして、今後の展開しだいでは2人は辞任に追い込まれるかもしれない(桜田大臣は辞任した)。

安倍氏が、さほど片山氏らをかばおうとしていなかった。いずれにしても2人が辞任しても政権の致命傷にはならない。致命傷になり得るのは安倍氏と直結する問題である「森友」と「加計」だった。

野党が片山、桜田の両閣僚の問題に意識が集中し過ぎると「森友」「加計」の追及が止まる。今のままで臨時国会が閉幕すると「森友」「加計」は過去の疑惑という印象が強くなる。これは安倍氏にとっては好ましいシナリオだった。

また、インバウンド(訪日外国人)で外国人観光客を4000万人にまで増やす、というが、その4000万人の観光客をサポートするためには、既存のホテルや旅館などでは足りず、民泊というものが必要になる。しかし、民泊の規制は厳しく、ほとんど機能していない。

いまは新型コロナウィルス騒動で、経済危機だった。

また、プライマリーバランス(国の基礎的財政収支)の黒字化も、2025年で黒字化といのは、どだい無理である。イタリアより悪い状態の日本国の借金は、一千兆円(個人金融資産は1800兆円)。そして、企業の内部留保は 446兆円といわれている。

「民主主義の根幹」を支える国民共有の知的資源である公文書の改ざん問題。学校も、森友学園・加計学園への国有地売却に関する決裁文書を、財務省が、答弁に合わせて書き換えていた。いわゆるそんたくであり改ざんだった。

トップ官庁による前代未聞の不祥事は、行き過ぎた政治主導の末路か。

国会をないがしろにしてきた与党の対応に野党は反発し、安倍晋三政権の屋台骨がきしむ。森友学園の学校建設費用に国有地が鑑定評価額から約8億円もの値引きで売却されていた問題が、2017年二月に発覚。安倍首相(当時)の妻昭恵氏が小学校名誉校長を務めていたことから、国会で野党が追及した。

が、首相(当時)は、「私や妻が関与していたら政治家も首相(当時)もやめる」と反論。佐川宣寿(のぶひさ)・財務相理財局長(当時)は売却は適正だったと答弁し、交渉記録は廃棄したと主張した。

書き換え疑惑の表面化後、近畿理財局職員が自殺し、佐川氏が国税庁長官を辞任した。

また、日本国は危機的な未来を抱えている。35年後1億人を割り込む人口減。つまり、2055年問題である。

人口減がなぜ深刻なのか。人口が減少すると経済規模も小さくなるという考えがあるため、国民が「縮小する国家」のようなイメージを持っているということである。

これまでの社会システムは、人口増を前提に作られていた。都市計画も都市の膨張圧力を抑えるため、開発許可制度などを投入しており、現在のように、人口減で中心市街地の空洞化が進むような状況には適合しない。

人口減は少子高齢化ということで、老人ばかりになり子供がほとんどいなくなるということである。また、東京への一極集中というものも危機をはらんでいる。地方への分散は、地震対応でも、これは必要である。

阪神淡路大震災・東日本大震災…これらのことから教訓として学ぶには東京一極集中では危ないという事である。

2019年十月には消費税が10パーセントになったが、消費税を増税した分を、社会保障に充てることは当然だ。が、それを、教育費無料や次世代への投資へつなげることも当然の起結である。

また、安倍政権は、憲法を改正し自衛隊を軍隊として明記した。

そして、「自衛隊は軍隊ではない」などという詭弁を改めるということでは必要なことである。

しかし、それが目的となっては何かしら危ないのではないか?

と国民は思うのではないか。

教育無償化についても、財源が乏しく、補償の明記があいまいで、学者の中には、「まずは5歳児の義務化を」という主張もある。

が、一方で財源が大量に必要という考えもある。

また地方自治体の活性化の問題や、観光立国への問題、地方自治体の財源の問題など密接に絡んでいる。

地方自治は憲法では具体的権限が明示されていなく、また、地方自治体の権限もきわめてあいまいなものである。

また日本の社会は、きわめて人に厳しく冷たい社会のようになっており、自殺者が年間 3万人ということになっている。これも改めなくてはならない問題である。

国家戦略と岩盤規制改革問題が成長の起爆剤にならずという問題もある。

いわゆる特区ということであるが、これは、官僚がやりたくない時に「特区…特区…」というのであり、 政治家や官僚が是非ともやりたいのであれば、『地方特区制度』などというものを詭弁で使う必要はない。

また共謀罪のイメージであるが、これはテロを起こす前の準備段階で警察や機動隊自衛隊が動くということである。今日的なイメージは(放火テロを想定すれば)、*計画(合意)…組織で犯罪集団が例えば放火を具体的に計画*準備行為…現場の下見や放火に必要な石油の購入資金を用意*予備…放火で使用する石油を購入し、現場付近で待機*未遂…建物、建造物に放火するも火が燃え広がらす*既遂…放火し建造物が燃える。ということ。

また人生100年時代と社会保障ということで、自民党の衆議院議員小泉進次郎氏が「子供手当・こども保険」の構想を立てたが、なかなか進んではいない。

これは「シルバー民主主義(高齢者の優遇政策の改革)」にもメスを入れようというものだが、これには財政上や憲法上の問題が絡み、なかなか前に進んでいない。改革は道半ばといってよい。

さらに人口減少をどうとらえるかということが問題となる。教育改革で生産性を高め、若者を呼べる面白い街をつくる。目標としては正しいが、正しいだけでは戦略とはいえない。

また民法の改正案の骨子をまとめてみよう。*消減時効…業種ごとに異なる時効を、原則として「知った時から5年」に統一。*法定利率…年5%の固定制から年3%変動制に。*保証…事業用の融資について、第3者の個人を保証人とする場合は、公証人による意思確認が必要。*約款…消費者に一方的に不利な条項は無効。*意思能力…判断能力を有しない人がした法律行為は無効であることを明記。*敷金…家主は賃貸借が終わった時に返金しなければならない。借り主には経年劣化の修繕費を負担する基部はない。

また、日本には女性議員・女性政治家が少ないが、これはいわゆる「クオーター制の導入」ということでいいのではないか。

女性がマイノリティーであることは、どの世界でも同じだが、日本の政界やビジネス界でも女性が活躍することは難しい。

これは性差別的なことも絡んでくる。であるからには、女性が活躍する社会をつくるためには、ある程度女性が有利になる社会基盤・社会保障が必要なことは火を見るより明らかである。

また社会保障では 、ベーシックインカムという考えが、非常に、ポピュラーな考えとなるが 、ベーシックインカム制度は、新たな社会保障の仕組みとして有効なのではないかと思われる。詳しくは学者の研究を待たなくてはならないがベーシックインカムは非常に有効な社会基盤であると確信する。

また、日本の金融緩和や財政破たんへの懸念である。

が、これは日銀のマイナス金利、もしくは金融緩和の出口戦略にかかっている。難しい問題だが、日銀や財務省には是非とも頑張ってもらいたい。

また幼児教育の無償化であるが、「許可外」を外せば不公平が拡大し、待機児童対策を両立で進めなければ問題は解決しない。そしてどう解決するか?これがなかなか難しい。

自民党の憲法9条の改正が一つの安倍晋三内閣の支柱のようなものになっているが、憲法改正したからといって、急に、「戦争ができる国」になるわけでも「戦争を望む」わけでもないだろう。

いわゆる左翼と呼ばれる人たちは、憲法を改正したということだけで「戦争する国にするのか? 安倍晋三は独裁者だ」「戦争法案」などと騒いだ。私は安倍晋三氏をかばうわけではないが、憲法改正したからとて「戦争賛成! 戦争しよう!」ということではないであろう。それはあまりにも幼稚な考えだ。

また人工知能をAIというものも、我々の仕事にとって重大なことになってくる。AIを考えないビジネスというものは、これからなくなってくるであろう。また、話しは変わるが安倍一強政治から 7年以上がたとうとしていた。

この間、「安倍独裁」などと言われるが、それは野党が情けなく弱い立場であるためであったし、安倍晋三首相(当時)が返り咲いた、その前の民主党政権が、あまりにもひどすぎた。民主党の失敗を反省しないかぎり、野党がふたたび政権を握るということは二度とないであろう。

また、安倍晋三氏も森友・加計問題などで不誠実な答弁に明け暮れて、嘘に嘘を重ねたということは支持率の低迷につながった。病気悪化が原因とはいえ首相辞任は当然だ。

また政治主導や官邸主導というものであるが、政治家および官僚が、パワーバランスによってバランスのとっている状態がいいのであって、官僚だけが主導していたり、政治家だけが主導していたりといった状況では、これまた困ったものだ。

官僚主導の幻想は覆う必要はない。

しかし、ゆがみが招く国民の不信感というものを考える必要がある。

安倍晋三氏が自民党総裁選に勝利して、首相(当時)の座に返り咲いた2012年は、日本が二つの危機に直面していた時期だった。

一つはもちろん戦後最大の自然災害である東日本大震災からの復興。もう一つは中国によって日本の主権が脅かされた尖閣諸島問題だった。

経済政策「アベノミクス」の成果については、見方が分かれるだろう。また果たされなかった公約も枚挙にいとまがない。日本はもはや経済的にも技術的にも成長の余地がないと将来を悲観していた多くの国民の意識を転換する必要があるということを、首相(当時)は的確に理解していた。ただ安倍氏が辞任し、後継者の菅義偉首相は、近い将来、トランプ氏(当時)と対峙しなければならない局面があった。だが、政権交代で、ジョー・バイデン氏とだ。が、短命内閣で辞任し、後任は岸田文雄氏に。また首相(当時)は憲法改正を焦点にしていた。憲法9条の第二項(戦力不保持を残しつつ自衛隊を明記する案)だ。

確かに「自衛隊を戦力ではない」とみなすのは不見識で偽善的な感じがする。とはいえ、国民の関心ごとは集団的自衛権の行使ではないか。憲法解釈の変更に基づいた集団的自衛権の行使容認の是非を、議論してほしい。

かつて首相官邸には、首相と官房長官、副官房副長官の3人しか政治家はいなかった。官邸はすこぶる身軽で風通しが良かった。しかし、官邸機能強化の名のもとに官邸が肥大化し、内部の透明性が薄れ、伏魔殿化する恐れが出てきている。国民はだれがまともなことを言っているのか判断する必要がある。

また首相(当時)に関係する人や、近い人・業者への「利益の配分」や、それに対する倫理的な問題が出てきたとき、政権が自ら襟を正すことができなかったことも明らかになった。

政権構築時に首相(当時)周辺に強いチームを作ったことが逆に弱みになっている。

不祥事などで辞任するメンバーが大勢出て、軍師は少しずつ減っていった。

対外的には、谷内正太郎(後任・北村滋) NSC局長や危機管理は菅義偉官房長官が主力だ。政権に対する別系統の政策論改革論が登場した。行政改革も主要な議題の一つだった。また国会改革も必要だった。

これらの改革は安倍首相(当時)にとっては、前面に打ち出して議論をさせることが避けたいのではなかったのか。もちろん、トランプ米政権(当時)の性格から、軍事的危機が起きれば米国は自衛隊に相当な関与を要求するだろう。その意味で、憲法改正も行政改革も国会改革も議論する環境になっている。今後の日本を方向付けるいくつかの路線がより明確になってくるだろう。菅義偉氏の腕の見せ所だ。



NEWSポストセブン

安倍首相(当時)がもう一人の祖父「安倍寛」のことを口にしなかった理由

2020/08/26 11:05(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)

祖父は「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介・元首相(当時)、父は「政界のプリンス」こと安倍晋太郎──。安倍晋三・首相(当時)(65)の華麗な血脈はつとに有名だ。しかしその一方で、父方の祖父である「安倍寛(かん)」の名が語られることは少なかった。その「もうひとりの祖父」は、戦時中に反戦・反骨を貫いた政治家だった。なぜ安倍首相(当時)は祖父・寛について沈黙を貫いたのか。父・晋太郎の番記者だったジャーナリストの野上忠興氏が、豊富な証言から読み解く。(文中敬称略)


総理大臣・安倍晋三(当時)の地元、山口県下関市の北部に、日本海に浮かぶ風光明媚な角島(つのしま)がある。今年3月に合併のため廃校になった角島小学校の旧校長室に、その肖像写真は今も飾られている。

〈材木商 安倍寛氏〉写真の人物は晋三の父方の祖父にあたる寛だ。小学校のホームページには、こんな説明がある。

〈なぜ、安倍氏の写真が角島小学校にあるかというと、焼失した初代の学校校舎を新築した際に、その材木の調達を一手に手がけられた方だからだそうです。角島の方は受けた恩義を忘れない人達なので、こうしてずっと写真を引き継いで来られたのでしょう。いろんなところで、いろんな人とつながっているのですね。

 ご縁があるから、安倍首相(当時)も閉校式にちょっと来てくださればいいのに…。お忙しそうだから無理でしょうね、やっぱり〉

 新型コロナのために3月8日に予定されていた閉校式は中止され、角島小は終業式をもって創立146年の歴史に幕を閉じた。下関市教育委員会によると、晋三には特に式典や閉校の案内は出していなかったという。

 安倍寛は角島の隣の旧日置村(現在は長門市油谷)で多くの田畑や山林を所有する地主(庄屋)の家に生まれ、戦前、日置村長や山口県議、衆院議員を歴任、1946年(昭和21年)1月に議員在職中のまま病気のため死去した。享年51。戦後の第一回総選挙に出馬を準備しているさなかだったとされる。

 角島小の旧校舎が建て替えられたのは45年(昭和20年)3月であり、寛の〝最後の仕事〝だった。当時、長男の晋太郎は20歳。晋三が誕生する9年前のことだ。

 晋三は「政治家としてのルーツ」として母方の祖父・岸信介のことは折に触れて熱く語ってきた。著書『美しい国へ』(文春新書)でも、岸との思い出が多く語られている。ところが、「昭和の吉田松陰」「今松陰」とも呼ばれたもう一人の祖父・寛については、ほとんど語ったことがなかった。幼い頃から可愛がってもらった岸と違って、寛は自分が生まれる前に亡くなっていたという事情があり、それはある意味自然かもしれない。

 しかし、それだけが理由とは思えない。

 晋三の父で外務大臣や自民党幹事長など要職を歴任した晋太郎の番記者を長く務めた筆者は、晋太郎時代から安倍家に仕えたベテラン秘書がこう嘆くのを聞いたことがある。晋三が父の後継者として旧山口1区から衆院選に出馬した時のことだ。

「選挙区の古い後援者には岸さんより寛さんのほうが、はるかに人気があった。それなのに晋三君は岸さんのことばかり。だから、本人に『あんたは岸のことばかりいうが、安倍家のおじいちゃんは寛さんだ。戦争中、東條英機に反対して非推薦を貫いた偉い人だ。もう少し寛さんのことも言ったらどうか』と何度も伝えたのだが、頑として言おうとしないんだな」

 それどころか、晋三が祖父・寛の存在から目を背け続けた結果、現在、山口では寛の足跡を研究することさえ〝タブー視〝されるようになっていたという。地元の有力な郷土史家が匿名を条件に語ってくれた。

「安倍寛は東條英機に立ち向かった8人衆の1人で、山口の偉人としてもっと脚光を浴びてもいい人物です。しかし、以前に朝日新聞系の出版物で寛が取り上げられ、それを読んだ安倍総理が怒ったという話が伝わって、県内では歴史に残る人物としては扱われていない。研究者もいないし、地元のメディアも、首相(当時)への忖度でこの人物を取り上げるのはタブーになっていた」

 同姓の祖父の歴史上の足跡が消されようとしているというのである。

「反戦」を貫いた政治家

 安倍寛とは、どんな政治家だったのだろうか。寛について触れた数少ない出版物の一つに、昭和期に活躍した山口県出身の794人の業績をまとめた小伝集『昭和山口県人物誌』がある。そこでは、寛が短くこう紹介されている。

〈県営畑堰工事、農民修練場の誘致、農士園の開発、入植などの業績をのこす。昭和十年山口県議、十二年衆議院議員当選。十七年再び当選。商工省委員・外務省委員などを務め中央政界において活躍〉

 しかし、この記述だけでは人物像が浮かんでこない。

 筆者はかつて、安倍晋三の評伝執筆のため、晋三の乳母兼養育係を務めた久保ウメに複数回ロングインタビューをしている。生家が安倍家と近く、晋太郎と小学校の同級生だったウメは、寛に可愛がられたことをよく憶えていて、こう述懐したことがある。

「(寛さんは)とてもハンサムでね。上京するたびに当時は珍しかった生のパイナップルなど色々なお土産を持ってきてくれたものでした」

 寛は写真でもわかるように垢抜けていた。若い頃から脊椎カリエスや結核に苦しみながら、地元の要請で村長になり、地域の高等小学校の講堂を寄附したり、隣村の角島小学校の校舎再建に力を尽くすなど、地元に貢献した篤志家として語り継がれている。だが、その政治家としての真骨頂はなんといっても戦時中に〝反戦〝を唱えたことだろう。

 1937年(昭和12年)の総選挙に「厳正中立」を掲げて無所属で初当選した寛は、国会で新人代議士とは思えない大胆な行動をとった。翌38年、近衛内閣の国家総動員法の審議で西尾末広(戦後の民社党委員長)が、「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、確信に満ちた指導者たれ」と賛成の演説をした時のことだ。

 筆者と同時期、福田赳夫率いる福田派(清和会)を担当していた畏友・木立眞行氏(元産経新聞記者)が書いた晋太郎の評伝『いざや承け継がなん』の中で、国会で寛と行動を共にしていた赤城宗徳(元農相)がこう述懐している。

〈そのときアベカン(寛のニックネーム)は、〝反対〝と叫んで議席をポンポン飛んで、議長席に駆けあがったんだ。カリエスで、コルセットを巻き、歩くのがやっとだというのに、どこにそんな力があったのかねェ……〉

 そして代議士2期目となる1942年の総選挙では、大政翼賛会の推薦候補が大多数を占める中、東條内閣に反対して翼賛会「非推薦」で立候補し、特高警察に監視される中で当選を果たす。筆者は息子だった晋太郎から、この時の選挙の苦しさを聞いている。

「旧制中学4年生だった俺も、親父の選挙事務所に寄ったりすると警察官からしつこい尋問を繰り返し受けた」

 とりわけ晋太郎が多としていたのは、父・寛が選挙後にとった毅然たる行動だ。

 当選した寛に旧知の大政翼賛会の大物議員から当選祝いとして3000円の電報為替が送られてきた。巡査の初任給が月給45円だった時代、現在価値で1000万円を超える大金である。

「家には選挙をするのも大変なほどカネはなかったが、親父は『非推薦なのに祝いはもらえん。お前、返してこい』と受け取らなかった」(晋太郎)

 晋太郎は郵便局に行き、為替を送り返したことを明かしていた。

信介と寛、両祖父の邂逅

 寛は政界で同じ非推薦の三木武夫(元首相(当時))や前述の赤城らと行動をともにしたが、戦時下の国会では非推薦議員は質問や発言の機会をほとんど与えられなかった。

 その頃、東條内閣の商工大臣として飛ぶ鳥を落す勢いだったのが安倍のもう一人の祖父・岸信介である。岸は寛より2歳年下だ。政治的立場が正反対だった寛と岸は、戦況が悪化していた1944年秋に会っている。

 その頃、東條と政治路線で対立した岸は内閣改造を失敗させて東條を退陣に追い込むと、野に下って「防長尊攘同志会」を組織し、地元の山口県内を遊説して回っていた。その途中で、病気療養中の寛を見舞ったのだ。商工次官、大臣を務めた岸と、同じ山口県選出の代議士で衆院商工省委員だった寛は、以前から顔見知りだったとされる。

 ただし、このとき2人が意気投合したという記録はない。前掲書『いざや承け継がなん』には同席者のこんな証言が記されている。

〈お見舞いにすぎなかったような気がする。その時はまさか、寛の息子と岸の娘が一緒になると思わなかった〉

 では、岸の目には、寛はどんな政治家に映っていたのだろうか。後年、岸は回想録『岸信介の回想』で寛についてこう記している。

〈この安倍寛というのは〝今松陰〝と称せられた気骨のある人で、ただ結核で五十くらいで亡くなった。とにかく三木、赤城は安倍の子分だ。だから三木武夫が総理のときもわざわざ安倍の親父の寛の墓参りまでしてくれたよ〉

「反戦」より「父への反発」

 岸と寛が会談した前後、晋太郎は東大法学部に入学(1944年9月)と同時に海軍滋賀航空隊に飛行専修要務予備生徒として入隊し、翌1945年春、全班員とともに特攻隊に志願する。

 家族に別れを告げるために帰省した晋太郎は、寛から「戦争は負けるであろう」という見通しを伝えられた。「敗戦後の日本には若い力が必要になる」とも。その後も、寛は特攻に志願した一人息子に会うために病をおして何度か滋賀航空隊に面会に出向いている。

 出撃前に終戦を迎えて生き残った晋太郎は、1951年に岸の娘・洋子と結婚。1954年に晋三が生まれる。そして、寛の死から12年後に、その遺志を継いで代議士となり、1974年に父の盟友だった三木武夫内閣で農相として初入閣する。岸が「三木がわざわざ寛の墓参りをしてくれた」と語ったのは、この時のことだ。

 バランス感覚に優れた晋太郎は「俺は外交はタカだが、内政はハトだ」と常々話していたが、生涯、「岸の娘婿」と呼ばれることを嫌い、「俺は安倍寛の息子だ」と誇らしげに語っていた。

 筆者は特攻隊に志願した時のことを振り返った晋太郎から、「二度と戦争をしてはいけない。平和は尊い。それが生き残った我々の責任だ」と聞かされた言葉が、強く耳に残っている。

 自らの体験と「反戦政治家」である父・寛の背中を見て育ったことが晋太郎の〈政治の原点〉になるのは必然の流れだったであろう。

 岸信介は東條内閣の閣僚として「宣戦の詔書」に署名し、戦後は総理として日本の自立と復興に力を尽くした。一方、安倍寛は反東條の立場で戦争に反対した。この2人の祖父を持つ「政治的ルーツ」は、晋三にとって戦後日本の指導者として誇りになり、武器にもなるはずだ。

 父・晋太郎からも、祖父・寛の政治家としての覚悟や行動を聞かされて育ったはずである。それなのに晋三は、「岸の孫」であることは強調しても、「寛の孫」であるとは決して口にしようとしなかった。タカ派政治家としての立場から、いわば「反戦リベラル」的な思想の持ち主だった寛を〝政治的ルーツ〝と認めたくないからだろうか。そうとは考えにくい。

 なぜなら、冒頭で紹介したベテラン秘書の証言のように、晋三はまだ右も左も定まらない〝政治家の卵〝だった初出馬のときから、選挙戦で「安倍寛の孫」とアピールすることを拒否していたからだ。

 筆者には、父・晋太郎に対する反発が、父方の祖父・寛の否定につながっているように思えてならない。

 安倍父子の微妙な関係については、拙著(『安倍晋三 沈黙の仮面』・小学館)に詳しいが、晋太郎は幼い頃に両親が離婚、若い頃に父を亡くして育ち、愛情表現が不器用だった。息子・晋三も自分の考えを押し付けてくる父に反発し、距離を置いているように感じられた。

 そのことが、父が受け継いだ祖父・寛の反戦思想への反感につながっていたのではないか。

 晋三が若き日の共著『「保守革命」宣言』(1996年刊)の中で岸と晋太郎について書いた文章からその一端が読み取れる。少し長くなるが引用する。

〈父は大学以前の教育は戦前ですけれども、それ以降は戦後です。そうすると、戦争というきわめて悲劇的な経験をしていますから、そのことが非常に大きく思想形成に影を投げかけていたわけです。どうしてあんな戦争になってしまったのかとか、それに対する世代的な反省とか、そういう懐疑的な所がやはり多かった。

 けれども祖父の場合は、先の大戦に至る前の、ある意味では日本が大変飛躍的な前進を遂げた〈栄光の時代〉が青春であり、若き日の人生そのものだった。だから、それが血や肉になっている。その違いが実に大きかったわけです〉

 晋太郎の戦争体験を「非常に大きく思想形成に影を投げかけていた」と捉え、岸の青春時代を〈栄光の時代〉と呼んで憧憬を隠さない。そのうえで岸への傾倒の理由を、こう書く。

〈わが国の形として、祖父はアジアの国としての日本が、皇室を中心とした伝統を保って、農耕民族として互いに一体感を持ちながら強く助け合って生きていくという国のありようを、断固として信じていました。そのためには、自分は相当のことだってやるぞという感じがいつもあふれていた。それに強い感銘を覚えたことは事実です〉

 岸と同世代の政治家として、日本が戦争に向かう中で官憲ににらまれながら「反戦」を唱えた寛の思想や存在は、どこにも言及がない。

「私は確かに安倍晋太郎の次男です。しかし私は私として、今から一政治家として生きていく決意です。ぜひ、ご支援、ご支持をお願いします」

 初出馬のとき、晋三は父の後援会メンバーを中心とする集会で、ことさら父との違いを主張してみせたものだった。

 そのときすでに、本来なら岸とともに誇るべき祖父・寛の思想も、父の中の「思想形成の影」の部分として切り捨てていたのかもしれない。

 旧角島小学校の校長室に残る寛の肖像写真の背広の襟には、議員バッジがつけられている。

 山林地主ではあっても、材木商を生業にしてはいなかった寛の肩書きが、代議士兼村長ではなく、「材木商」となっていることも、この政治家の真の業績が地元でも忘れられつつあることを物語っているような気がした。

●のがみ・ただおき/1940年生まれ。1964年、早稲田大学政経学部政治学科卒。共同通信社社会部、横浜支局を経て1972年、本社政治部勤務。佐藤栄作、田中角栄両首相(当時)番を振り出しに、自民党福田派、安倍派を中心に取材。野党、外務省、自民党(2回)各担当キャップ、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任後、2000年にフリー。政治ジャーナリストとして月刊誌、週刊誌で政治レポートを執筆するかたわら、講義・講演活動も。著作に『安倍晋三 沈黙の仮面』(小学館)など。

※週刊ポスト2020年9月4日号


安倍政権の「外国人単純労働者の受け入れ拡大」は経団連のための低賃金政策

(古賀茂明氏記事参照)(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


自民党政権は、経済界の「人手不足だ! 労働者が足りない!(安くて質のいい)労働者を頼む!」の悲鳴に応えるように、これまでも国際的な水準よりも「日本の労働者の賃金」を安く抑える政策を一貫して行ってきた。

 生産年齢人口(15歳~64歳)の少子高齢化での減少への対応ということもある。が、基本的には、「構造改革なき延命策」として、競争力を失った日本の産業にこの政策が採られたというのが真実だ。

 どういうことか?

労働条件を向上させる方向に舵を切らなければならなくなるのは先進国の義務だ。

その根底には、生産年齢人口の減少で労働者の立場が強くなるということもある。また、経済的に豊かになり、社会全体に余裕が生まれ、より人間的な生活を保障すべきだという国民の声が高まる。

その国民の期待の声に対して、政治家や企業経営者が対応せざるを得ない。

 労働時間も短くし、賃金を上げ、休暇を増やすことにより、労働条件は全体的に向上するだろう。

しかし、企業にとっては、それは、負担増である。

生産性の向上によって、その負担が吸収できれば良い。が、そうした活力を失った産業・企業では、対応力がだんだん弱まり、「労働条件向上の流れを何とか止めたい」という欲求が高まる。企業体力の弱い中小零細企業では、より早い段階からこうした声が出てくる。

大企業もそうだが、企業体力の弱い中小零細企業ならなおのこと「(安い賃金で質の良い)労働者が欲しい」と願うだろう。

「働く意義のある仕事」なら、少しばかり賃金が安くても労働者は確保できるだろう。だが、低賃金で単純作業の繰り返しの工場労働や、運送や建築や農業などの「重労働」をしたがる日本人は少ない。

 こうした国内の構造的要因に加え、世界一といわれた80年代の日本企業も、90年代以降、国際競争の優位性を急速に失うという状況が生じた。

本来なら、日本の大企業はこの時点で、「(労働条件を引き上げても競争できる)ビジネスモデルへの転換」を図らなければならなかった。が、それをしなかった。

その転換にイギリスやオランダやドイツは20年以上を費やした。

が、日本は最初から企業転換を諦めた。そして、競争力を維持するために労働コスト引き下げるという、より安易な方向に逃げようと考えた。

 有名な「新時代の『日本的経営』」というレポート(95年に日経連が提出した)はこの動きを象徴する。レポートでは、正社員(正規雇用)中心の雇用から、残業代ゼロ法案でも問題とされた派遣などの切り捨て用雇用と高度な技術職のパート雇用を併用した新たな雇用戦略を取るべきだと提唱していた。今から20年以上前に大企業の経営者たちが描いた設計図通りに日本の雇用が動いたのである。

 日本にも企業経営者の団体だけでなく、労働組合という団体もいる。が、労働組合や社会的弱者の声を反映した政策を掲げる政党は、万年野党で、政権に就くことはほぼない。

一方、一貫して与党であった自民党は、企業献金と企業の選挙応援によって選挙を勝ってきた政党なのだ。企業の既得権と一体となった政策を採り続けてきたのは当たり前だ。

 だからこそ実施されたのが、企業の労働コスト削減を支援する「労働者派遣拡大政策」だ。

事実上、「正規雇用」から「非正規雇用」への大転換による労働コスト削減支援策である。これでほとんどの労働者が「非正規社員」となり、経営者達に搾取される原因となった。

また、「派遣労働」の改悪である。86年には、労働者派遣法が施行された。

原則派遣は禁止としながらも、例外的に、13業務については派遣を認めることになる。次に、99年の派遣法改正で、これまで専門的な仕事に限定されていた派遣対象業務が、製造業を除き、原則自由化。さらに、04年の改正では、製造業への派遣も解禁(建設、警備、港湾運送などを除くほとんどの職種で派遣労働を導入)することが認められた。

例外だった派遣労働が、ほとんど自由になったのだ。

派遣がこのようにして一気に拡大した。

この政策支援は企業にとっては、ありがたいものだった。

しかし、製造業の企業は、ほとんどがアジア諸国の工場や労働力や生産性の追い上げにあって、競争力に負け続け、有効な手も打てないまま、競争力を急速に失っていく。

不景気になれば派遣労働者は「企業の調整弁」として雇用をすべて切られた。

経営者の能力が著しく欠如していることが日本の産業の最大の問題だった。

が、誰もそれを気付きながら、治そうとも、改革しようとも、しなかった。

日本企業をさらに苦しめたのが、円高だ。競争力のない企業にとって円高は悪夢である。

2012年末に政権に就いた安倍政権は、アベノミクスの第一の矢として(企業の声に応え)異次元の金融緩和を掲げた。

お金をジャブジャブにして金利を下げるというのが目的だ。が、その本当の目的は円安だった。円は、一気に120円まで下がった。

 円高は確かに外国から輸入する企業にはありがたい、が、それよりも日本企業は円安のほうがありがたいのだった。

特に自民党の支持母体である大企業は、ほとんど輸出で儲けている企業ばかりである。また、中小零細企業も円安のほうがありがたいのだ。

つまり、国際的に見て、日本の労働者の賃金は3分の1カットされたことにもなるのである。円安とは、日本の価格がすべてドルベースで見れば大安売り状態になるのだ。

が、労働も当然のことながら安売りになるということを意味する。

 究極の労働高コスト切り下げ政策だともこれはある意味において言える。

輸出大企業はこれで一息つくと同時に、円安による大増益を実現してほくほくだった。

 が、円安が未来永劫進み続けるわけはない。結局、日本の企業の競争力がこれで蘇ることはなかった。

企業経営者が、単なるコスト競争ではない、「新しいビジネスモデルへの転換」を行うことができないまま、(政府のカンフル剤)派遣規制緩和、円安などを続けているから、その効き目がなくなると、また元の木阿弥になるのである。

 それでも、どうしてもやって行けない「駄目、駄目企業」のために繰り出されたのが、外国人労働者受け入れ拡大策である。

これまでも、ずっと、静かに外国人単純労働者を受け入れる政策を、自民党政権は続けてきた(3K労働環境への外国人実習制度という「奴隷」。「技能実習」で国際貢献というのは、真っ赤な嘘。低賃金単純労働者を労働生産性も上げることができない分野に供給する仕組みだ)。国営の「奴隷労働者派遣事業」。

技能実習生が、ブローカーに搾取され、労働現場でもブラックな企業に搾取されるという悲惨な例が、いくつかという話ではなく…まさに「奴隷労働」。

重労働で逃げ出せば、国外退去(追放)。間に入ったブローカーに搾取され、物凄い「低賃金労働」を強いられ、作業で手の指を切断しても「自己責任」。医療費さえ払わない。

まさに「奴隷制度」。

留学生が増えていると聞けば、「海外の勉強熱心な外国人のあいだで日本の人気が高まっているのか」と思う人が多いかもしれないが、それは全くの間違いだ。

大学生や大学院生などの高等教育機関の増加は非常に緩やかであり、圧倒的に伸びているのは日本語学校生だ。

過去5年では、3倍以上、増えている。

かなりの部分彼らは、コンビニやファストフードなどの飲食店でアルバイトをしている。日本で働くためにやって来ているという側面もあり、外国人労働者全体128万人のうち、学生アルバイトは23%も占めていて、アメリカなどに比べて日本の学生労働条件が非常に緩い。これらの政策は、事実上コンビニなどの業界を支援するため留学生を増やす政策になっているのだ。

「技能実習」も「留学」も、自民党政権が陰に隠れてやってきた「単純労働者導入政策」でしかない。

だが、これらを実施しても、なお、低賃金労働奴隷なくしてはやって行けない「低生産性産業」や「駄目、駄目企業・団体・組織」が大量に存在するというのが悲しい実態だ。

つまり、「外国人単純労働者」を増やすより、「能力のない経営者」をなくせ、ということだ。

元・日産のゴーン元・社長兼会長などのような毎年十億円以上貰っても更に搾取して、辞任の時には八十億円もらう予定だった……みたいなのが駄目を生むのだ。

〝即戦力か〝?〝外国人材法〝。

「人手不足」が深刻。これはある意味事実だ。

日本の会社の99%は中小零細企業だ。2025年度までに人手不足で127万社が倒産するという。中小企業は〝労働条件〝をよくしようとすると〝負担増〝で倒産したり、多くの仕事を受注しても倒産するリスクがある。

黒字なのに倒産する〝隠れ倒産〝も。

奴隷しかないところも多く、女性とか高齢者での活用でも無理なところも。実習生死亡「3年で69人」6人は自殺。

時給300円で二十時間労働させる悪質なところも。

悪質なブローカーへの厳罰化と、日本語教育や家賃の行政の保護など、外国人材の行政の支援が必要だ。

日本で労働する外国人は128万人。

そのうち工場労働が六割である。〝奴隷〝扱いする業者の摘発しかない。

悪質な業者やブローカーを排除し、〝労働環境〝を改善しなければ、「外国人労働に選ばれない日本」になってしまう。

できの悪い悪質な企業はつぶす覚悟でいてほしい。

「低賃金の温存とは、低生産性の温存と言い換えても良い」と古賀さんは言う。

古賀氏「「人手不足」と言うが、今、国会に出されている「単純労働者受け入れ法案」の対象となる14分野のうち、賃金、休暇、労働時間などで、他の分野に比べて非常に良い条件を提示している分野がどれだけあるのか。

もし、他よりも低い条件しか提示できないなら、そこに人が来ないのは人手不足の問題ではなくて、単に、低生産性の問題である。

この状況は、自民党が採ってきた経営者のための低賃金政策の当然の帰結と言って良い。

しかし、今回の法案は、来年の選挙に向けて、経済界を「買収」するためにはどうしても必要な法案だと、いまだに安倍政権は考えていたようだ。

選挙のために、できの悪い経営者の言いなりになっていたのだ。

 考えてみれば、安倍政権になって、12年から17年の間に実質賃金は4%以上下がった。これから上がると言うが、2019年10月の消費税増税で、また実質賃金は下がるだろう。

12年の水準に戻るのは相当先になりそうだった。

今の政策を続けている限り、日本の生産性は上がらない。生産性が上がらない中で実質賃金を上げるには、企業の取り分を減らして労働者の取り分を増やす(労働分配率を上げる)しかないが、それは永遠には続けられない。

 安倍政権は、今までの政策を根本から見直し、まずは、日本の企業経営者に、今よりもはるかに良い賃金、休暇、労働時間の条件を提示できる新たなビジネスモデルへの転換を強力に促す政策を始めたらどうか。」

 古賀さんの意見はまさに至言であったし、安倍政権の財界へのズブズブの関係ゆえの今回の「外国人単純労働者「奴隷」」「事実上の移民政策」であったといえる。

「日本に一番必要なのは、外国人単純労働者ではなく、高い労働条件を提示できる経営者だ。それができない経営者には退場を迫るべきだろう。」

古賀さんの意見にはさすがと唸るものがある。

流石は、と思うとともに自民党や安倍政権(当時)がここまで卑劣とは反吐が出た。

これで本当に「美しい国」といえるのだろうか? 首をひねらざるを得ない。


一般に、二世三世の議員には、自分が本当に実力で議員になったのか? というようなコンプレックスがあるのです。

彼らは、父を超えるということに対する意識がとても強いのです。

「親と同じ苗字」だから当選できた「親の七光り」で当選できた。と、有権者に見られているのではないかという屈折した思いがあるため、父親が達成できなかったかったことを達成して初めて、「自分は実力があるんだ」ということが確認できるわけです。

その典型がブッシュ大統領の息子です。パパ・ブッシュは湾岸戦争(1991年)でクウェートを占領したイラクを攻撃して、イラク軍をクウェートから追い出しました。

この時の国際決議では、イラク軍にクウェートからの撤退を要求していただけです。

ところが当時アメリカ国内には、イラク軍を撤退させた後、イラクのフセイン政権を倒したらどうか? という議論になったのです。ですが、それをやると国連決議に反してしまいます。重大な問題も起きる恐れがありました。

フセイン政権を倒せば、中東地域に権力の空白が生まれ、周辺諸国がどんな動きをするかわかりません。またイラクは独裁国家で、国内では国民を弾圧していました。が、国内のアラブ人とクルド人の対立や、イスラム教スンニ派とシーア派の対立を力で抑え込んで一定の権力を保っていました。

重しの役割を果たしているフセイン政権が倒れたら、民族対立、宗教対立が激しくなり、手のつけられない大混乱におちいることが予想されました。

ところが息子のブッシュは中東の複雑な事情などわかりません。

パパはフセイン政権を倒すことができなかった。パパができなかったことをやろうという発想でイラク戦争を始めたんです。

ブッシュの息子がパパを超えたいとの思いで、イラクを攻撃したことですべてはそこからはじまったのです。

翻って日本ではどうでしょうか。安倍首相(当時)のお父さん安倍晋太郎氏 (1920~1991年)は、外務大臣を長く勤め総理大臣に後一歩手前まで行きました。間違いなく次の首相総理大臣になるだろう、というところに病に倒れ涙を呑みました。

第一次内閣で安倍氏は総理大臣なることによって、お父さんができなかったことを成しとげました。このとき父を乗り越えています。

ですが、その上にさらに偉大な祖父がいました。岸信介氏(1896年~1987年)です。

日米安保条約を改正した偉大な祖父がいて、なおかつ彼は、おじいちゃんの膝の上で育てられたという特別な思いがあります。

60年安保のとき、国会周辺にはものすごい数のデモ隊が押し寄せ、総理官邸も取り囲まれてしまいました。警察から「身の安全を保証できません」とまで言われた岸首相は、弟の佐藤栄作(1901~1975年)に「いざとなれば兄弟ここで死のう」といったそうです。死を覚悟したのです。その話しを孫が聞いていました。

安倍首相(当時)が総理になる前に出した『美しい国へ』(文春新書)にはこんなくだりがあります。

「子供だったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこかの祭りのお囃子に聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて、『アンポ、ハンタイ、アンポ・ハンタイ』と足踏みすると、父や母に『アンポ・サンセイ』といいなさいと冗談交じりに叱られた。祖父はそれをにこにこしながら愉快そうに見ているだけだった」

歴史に名を残した偉大な祖父への思い。あの時、岸首相が国民の猛反対を押し切って、日米安保条約を改正し、それによって戦後日本の安全が確保されたという思いが、安倍さんにはありました。だから、たとえどんなに反対されても絶対にやりぬくんだ、いつか必ず、国民に理解してもらえる、と、安倍さんは考えたんでしょう。

世論調査では、法案に反対が圧倒的に多くても、国会前や官邸前でデモが激しくなっても、もうそんなことはおかまいなしに突っ走ったほどです。

法案成立の翌日、安倍首相(当時)は日本テレビの番組でインタビューを受けて、「祖父は身の安全を保障できないとまで言われたけれども、今回はそんな状況になっていないので、平常心で成立を待っていたところです」と答えています。明らかに祖父を意識していました。

日本は、アメリカと日米安保条約を結んでいます。この条約には、日本は外国から攻められたらアメリカが助けてくれると書いてあります。その代わり、日本はアメリカ軍に基地を提供しています。もしもそのアメリカ軍が、日本周辺で他国に攻撃されたら、日本は何ができるのか。

アメリカ軍を助けたら、よその国も助けることになり、集団的自衛権の行使になるではないか。だからそういうことはできない。これが内閣法制局の見解でした。

でも、そんなことしたら大問題になるかもしれない。安保条約で日本守ってくれるアメリカの軍隊が攻撃された時に、日本の自衛隊がアメリカ軍を守らなかったら、アメリカ国民から大変な反発を受けるだろう。

そんなことになったら日米関係が崩壊してしまう。

だから、そういうことがないようにアメリカ軍を守ることができる程度に、集団的自衛権の行使を認めてもいいのではないか。これが安倍さんの当時の考え方であり、限定的な行使容認論です。

安倍さん(当時)は、これまで違憲とされてきた「集団的自衛権」が、どんな解釈で合憲とされるのか考えたそうです。そして、官僚に正当化する屁理屈を考えさせました。

横畠長官(当時)は国会の答弁ですごい屁理屈を発言しました。

民主党の寺田学氏が「腐ったみそ汁のお椀から、一杯限定としてとっても、腐っているものは腐っているのではないか?」と追及したが、「仮に、それが毒キノコだとすれば煮ても焼いても食えない。その一部をかじってもあたります。では、フグかもしれない。フグには毒があるから、全部食べたら当たりますけれども、肝を外せば食べられる。そういうこともあるということでございます」と答えました。集団的自衛権に関しても、危険な肝さえ除外すれば、十分認められんだというりくつです。

「なんじゃそりゃ」と、みんなが唖然としました。

つまり、他国を守るために海外でていって戦うこれはフグの肝にあたるとそれは駄目だけれど、肝は取り除いて、それ以外ならいいよ、と言っている。恐るべき発言ですね。

そういうすごい屁理屈を、そのニュアンスで使っています。そういう屁理屈を考え出した人だということです。

役人というのは、「それを正当化する理屈を作れ」と言われたら、何でも作ってしまうのだな、とあきれるやら感心するやらです。

安倍氏(当時)は、2014年7月1日に、「憲法解釈の変更」を閣議決定した後、記者会見で次のようにのべました。

「例えば、海外で突然紛争が発生し、紛争地から逃げようとする日本人を、同盟国であり能力を有する同盟国の米国艦が、日本人の母子を輸送しようとしている時に、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。わが国自身への攻撃ではありません。

しかし、それでも日本人の命を守るため自衛隊が米国の船を守る。それができるようにするのが今回の閣議決定でした。(原文のママ)」

会見場で、安倍氏が示したパネルには、日本人母子の絵がかかれていました。

武力攻撃を受けた国に、日本人母子が紛争地(韓国)取り残され、それをアメリカ軍が急行して輸送艦で連れ帰るときに、敵国(北朝鮮)から攻撃されるかもしれない。

だから、アメリカから要請があれば、米国駆逐艦を守るのは当然ではないかという理屈でした。

旅行か滞在で、現実に、アメリカ人は、何かあったとき、例えば、戦争に巻き込まれたりテロにあったりした時に「アメリカ政府がどこまで助けてくれるのか」を気にするわけです。

そこの説明にはこう書いてあります。

「緊急時に、アメリカが重視するのは米国籍の市民。米国人を最優先する。米国籍を持たないあなたの友人や未知の人を助けるためだけに、アメリカ軍隊の輸送手段を使えるものと期待しはならない」

助けるのは米国籍の人が優先だ、と云います。さらに「軍隊を使って助けてくれますか?」

という質問には、

「市民救出のために米軍が出動するというのはハリウッドの台本だ」

日本にはトラウマがあります。

湾岸戦争での日本の評価は、行動なしでは功績が認められなかった、ということがあります。

91年の湾岸戦争で、日本は二度に分けて、多国籍軍に90億ドルと40億ドル合計130億ドルという多額の資金援助したのです。当時の為替レートで約一兆七千億円という大変な金額でした。

しかし、アメリカの政界では、「多国籍軍の若者たちが血を流している時に、湾岸の石油で大きな利益を受けている日本が、資金だけ出せば済むのか?」、という批判が起きました。

それ以来、 2001年に米国同時多発テロ(9・11)が起きて、アメリカの報復攻撃をはじめる際、日本も協力を求められ、小泉内閣が素早くこれに応じたことが思い出されます。

日本はアフガニスタン戦争の後方支援を行うことを決め、テロ対策特別措置法を作って、自衛隊をインド洋に派遣しました。

このとき「ショー・ザ・フラッグ」という言葉を使って、日本に行動を促したとされるのが アーミテージ氏(駐日米国大使・当時)です。「ショー・ザ・フラッグ」は、「立場を鮮明に」「日本として何をするのか態度をはっきりしてほしい」くらいの意味ですが、当時は、「国旗を見せろ」「日の丸を見せろ」などと訳されました。

日本が、ホルムズ海峡の機雷除去や、ミサイル防衛システム(MD)に参加しているのは、そうしたトラウマから来ています。金だけ出しても評価されなかったので、行動を伴うことにしたってことなんです。

ホルムズ海峡の機雷除去の話しが非現実的なことは政府もわかっていたはずです。では、なぜなんのためにこんな例を持ち出したのでしょうか。

どうして中国の脅威を説明によういなかったんでしょうか?

実は、南沙諸島(スプラトリー諸島)では、中国が少なくとも七つの岩礁を埋め立てて、人工島の建設を急ピッチで進めています。ファイアリークロス礁には3000メートルの滑走路を造り、こちらも完成しました。

そうです。本当の脅威は中国であり北朝鮮なわけです。

       『日本は本当に戦争する国になるのか?』池上彰著作(SB新書)参照



安倍内閣 ~安倍政権は、政策の成果をなにひとつ上げていなかった(当時)(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


世論調査で日本経済新聞社が6月末に行ったものによると、安倍内閣(当時)の支持率は前月比10ポイント上昇し52%となったことがわかりました。

一方、不支持率は11ポイント低下し、42%に下がり、4ヶ月ぶりに支持が不支持を上回りました。支持の理由としては、以下のようなものがあがったといいます。「国際感覚がある」「安定感がある」「指導力がある」

大きく支持に傾いていたように聞こえますが、3年前にも似たような状況がありましたし、拮抗して支持と不支持が競り合う状況です。

「国際感覚がある」と言っても、政府専用機を使って何度も何回も海外に出掛けていくだけで、成果は取り立てて上がっていません。

「安定感がある」というのも、「森友・加計問題」において、堂々とブレずに嘘を突き通す安定感だけでした。

それだけはありますが、アイロニー(皮肉)以外のなんでもありません。

当時の安倍政権は何1つ、本当の問題であり日本国が抱える問題に手を付けていませんでした。3本の矢、憲法改正など、次々と口先だけの発表をしていますが、何1つ形になっていませんでした。

働き方改革やIR法を取り上げて重要法案などと言っていました。が、それがほんとうに重要な法案だったでしょうか?日本にとって重要法案のはずがありません。

重要な問題は日本にはもっと山ほどあります。

中央集権の体制を克服し、どのように地方に権限を与えるのか、という地方分権の問題。労働人口が圧倒的に足らず、毎年減っているという労働人口問題。

AIを始めとした新しい領域における人材が育っておらず、以前にも増して国際競争力を失っているという人材問題。

過去の首相(当時)の成功事例を振り返ると、こうした重要な問題に対してそれだけを集中して一貫として取り組むことが必要だと思います。池田勇人元首相(当時)の〝所得倍増計画〝、田中角栄元首相(当時)の〝日本列島改造論〝、中曽根康弘元首相(当時)の〝三公社の民営化〝、小泉純一郎元首相(当時)の〝郵政民営化〝など、1つのことに絞って徹底的に実行しました。

小泉進次郎氏が進めていた農業改革に私は期待していましたが、農協の民営化に対して手を緩めてしまいました。父親のように、残念ながら、徹底することはできない。

それでも、当時の調査で国民が安倍政権を「支持する」割合が高かったというのは、文科省の勝利であり、先生の言うことを忠実に聞く、という教育が徹底された結果であったしょう。

また、野党がちゃんと奮起しなければ、自民党の独裁長期政権の道を歩むだけです。

安倍政権が信用され支持を受けていたのではなく、野党がだらしなく空中分解している結果という「敵失」であり、私もまさにそう感じていました。

世論調査の結果では「支持政党なし」が約30%になっています。「都市型のサイレントマジョリティー」です。

民主党や民進党の調子が良かった時代には、彼らを取り込むことに成功し、いわゆる、

「1区現象」を引き起こしました。政権奪取にまで成功しました。

しかし、その政権運営があまりに酷すぎた。

それが未だに影響しています。

あのときの失政を認めて反省し、国民に詫びた上で新しい態度を示さない限り、民主党などの野党が再び力を持つことは難しい。

小池都知事が優勢だと思えば、踏み絵を踏んで希望の党に身を寄せ、小池都知事の人気に陰りが見えれば、手のひらを返したり、このようなことを繰り返し、国民から支持されるわけがありません。

「今の自民党ではダメだ」国民の多くは思っているはずです。

「森友・加計問題」への対応などを見ていても、自民党は嘘ばかりを並べ立てて、国民も野党もバカにしていました。そのような状況を許してしまっていることが、最大の問題の1つです。総裁選で、再び安倍首相(当時)が選ばれ、さらに状況は悪化していくことになったと思います。辞任して、菅義偉氏(→岸田文雄氏)が後任ですが同じ政権のようなものです。

長期政権で独裁化し、掲げた政策は何1つとしてまともに完了せず、空中分解で成果ゼロ。それでも、それをマスコミが追求し指摘することはほとんどありません。

手痛いしっぺ返しをマスコミも恐れていて、「長いものには巻かれろ」という姿勢になっているからです。読売新聞と産経新聞は特にそのように感じます。

朝日新聞と毎日新聞は、若干、抵抗しています。が、それも限界が見えています。朝日新聞が最後のあがきで、「森友・加計問題」関連の資料を掲載しています。が、最終的には黙認したまま力技で押し切られるでしょう。政権を担っている公明党にしても、自民党と共党しているが、かつては明確な役割や思想がありました。しかし、政権政党の旨味を味わった今、真っ向から自民党を批判することはできず、やはり「長いものには巻かれろ」状態です。自民党からすれば、最も御しやすい党に成り下がってしまいました。

今の自民党への支持は、本当の意味での支持ではなく、野党の失速が生み出してしまったものです。長期政権・独裁化という道をこのままでは自民党は進んでいくでしょう。

野党は過去を反省した態度を国民に示し、野党としての役割を果たしてもらいたい。そう強く思います。

「失われた30年」日本人は経済低迷三十年の本質がわかっていない。原因と責任を突き詰めないで、無駄削減やチェンジや構造改革、を進めなければ『停滞』はまだまだ続いていく


 1990年……今から30年前、東京証券取引所は「大発会」(1月4日)から200円を越える下げをいきなり記録してしまう。昨年の「大納会」(1989年12月29日)での史上最高額3万8915円87銭から、一転して株式市場は下げ始め、その後30年が経過した今も低迷を続けている。今も最高値を四割も下回ったままだ。長期的に、株価はずうっと低迷したままだ。

 『S&P500』(アメリカの代表的な株価指数)は、その間に、過去三十年で約800%上昇しており、353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、9.14倍もこの三十年で上昇した。日本は1989年から三十年以上も最高値を超えることすらできないでいる。

 この違いはいったいどこにあるのか? その責任はどこにあるのか? 

アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、電子版(1月3日付)で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘した。

日本は失われた40年を歩むことになるのか

 確かに、この三十年間、日本の株価は上がらなかったが、街中にホームレスがウヨウヨいるような『極端な貧困』に陥ったという実感もない。

自民党政治体制は一時期だけは政権を明け渡したが、〝バブル崩壊〟の原因を作った自民党がいまだに日本政治を支配し、官僚と共に日本のあらゆるシステムを牛耳っている。

 失われた30年とは、バブル崩壊の原因や責任を問わぬまま時間だけが無駄に過ぎたということだ。自民党政権がやってきたことは、景気が落ち込んだら財政出動で、〝お金じゃぶじゃぶ〟にしてお金を市場にばらまき、それで財政赤字になると、消費税などをあげて赤字を補填する……というあまりにも〝付け焼き刃〟なことだけだった。

 当然、景気は悪化する。と、また財政出動で〝お金じゃぶじゃぶ〟……この繰り返しだ。

アベノミクス(2012年からスタート)は中央銀行の日銀(日本銀行)を財政出動の代わりに使い、『異次元の量的緩和』という名目の元、同じような政策(実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」)を展開してきた。政府の意のままで逆らうこともない日銀総裁の誕生も『失われた三十年』と無縁ではない。

 日本の国際競争力の低下はあまりにも〝悲惨な状況〟であり、目に余るものがある。

少子高齢化に咥えて、日本人の生産能力は低下の一方である。新たな価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、50年、と、歩き始めているのかもしれない。

日本は恒常的なマイナス成長国家となり、経常赤字が続き、このままでは2030年代には、

先進国から陥落する日が来るのかもしれない。そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返ってみたい。

 日経新聞のデータを振り返ってみたい。


まずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。

●平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値)

●株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同)

●ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末)

●名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年)

●1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年)

●人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在)

●政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同)

●政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年)

●企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度)

                     (日経新聞系経済雑誌のデータ参照)

以下の数字で、理解出来るのはずうっと株価が低迷したままであることだ。

1989年大納会の3万8915円という高すぎる株価は、30年間回復できない。現実は日本経済に問題があるとしか言いようがない。

 この三十年で、米国の株価が九倍になったことを考えると、日本の株価は異常状態となるだろう。ちなみにドイツの株価も7.4倍(1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇)になっている。

『時価総額(株式市場の規模を示すときに使われる)』も、日本は三十年でわずかしか上昇していない。

日本人の株主は株価上昇の恩恵をほとんど受けていない。個人株主が投資して金融資産を大きく伸ばした米国に比べ、日本人が豊かになれないのはこういう事情がある。

『豊かさ』というものが日本人は実感できないのだ。

日本株保有率は1990年度には5%弱(海外投資家)だったのが、2018年度には30%に達している。この三十年で日本株の持ち主の三割が外国人になったのである。

日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によってかつては保有されていた。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落とした。過去最低レベルの17%程度に現在はとどまっている。

アベノミクスが始まって8年間、政府は(「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」などの「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って)意識的に株価を下支えしている。(日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けている)

 このシステムのままだと、個人の投資家は儲からないし、意図的にババを引かされていることになる。株価が暴落したときに、個人株主が市場に参入する機会を失わせている。

株式市場は価格形成に任せるべきだが、それを政府が邪魔して、市場をコントロールしているようなシステムになっているのだ。

日本の名目GDP(1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円になっている(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計))は一見すると国内総生産は順調に伸びているようにも見えるが、凋落が続いている。

1989年……15.3% 2018年……5.9%(アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇している。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大している)

明らかな日本の国力の低下「グローバル企業が示す日本の衰退」

 日本の「失われた30年」を的確に示している指標には、「国際競争力」(日本全体)や「収益力ランキング」(日本企業)がある。

 例えば、「国際競争力ランキング」(スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している)では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位となっていた。それが2002年に30位に後退、2019年版でも30位だ。

 一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500(グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したもの)」は、1989年、日本企業は111社もランキング入りしていたが2019年版では52社に減少した。

 日本の科学技術力も、で大きく三十年で、衰退してしまった。

「TOP10%補正論文数(日本の研究者が発表した論文がどれだけほかの論文に引用されているのかを示す)」というデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位へと落ちた。

 このほかにも、国際ランキングで日本が順位を落としたものは数知れない。ほとんどの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまっている。日本は今や先進国とは名ばかりの状態だ。

 それなのに、日本のメディアは『日本の世界一の技術力』とか『日本が世界一の治安で安全安心』とか、数少ない日本の長所をことさらに主張して、『日本が世界をリードしている』という幻想を報道することしかしていない。

 昔、1989年には、日本にやってくる外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)だった。日本は物価が高く、一部のお金持ちしか楽しめない国だった。

ところが、3119万人(2018年)にまでいまの日本への観光客が膨れ上がった。

 つまり、日本はこの三十年間も物価が上がらず、経済成長もせず、観光客が楽しめる〝お金のかからない国〟に成り下がった……ということなのだ。

 アベノミクスの掲げる『2%のインフレターゲット』さえ達成できない。

(国民生活にとっては)悪いわけではないが、日本の国力は明らかに低下している。

責任はどこにあるのか?

 日本経済低迷のきっかけは、言うまでもなく株価の大暴落だが、それに追い打ちをかけたのが当時の大蔵省(現・財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと『総量規制』に踏み込んだことだ。

株価にブレーキがかかっているのに、土地価格にまでブレーキをかけたことが原因であり、そういう意味で、バブル崩壊、は、政府の責任だ。

 日本は二十年も、アメリカがリーマンショックを経験したような出来事を味わっていたわけだ。が、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にした。

株価暴落や土地価格の暴落などによって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、日本は、7年以上もの時間をかけてしまった(リスクを先送りにすることで、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生になっていた官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加などで対応)。

『赤字国債なしでは、日本は立ち行かなくなっている』当時の大蔵省主計局の局長はそう認めていたという。

この三十年、日本政府は大企業の救済のために資金(税金)を惜しげもなく支出してきた。税金を使うことを咎める米国の共和党のような勢力が、日本にはないからだという。

公的資金が効果なし、と見ると、今度は〝付け焼き刃〟で郵政民営化だの規制緩和を始める。だが、所詮は、様々な勢力に忖度して、結局、尻つぼみで、改革の半ばで挫折する。

アベノミクスの八年九年も、その繰り返しだといっていい。

 消費税も1989年4月の導入から、2%、3%、5%、8%、10%と、ほんの少しずつ引き上げることで決定的なパニックに陥るリスクを避けてきた。

 一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカにはあった。

 日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなってしまう。その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられない。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任がある。

 だが日本国民は、バブル崩壊の原因を作った政権に、いまも肩入れしてきた。その背景には補助金行政など、政府に頼りすぎる企業や国民の姿がある。

その結果が、国の財政赤字が1100兆円ということなのだ。

ただ単に「低い投票率」に支えられているだけ(自民党政権がいまも続いているのは)、という見方もある。が、国民の間の「諦め」の境地も事実だろう。

 長期間デフレが続いたため、政府は経済成長できない=税収が増えない分を長期債務という形で補い続けた。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿と言っていい。

日本はなぜ構造改革できないのか?

 全国平均の公示地価を見ると、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀なくされた。株価や土地価格が上昇できなかった背景をどう捉えればいいのか。

 簡単に言えば、日本政府は構造改革につながるような大胆な改革を行ってこなかった。都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り、消費税の導入や、税率アップのような構造改革ではない政策でさえ、選挙に負けるというトラウマで、一線を超えずにやってきたのだ(もっとも、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施したことはある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入したときは、本来だったら構造改革につながるはずだった。これは、日本政府が導入したというよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけのことだが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃されるはずだった。

 ところが政府は、景気が悪化するとすぐに補助金や助成金といった救済策を導入して、本来なら市場から退散しなければならない企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力はまた別のところに向かって、新しい産業を構築することができる。負の結果を恐れるあまり、政府はつねにリスクを先送りしてきた)。

「PKO(Price Keeping Oparation)相場」、バブル崩壊後も、株式市場は長い間、そう言われて、政府によって株価が維持されてきた。長い間日本の株式市場はバブル崩壊後も政府によって株価が維持されてきた。世界と乖離した時期があった。官民そろってガラパゴスに陥った30年である。デジタル革命、 AI・IT革命といった「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がどんどん遅れ始めている。この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかったという「リスク回避」の現実がある。欧米のような「リスクマネー」の概念が決定的に不足している。

新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が、圧倒的に少ない。

 ある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、日本はマーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。日本企業は過去に、VHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。

 しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう。技術で優っても、ビジネス化できなければただの下請け産業でしかない。

日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始している間に、世界は「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)、「BATH」(バイドゥ、アリババ、テインセント、ファーウェイ)に支配されていた。残念な結果といえる。

ガラパゴス化の背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在する。日本企業の多くは業種にもよるが、消費者ではなく、規制当局や研究開発費を補助してくれるお上(政府)の方向を向いてビジネスしている姿勢をよく見かける。政府が出してくれるお金を手放せないからだ。

 とはいえ、日本にとって、今後は失われただけでは済まない。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻すことが求められている。「最低賃金の大幅上昇」や「積極的な円高政策」といった、自民党が避けてきたこれまでとは真逆の政策に踏み切るときが来ているのかもしれない。

 そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らすなど、目に見える形で身を切る改革をしなければ、今度も「失われた40年……○○年」が続く可能性が高い。

(岩崎 博充氏著書参照*もっと詳しい記事は岩崎氏の著作を参照してください)


新型コロナウイルス対策『新型コロナウイルスでの〝リーマンショック級の大不況〟に備えよ』(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


 新型コロナウイルスについての感染者数は世界で60万1000人。死者は2万8000人(2020年3月末計算)日本は1535人の感染者に53人の死者である。

イタリアが何故に感染者や死傷者が多かったのか?はイタリアは三世代同居や感染者の中の高齢者の割合が多いからである。

我々の不安は、ワクチンがないことと治療薬がまだない(2020年3月末時点)ことである。しかし、BCG(結核ワクチン)の接種者が多いところでは感染者は少ない。

スペインやフランスは多いのに、ドイツやポルトガルの感染者は少ない。これはポルトガルやドイツはBCGが義務化されているからともいわれている。

ちなみに、訳の分からない横文字の意味を見てみよう。『オーバーシュート(感染者の爆発的増加)』、『ロックダウン(都市の閉鎖)』、『クラスター(感染者の集団)』

だが、ワクチンの開発は一年~一年半はかかる。

 新型コロナウイルスでのイベントなし(店や土産屋や飲食業や観光バス・タクシーなど)での生活苦は続く。

では、一世帯あたりの日本人の預金額は幾らか? →約1,117万円。それに株や投資を含めると約1,7523万円。日本人の個人金融資産は1835兆円である。

(20代約250万円30代441万円40代645万円50代1010万円60代1505万円70歳以上1482万円)

日本人の何割が株を持っているか?→12.2%(株式保有率)何か日本人の感覚だと株=ギャンブルのイメージ。しかし、欧米では株や投資の授業が学校である。そのためアメリカの株保有率は34.0%、EU圏は19%である。

お金を遣わないと景気が良くならない。では、日本人の現金の落とし物は?→約191億円(老人のタンス預金落としも含むから)

タンス預金は50兆円(2019年度)。オレオレ詐欺・特殊詐欺1万6000件被害額364億円、飲食(無断キャンセル)一回60万円も。被害額2000億円。万引き(年間)10万点・4615億円。逮捕者6万1000人。

(万引き犯人数~19歳未満11%。20代10%。30代9%。40代12%。50~64歳18%。65歳以上40%*年金生活苦や窃盗の病気で)

高齢者の割合は(日本の六拾歳以上の高齢者数割合は28.4%)

では、日本人の家族の生活費は?一位税金・社会保障109.504円 二位食費77.431円 三位交際費・お小遣いなど54,294円(50年間三位まで代らず)

四位教育・娯楽31,998円 五位光熱・水道費2183円 六位住居19252円 七位教育18529円 八位通信16206円 九位被服履物12935円 十位健康保険12862円

十一位家具・家事用品12079円 十二交通費76800円

固定電話保有率は64.5%(2018年時点)何故ならインターネット通信での加入が固定電話契約だから。公衆電話は今は15万5214台(84年は80万台・スマホや携帯の普及で)

公衆電話のかけ方をしらない子供は77%にも上り、公衆電話そもそもの存在を知らない子供も27.3%もいる。だが、公衆電話はなくならない。何故なら〝災害用〟として整備されているから。

ちなみに災害用伝言サービスは#171の1+電話番号で「災害時の伝言」を録音でき、#171の2で「伝言」を聞くことが出来る。

電力自由化の切り替え率は約13.2%で、ガスも13%だ。やはり、面倒くさいというのがあるらしい。

では、一年間での救急車は何回出動するのか?一年間で660万5213件(4.8秒に一回・一回に4万5000円かかる)その家までに8分42秒。病院までに39分30秒。

これはやはり、救急車の有料化が望ましい。そのかわり自治体で怪我の重篤か軽傷か判断相談する相談窓口がいるだろう。

また、銀行の話をしようではないか。銀行のATMは何台ある?→約10万7000台(2010年から一万台減っている・ATM一台の維持費年間一台一千万円)

ちなみに、キャッシュディスペンサーとは現金を引き出すだけで、振り込みや預け払いとかできないもの。三大メガ・バンク(大手銀行)は三井住友銀行・みずほ銀行・三菱UFJ銀行。

最近は大手銀行はリストラや人員整理や採用の縮小、などがある。これは景気が悪いからで、地銀は七割もの業績悪化だ。

そこでネットバンクなど増えている。また紙の通帳からウェブ通帳にかえる銀行も増えている。紙の通帳は一枚二百円の印紙代の税金がかかり、これがなくなれば八十億円も削減できる。

金利を下げるのは景気が悪いから。銀行の経営破綻は1996年の阪和銀行、1997年北海道拓殖銀行、2010年日本振興銀行のペイオフだ。

ペイオフとは銀行が潰れても一千万円(+利子分)までなら保証してくれることで、銀行が保険(預金保険機構)に入っているから出来ることだ。

では、日本の稼ぎ頭とは?→(自動車・家電・電子機器・鉄鋼)だが、家電や電化製品・電子機器は中国や韓国にやられている。

2010年頃から日本国は観光で稼いでいる。日本を訪れる訪日外国人(インバウンド)は約3188万人(一年間)4兆8113億円ものお金を遣ってくれるのだ。

日本は『観光庁』までつくった。十年前から3.7%もの伸び。しかし、世界の観光立国は桁違いだ。

(人数)では一位のフランスが8900万人、二位のスペインが8300万人、三位のアメリカが8000万人。日本は十一位の3119万人だ。

(収入)では一位のアメリカが23兆6300億円、二位のスペインが8兆1700億円、三位のフランスが7兆4000億円。日本は九位の4兆8113億円だ。

日本は海外からの観光客や国債、海外の工場買収や投資など、人間で言えば年金生活、に入ったということ。

また、新型コロナウイルス対策で、要請や指示は出せても命令が出せないのはそもそも日本は法律上、命令が出せないシステムになっている。

これは憲法上ではなく、法整備の問題だ。安倍政権が対策本部を立ち上げて、緊急事態宣言を出した。だが、要請や指示でしかない。

罰則も罰金もない。中国みたいな事実上の共産党一党独裁国なら武漢閉鎖、もできた。だが、日本ではそうはいかない。個人の自由や民主主義の兼ね合いがあるからだ。

(不要不急の外出自粛)(イベントの中止)(学校などの使用禁止)(医療機関のための土地強制使用)

そして『東京オリンピック・パラリンピックの延期』について。

過去には1940年の東京オリンピックを、日本は日中戦争の泥沼化で辞退し、のちに中止になった。また1980年のモスクワ五輪では、ソ連のアフガン侵攻でのボイコットでオリンピックをボイコットした。

これはアメリカ側からの要請であった。が、イギリス・フランスは政府としての参加はなしだったが、選手団規模では参加した。その際に国旗は掲揚しなかった。

IOC(国際オリンピック委員会)に影響があるのはアメリカのテレビ局NBCである。

オリンピックの放映権・約1兆3000億円(2014~2032年夏冬10大会分・当時のレートで120億ドル)何故、オリンピックが夏なのか?これもアメリカのスポーツが夏休みの時期だからだ。

(MLB(プロ野球)4月~11月、NFL(アメリカンフットボール)9月~2月、NHL(アイスホッケー)10月~6月、NBA(バスケットボール)11月~6月)

*オリンピック(7月24日~8月9日)東京オリンピック・パラリンピック延期での経済損失は約6408億円である。

それは施設維持費や、再選考の費用や、延期で失われる経済損失などだ。新築のホテルの稼働率や飲食店、ボランティアなど多岐にわたる。

経済対策が必要だ。リーマンショック以上の景気悪化(IMF・国際通貨基金宣言)

安倍首相(当時)の記者会見では①「緊急事態宣言は出さないが瀬戸際」②「長期戦を覚悟してほしい」③「抗インフルエンザ薬の治験のスタート」

④「対象を絞った現金給付」(全員に給付するとお金持ちや政治家にも。給付で低所得に……だと都道府県で調べねばならず時間がかかる)

リストラで失業者が溢れるのを防ぐために、人員削減じゃなく従業員の休業制度に九割の補助をする。

無論、アメリカでもこの新型コロナウイルスで不況だ。だが、トランプ大統領(当時)の政権下で金利を下げまくり(株高で儲けていた)、これ以上下げられないからと現金給付だという。

(大人ひとりあたり最大1,200ドル(約13万円)年間所得7万500ドル(300万円)未満)(子どもひとりあたり500ドル(5万5千円))

すべて小切手で。(新型コロナウイルス対策・検査無料(検査で30万円という人が出たから・アメリカの医療費はバカ高い。日本のような国民皆保険がないから))

(学費の金利負担・日本と違い大学生は学費自己負担)(石油など大量買いだめ)

米ドルがあがったのは「現金主義。もしものときはやはり現金の米ドル」の心理から。だから金の価格も下がった。日本円も下がった。

では、どうなって新型コロナウイルス不況になるのかシステムを見てみよう。

新型コロナウイルス感染拡大→消費が落ち込む→石油価格下がる→石油(OPEC+ロシアなど)採る量を減らし調整→会議決裂→石油の増産→石油価格暴落

→アメリカのシェールオイル会社(ほぼ中小企業・1バレル60ドルでトントン。1バレル20ドルではロシア+OPEC以外は無理)

→アメリカのシェールオイル会社がばたばた倒産する。借金返されず→リーマンショック以上の景気悪化(金融危機)!

という具合のシステムである。こういうのが最悪のシナリオだが、どうもそうなりそうだ。これが、最悪のパターン。

こういう事態をなんとか回避できなければ、第二次世界大恐慌、でしかない。

こういう最悪を回避するように、我々ひとりひとりが頑張るしかない。



まずは池上彰さんの嘘についてかたっていこう。確かに池上彰さんがすべて正しいことをいうわけでも、素晴らしい知識を披露するだけでもない。もちろん間違いもあるだろう。しかし、私は、池上彰さんの言うことを金科玉条の如く、崇め立てているわけではない。

例えば、池上彰さんがすべて大嘘をついているということを主張する人間の中には、〝日本は借金大国ではない〟〝借金国家ではない〟ということが言えると言っている人がいる。

でも、借金大国でありますし、それは事実です。

日本の国家債務が約1100兆円以上あるのは常識的なことであって、嘘でも何でもないです。

しかし、池上さんが嘘をついている、と称する人の中には、それが嘘であるかのようにいっている人がいます。

たぶん、個人金融資産が1800兆円あるとか、大企業の内部留保が380兆円あるとか、そういうことをして、「日本は借金国家でもない」と言っているのかもしません。

非常に笑ってしまうようなことですね。

なぜなら 1800兆円というのは個人金融資産であって、国家のお金ではないわけです。

しかも大企業の内部留保が 380兆円というのも、大企業の内部留保であって政府のカネではない訳です。

また、〝→1400兆円(日本の借金)-950兆円(日本の資産)-490兆円(日銀が持っている国債)=-40兆円。実際は借金ない。〟と主張するひとはよく考えてください。

950兆円が日本の資産というが全部、国有資産で国有の土地ですよね?誰に売って大金をつくるんですか?中国人?

すべて売ったら日本の公園も、自然の山や川も外国資本になりますよ。

国債だって、全部、売るんですか?ハイパーインフレになりますが。もっと頭をつかって考えてみてください。

また、〝国債は日銀の供給する準備預金で買っているし、税で返済する必要もありません。〟というひとがいて、〝借金は国の借金で、国民が借金を税金で返す必要がある、なんて池上彰の大嘘だ〟とまでいう人がいます。

しかも、それは大嘘だからテレビ朝日に文句のメールを送った、だの、BPOに連絡した、と(笑)なんて無知なんでしょう。

国の借金で、自分たちのじゃない。国は、政治家とか官僚だけなのですか?

政治家も官僚も皇族も、我々の税金で食わせて働かせているのでしょう。

国の借金はつまり、税金、我々の金だ。国の運営は税金でまかなっているのです。そんなこともわからない。情けない。

しかも、日銀は政府から直接、国債を買えない。

これは戦前の反省からです。

だから、日銀が〝日銀の供給する準備預金〟で買おうが、何金で買おうが、日本の民間銀行を経由して買うしかないのだから、それは税金・国民のお金が発生するということです。

銀行の国債(国民の預金で買った)ものを買っているのだから。

そんなこともわからないで「生意気」言ってるんじゃない!

三橋貴明さんの「日本は破綻しない」に騙された被害者が多い。

日本のGDP比政府総債務残高を見ると、243%で世界第1位です。2位はギリシャで174%です(過去のデータ)。

「海外に貸しているお金」を差し引いたGDP比政府純債務残高を見ても134%で世界第2位です。1位はギリシャで169%です。

どちらにしてもギリシャとワースト1、2を争う借金大国で、超借金大国です。

「母親から100万円借りているけど、友人3人に10万円ずつ貸しているからと安心」が三橋貴明さんに騙された被害者の論です。

「日本の金融機関と日本政府」の関係は、「子供と母親」の関係ほど単純ではありません。日本の金融機関は国債の金利で利益を上げているのです。あなたの預金・保険・年金など各種に利息がついているのも国債の金利が回りまわって利益の還元になっている。

「いざとなれば日銀がバンバンお金を刷ればいい」という三橋さんの主張ですが、これを実践すると戦後インフレとは比べものにならない程の大混乱のハイパーインフレになります。今度は朝鮮戦争がタイムリーに起きる保証はありません。

現実的には「いざとなる前」に増税と歳出削減で利息の支払いを抑えつつ、緩やかなインフレを起こして何十年もかけて借金を減らすしかないのです。何故、「インフレにならない!」「2%の政府のインフレターゲットでもインフレにならなかった。だから、紙幣を刷りまくってもハイパーインフレにはならない。2%で確実にストップする!」という意見が何故、馬鹿でおめでたいのかはいずれ後述します。

または池上彰さんが、ニューヨークのホワイトカラーについて言っていることで、

「資産家やお金持ちは自家用車で会社に通う」とちゃんと言っているのに、文句をいう人間は

「ホワイトカラーがすべて車で会社に出勤するわけじゃないだろう」などと、全くの揚げ足取りであって。

悪口を言いたいだけにしか聞こえない。

たぶん、堀江貴文氏や山本太郎氏や経済学者のなんとかという人間の戯言を信じているからだろうと思われる。

まったくもって、嘲笑ものである。

また、こういう無知も。

〝はっきり言って池上彰は経済も全く分かっていない。日銀は金や国債担保に札を刷る。阿保か! 日銀のインフレ目標2%になるまで幾らでも札を刷れる。(原文のまま)〟

………無計画に紙幣を大量に刷ったらハイパーインフレになり日本経済がおわりますよ。

貴方が経済を何も全く分かっていないんじゃないか。こんなことは〝経済の常識〟です。

また、こんな無知も。

〝財政破綻論の嘘って、現代版の天動説地動説だから、歳とった権威ある人程、主張を変えれないんだろうね。

天動説を散々唱えて今の地位築いたのに、今更地動説を認められるか!って感じ。歳いっても、どんな主張していても、間違いを認められる人が本物。日本は財政破綻しない!って言おう!(原文のまま)〟

……日本の財政赤字が1400兆円以上あるが、まだもっているのは日本の個人金融資産が1800兆円以上あるから。

これが、日本の借金の金額の方が大きくなれば幼稚なMMT理論などすぐに崩壊する。

日本は財政破綻する。

そして、借金は国の借金は=国民の借金(国は税金で運営されているから)です。

子孫とか我々が返さないといけないのは自明の理。そんなことさえわからない。ハッキリ言ってレベルが低い。経済を何も知らない。知らなすぎる!

また、こんな無知も。

〝はい、また嘘つくやつ。国の借金は国民の借金とか言っているわ。日銀は政府の子会社。借金ならお札を刷れば借金はなくなる。それでハイパーインフレとかならんし。例えば、自分の家で貸し借りしているのに「私の家は借金でお金ないです」とか言ってやついたらおかしいでしょ(原文のまま)〟

……日銀は政府の子会社ではない。独立した組織です(当たり前)。

また、借金はお札を刷れば……だからハイパーインフレになるでしょうが!

ならない、とかなるんですよ! だから、財政難になるのは国の債務より個人金融資産などが下回れば、ですよ。

そんなこともわからないで「生意気」ばっかり言うんじゃない!



またここからは、れいわ新撰組の元・ JPモルガンの男と、党首の山本太郎氏のデマ・出鱈目・大嘘について語ってきます。それと、言っておきたいのは、「相手が嘘をついて、またデマを広めている」という指摘は、極めて簡単だということです。相手を「嘘つき、デマを広めている」って言うだけなら簡単なんです。ロジックも論理も組み立てる必要もない。

つまり、「相手は嘘をついている」というだけで説明を詳しくさせなくても言い訳です。

しかし、「その嘘をついている」と言っている人々を、その嘘を覆し、騙されているひとに真実を知らせ、それが嘘であるということ、騙されている心理をわからせるには、膨大な時間と説明が必要になります。

つまり、時間も論理も説明も、すべてかかるということです。

だが、しかし、大嘘のままで保留していくことはできません。間違ったことを考えてる人に、「それは間違いですよ」と伝えることは大切なことです。なぜなら大嘘や出鱈目で、騙されて信じている人間がいる以上、本当のことが何も進まない。大嘘を信じてしまっている人を、まっとうな真実を見せて、心理を説いて、立ち直らせなければ、日本の国が終わってしまいます。

すべては真実を知らしめるためです。だからこそ、これが真理であり大嘘のフェイクニュースレベルの投稿・主張に騙される人達を救いたい。本当のことを知らしめ、国をつくることこそが、国の為、道の為、であります。

では れいわ新選組のアジェンダを見てみよう。

*消費税廃止(それをする財源はどうするの?)

*奨学金チャラ(それをする財源はどうするの? 日本の富裕層に増税する……とか日本の富裕層は数パーセントしかいないし、それに増税しても消費税1パーセント2.5兆円分にすらなりませんが(笑))

最低賃金1500円(財源は?)

公務員を増やす(財源は?)

お金を配る(財源は?)

では、れいわ新選組の元・JPモルガンの男の意見を聞いてみましょう。

「貧困・格差・病気、それから戦争の中にあるのはお金があることだってみんな知っているんですよ。そこに、何が何かおかしい、と、違和感を感じている。僕はJP・モルガンというところでずっと金融の仕事をしていました。

ですから、今の金融がいかにおかしいかって僕は目の前で見てきました。

今は、お金は日銀が発行して借金をつくっているんですよ。

要するに、金融がお金を貸すために、お金が生まれる仕組みが作っていて、そこに利益がつくので、お金を借金が置かれて、借金がずっと増え続けているそういう仕組みなんですよ。

その借金を増やし続けられるかというとそんなはずはないですよね。

1億3000万人しかいないのに、銀行が借金を増やし続けるかって、誰がそんな理屈がわかるかって話。

50兆円の税収で、50兆円の予算を組むと50兆円で循環する。

そしてこれが、50兆円の税金で、税収で70兆円の予算を組むかというと、 20兆円足りませんよね? その20兆円をとり返すかって言うと、20兆円分、政府が国債を発行するんですよ。

それを均等に増やします。銀行が国債を買い、皆さんの預金で、今も買ってくれますよね? じゃあ、そのおカネをどこから持ってくるかというと、皆さんの預金ですよね。

でも、政府の国債の20兆円分買うからといって、皆さんの貯金が1円も減らないわけですね? 何でかって言うと銀行は作って、政府に渡しているからね。

(ペテンだ。なんで日銀でもない銀行がお札を刷れるのか?〝銀行は作って、政府に渡しているからね〟??はあ?? 日銀は政府の子会社ではない。また、日銀法で、借金を補填する為だけにお札を刷って補填すること、は禁じられている。国債を買うとか、昔は金や銀と連動していたが、価値あるものとの付加価値がある資金しか作ってはならない。違法になるのだ。

だから、国に借金があってもお札を刷れば借金はチャラになる、は間違い。また、日銀は直接に、政府から国債を買えない。戦中からの反省からだ。

だから、〝日銀の供給する準備預金から払って、国債を買うから借金にはならない。税金で補填するとか、後で借金を我々や子孫が借金を払わなければならないなんて嘘〟というのは間違い。

〝皆さんの預金額は減らない〟当たり前だろう。預金として預けているのだから。銀行が国債を買って、銀行に預けている預金の額が(通帳とか見て)減っていたら〝搾取〟〝略奪〟だろう? 預けているだけで、〝投資〟しているんじゃないんだから。

利息で増えても、銀行の投資だけで預けているだけで〝国民の資産が黒字になった〟な訳ないだろう!)

で、その20兆円は、もともと税収の70兆円で何がおきるかというと、皆さんの貯金が差し引き20兆円増えるんですよ。(投資してなく、預金しているだけで増える訳ない)

政府の財源も増える。要するに、政府の借金と皆さんの預金は並行して伸びている。

今や、政府の借金が900兆円になって、皆さんの個人預金は1000兆円。

1000兆円 ― 900兆円………なら、お金だって増えたでしょ? 政府の借金が大変だから、「税金・消費税を上げなきゃいけない」「財源がない」、全部嘘っぱちなんですよ。

それと、本当だったら今の金融システムが崩壊しているってことです。

こういうことが分かっていない人たちが国を動かしてきた。

これはとんでもないことですよ。大手新聞社の人達はもういい加減な事を書くのをやめなさい。政府の借金を税金で返すなんてありえない。

ようやく、アメリカからMMT理論(現代貨幣理論)が出てきた。政府の借金を垂れ流してきて、お金を作り続けるしかない。

ようやく言い出した。天動説が地動説になってきた。世界が気付き始めた。

(まず、全部、間違いであることを説明します。『政府の借金は国民の黒字なんですよ』という間違った考えから論破します。国の政府の借金は国民の黒字じゃあない。赤字=借金です。例えば、借金を返さない、借金は銀行が(日銀が?)お札を刷ればチャラになる?

 国債を買って、お札を刷るから黒字……どこまで阿呆なのか?

日本銀が〝借金返済〟の為だけにお札を刷れないのは前述した。と、同時に、日銀は政府から国債を直接は買えない。

民間銀行経由で買っている。なら、日銀が買っても、お札を刷って買っても(民間銀行は国民から預かったお金で買っているのだから)税金や国民のおカネは消費されるということ。

どこがおカネは動かない?

政府の借金は国民の黒字なのか? 赤字じゃないか。

 しかも、借金をまともに返済せず、お札を刷るとか禁じ手をつかっていたら、ハイパーインフレになるし、日本の通貨の信用を失い日本の紙幣〝円〟は紙切れになりますよ。それもわからないなら経済など何一つわかっていないだけだろうに)



次に、れいわ新縁組党首の山本太郎氏の提言の大嘘についていってみよう。

「これ、パネル見えていますか? 世界の国も、日本も、自国通貨で国債のデフォルト(債務不履行)は考えられない。

自国通貨建て国債。日本だったらなんですか?

円で、借金し続けているってことですよね。自国通貨は円で、借金しても、円を発行する能力を持っているから。お金を刷ったらハイパーインフレになるという人がいますが、今の日本で、政府がインフレターゲットに2%にってやっても、二%にもなりませんよね。

絶対に、ハイパーインフレなんかならないんですよ。

なぜなら、2%インフレターゲット、2%インフレ目標と政府が散々やってきても、まったく、2%にもならないし、ハイパーインフレになっても、2%の条件で収まるって話しですよ。

「ハイパーインフレになる」とか、政府のデマなんですよ。

なぜなら、財務省が「ハイパーインフレになる懸念はゼロに等しい」と言っているからです。

ハイパーインフレ? 上限決めていますよって話し。この数十年を2%インフレ目標づけて……それでもインフレにさえなっていませんよ。

ハイパーインフレになんかならないって事ですよ。

政府と日銀とはつながっていて、日銀、今は政府の子会社ですよね?

借金があっても、日銀が動けば借金はなくなるんですよ。お札を刷ればいい。ハイパーインフレになんかならないですよ。借金があっても、日銀がお札を刷って、それで補てんすればいいんだから。つまり、借金なんてない、ってことですよ。

日銀は、政府の国債を買って……民間銀行のものから経由して買うわけだけども、国庫給付金で、政府にお金が戻ると。つまり借金が、ないんですよ。

池上彰さんが、今後、日本は消費税を35%にするしかないみたいなことを、カリフォルニア大学の教授から聞いて、いっていますけど、それは間違いですね。しかし、安倍さんは、消費税を10パーセントにしたとき、「10年間これを維持する」とかいって、まるで安倍首相(当時)を英雄視しているみたいですね。

何度もいいますよ。政府に借金があっても日銀が紙幣を刷れば、それで補てんできる。

それはMMT理論なわけです。このことに気付いていない人たちが多い。

れいわ新撰組は約束します。MMT理論で、借金なんか、お金を刷ればそれで借金は返せる。MMT論者をやれば、借金はないし、ハイパーインフレなど起こらないんですよ」

(まず、繰り返しになりますが『日本は借金大国じゃない』『日本には借金などない』と言う人向けに論説を。日本の国家債務が約1100兆円以上あるのは常識的なことであって、嘘でも何でもないです。

しかし、池上さんが嘘をついている、と称する人の中には、それが嘘であるかのようにいっている人がいます。

たぶん、個人金融資産が1800兆円あるとか、大企業の内部留保が380兆円あるとか、そういうことをして、「日本は借金国家でもない」と言っているのかもしません。

非常に笑ってしまうようなことですね。

なぜなら 1800兆円というのは個人金融資産であって、国家のお金ではないわけです。

しかも大企業の内部留保が 380兆円というのも、大企業の内部留保であって政府のカネではない訳です。

また、〝→1400兆円(日本の借金)-950兆円(日本の資産)-490兆円(日銀が持っている国債)=-40兆円。実際は借金ない。〟と主張するひとはよく考えてください。

950兆円が日本の資産というが全部、国有資産で国有の土地ですよね?誰に売って大金をつくるんですか?中国人?

すべて売ったら日本の公園も、自然の山や川も外国資本になりますよ。

国債だって、全部、売るんですか?ハイパーインフレになりますが。もっと頭をつかって考えてみてください。

また、〝国債は日銀の供給する準備預金で買っているし、税で返済する必要もありません。〟というひとがいて、〝借金は国の借金で、国民が借金を税金で返す必要がある、なんて池上彰の大嘘だ〟とまでいう人がいます。

しかも、それは大嘘だからテレビ朝日に文句のメールを送った、だの、BPOに連絡した、と(笑)なんて無知なんでしょう。

国の借金で、自分たちのじゃない。国は、政治家とか官僚だけなのですか?

政治家も官僚も皇族も、我々の税金で食わせて働かせているのでしょう。

国の借金はつまり、税金、我々の金だ。国の運営は税金でまかなっているのです。そんなこともわからない。情けない。

しかも、日銀は政府から直接、国債を買えない。

これは戦前の反省からです。

だから、日銀が〝日銀の供給する準備預金〟で買おうが、何金で買おうが、日本の民間銀行を経由して買うしかないのだから、それは税金・国民のお金が発生するということです。

銀行の国債(国民の預金で買った)ものを買っているのだから)

(また、『絶対にハイパーインフレにならない! 政府が2%インフレターゲットとしてもインフレにもならなかった。インフレになっても2%で止まる』のペテンについて説明します。まず、日本政府の2%のインフレ目標は〝人工的〟に経済を2%インフレの情態に作りだそう……といういわば〝努力目標〟な訳です。それが、馬鹿でお札を刷りすぎた事で起こるハイパーインフレとは関係ない、という事。ハイパーインフレは自然現象で、原因は馬鹿でお札を刷り続けたから紙幣の価値が下がり、物価が急上昇すること。そのことに、人工的な〝努力目標の2%〟が、関係がある訳はない。ハイパーインフレになったら2%どころかそれ以上に物価は急騰する。人工的な〝努力目標〟と、自然発生のハイパーインフレがリンクする筈はない。2%で止まるとか。そう考えること自体が阿呆だ、ということだ)

また、「池上彰さんは〝円安〟は不利になる、というが輸出産業にとっては不利どころか有利なのに嘘を言っている」という勘違いへの反論です。確かに、二十年前、三十年前なら輸出産業が多かったから〝円安〟は輸出産業にとって〝有利〟〝儲け〟になっただろう。

 だが、時代が違う。2008年のリーマンショックで日本の輸出産業の工場などは世界に出て行ってしまった。もう、日本国内では輸入産業の方が圧倒的に多い。

 さらに、日本のビジネスは『ものつくり産業』から、『(インバウンド・訪日外国人などへの)観光産業』にシフトしている。観光でいえば、〝円安〟は〝儲け〟が少なくなる…ということだ。これは極めて常識的な話だ。

 また、池上彰さんが、「トランプ前大統領は新疆ウイグル自治区や香港の人権問題について無関心……」とテレビ番組で発言して、炎上した事件についてだ。

池上さんの発言は専門家などから常識になっていることを述べたに過ぎない。

だが、安倍シンパのようなトランプ支持者の対応は、「トランプさんは人権問題に熱心だった。「香港人権・民主主義法案」や「ウイグル人権法案」に署名したではないか!(根拠)」

 こういう人たちは、そもそもアメリカの法案成立の仕組みを知っているのだろうか? と疑問に思いますね。法案をつくったのはトランプ前大統領ではないからだ。

日本は、内閣が法案を作成して国会に送り、衆議院と参議院で可決されれば法律として成立します。ですが、アメリカでは大統領が法案を提出することは制度上できません。法案を提案して可決するのは、議会の権限だ。議会が法案を可決すると、大統領に送られ、大統領が署名して初めて法律になるのだ。香港やウイグル人の人権に関する法案も、議会主導で成立したのだ。大統領が署名しないと「大統領が拒否権を発動した」となる。

 議会で法案を作って、人権に関しての法案に署名しなければ、トランプ大統領(当時)に、アメリカ国民の多くが反発して、自身の再選にも悪影響を及ぼすだろう。

 だからこそ、トランプ大統領は署名した。「トランプ氏は人権を重視している」と主張している人たちは、この仕組みをまったく理解もしていないのではないか。

 かつて、大統領の補佐官だったジョン・ボルトン氏は回顧録で、「トランプ大統領(当時)は、(中国の香港やウイグル人人権問題に関して)「私はかかわりたくない」と言った。「アメリカも人種問題を抱えているからな」とも言った」と述べている。

 トランプ大統領(当時)のどこが「人権を重視している」のか?

 この説明でも理解できないなら、政治問題に関わり、池上さんなどを「嘘つき」呼ばわりする愚行をただちにやめたらどうなのか? 愚かすぎる。


安倍晋三政権への期待とがっかり感

(森友・加計疑惑・桜を観る会の疑惑・統計不正…)(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


安倍政権を支持する層の中には二つのパターンがあったともいいます。一つは安倍晋三内閣総理大臣を、何があろうとサポートし、支持しようとした勢力……つまり安倍信者。もしくはネトウヨ(ネット右翼)と呼ばれる人たちです。彼らは安倍晋三氏がヒトラーだとすれば、ナチス、もしくはヒトラーユーゲントのように、何があっても彼を支持するという気持ちでした。

それらの代表的な人物は櫻井よしこ氏やベストセラー作家の百田尚樹氏。ただ、強烈な安倍信者の一人でした。もう一つが、無知であるが故に、あの政権を支持していたという層です。明らかに無知であり、森友学園問題・加計学園問題、もしくは、桜を見る会の不正、統計不正問題や IR(カジノ)疑獄………それらのことを全く分かっていない無知な人間が、安倍政権を支持していた層の中にありました。

彼らは無知であるが故に、森友学園問題、加計学園問題のことも知らないし、桜を見る会の不正が……何が不正で何が問題であるかも分かっていなかった。では、無知であるならば勉強すればいいと思うんですか……それができない。森友・加計問題も何も知らない。

「じゃ勉強しろよ!」って言うと「勉強はつらい。勉強は嫌いだからやらない」みたいなことをいう。なら勉強して、知識を身につけて、それから批判的なことを言えばいいものですが、それができない。ただただ何も知らず、安倍晋三を盲信していた。

これを読む人には、そうはなってほしくない、という思いから、ここでは今さら聞けない森友・加計問題、桜を見る会の不正の問題、 IR疑獄などについて、問題について勉強していきましょう。


今さら聞けない『森友・加計疑惑』とは?

なぜ問題になったか? 森友学園払い下げ価格が安すぎる。

鑑定価格 9億5600万円。ごみ撤去費用を8億2200万円・適用。

払い下げ価格、それが1億3400万円

2016年六月、学校法人『森友学園』に大阪府豊中市の国有地が払い下げられました。不動産鑑定士が出した土地の評価額は9億5600万円でしたが、近畿財務局が出した払い下げ価格は「約8億円引き」の 1億3400万円でした。

森友学園・籠池理事長(当時)「小学校名は安倍晋三記念小学校にしたい。名誉校長を昭恵夫人に」

払い下げに首相(当時)夫妻の影響があったのではないか?

森友学園の籠池泰典理事長(当時)が、近畿財務局との交渉時に昭恵さんとの交流を強調していたことなども判明し、首相(当時)夫妻の影響で土地の価格が不当に安くなったのではないかとの見方が出ています。

2018年3月7日、近畿財務局局員・赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った。遺族が佐川元・理財局長と国を相手に1億1000万円の損害賠償を求めて提訴。(大阪地検・2020年3月18日)


なぜ問題になったか? 加計学園、許可に、官邸からの働きかけ?

五十二年間、どこの大学も認めていなかったが、「国家戦略特区事業」として、岡山理科大学獣医学部新設。加計孝太郎理事長は、安倍晋三首相(当時)の長年の友であるため、 100億円以上の補助金を交付されている。

特別な便宜を図ったのではないか?

学校法人『加計学園』は 17年1月、52年間もどの大学にも認められていなかった獣医学部を新設する国家戦略特区事業に選定されました。ただ、加計孝太郎理事長が、首相(当時)の長年の友であったため、特別な便宜をされたといわれています。首相(当時)や政府は関与否定していますが、愛媛県職員が作成した備忘録には、柳瀬唯夫首相(当時)秘書官・萩生田秘書官(当時)と面会し、「『事項は首相(当時)案件』と言われた」などときかれていたため、18年五月、柳瀬氏は、国会に参考人招致をされ、あいまいな答弁に終始した。国会へ提出した期間が 5年……15年二月にかけ、氏から構想を聞き、首相(当時)は「いいだろう」といったともいわれている。が、首相(当時)は直後に、この加計氏との面会を否定しました。

なぜ問題になったか? 官邸のそんたくによる決済書改ざんではないか?

財務省「首相(当時)や昭恵夫人が疑われそうだ」

売買に関する経緯を改ざん?

価格の事前交渉をうかがわせる期日や、本件の特殊性などの文章。

森友学園では、財務省財務局による決裁文書改ざん問題も発生しました。

財務省が、国有地払い下げの経緯を消した文章を国会に提出した際、首相(当時)や昭恵夫人の関与が疑われかねない記述を削除していたことを認めました。

公文書改ざんは、民主主義の根幹を揺るがしかねない事態であり、18年3月27日には、佐川宣寿元・理財局長が国会に証人喚問されました。財務省には18年5月23日、これまで残っていないと国会で答弁していた森友学園と近畿財務局の交渉記録を国会に提出しました。18年6月4日には改ざんの調査報告書も公表しました。

昭恵夫人と親密?  森友学園籠池理事長(当時)―――昭恵夫人

大幅な値引き   忖度一

近畿財務局   国会で追及――安倍首相(当時)「関係していたら首相(当時)も国会議員もやめる」忖度二   経緯改ざんーーー財務省・佐川財務局長(当時)

なぜ問題になったか?

*内閣支持率の低下

*自民と総裁選の行方が不透明に

*省庁再々編への議論が加速(01年省庁再編)

それでも安倍氏は首相(当時)に三選された。ポスト安倍や省庁再々編に影響もある。

その後、籠池被告夫妻には、森友学園補助金詐取によって 前学園理事長の籠池泰典被告(67・2020年時点)に懲役5年、妻の被告(63・2020年時点)に同3年執行猶5年(いずれも求刑は懲役7年)を言い渡した。これによって森友学園の裁判沙汰はおわった。


では『桜を見る会の問題事件』について説明していこう。

安倍氏の後援会の人々が、ホテルニューオータニの会合食事で、ホテルの最低食事額は1万1000円………しかし、後援会の人々は五千円しか払っていない。安倍が出したら、公職選挙法違反。食費の差額をホテルニューオータニが出したら政党助成金違反(政党と政治団体にしか出してはいけないから)。

安倍「ホテルニューオータニが宿泊費などを、ホテル側がまけてくれたのだろう」

後援会「ホテルニューオータニに泊まっていない」

安倍「事務的手違い」と逃げる。

また、反社会勢力やマルチ商法の人間が参加者の中にいた。首相(当時)の選挙区の後援会員記と芸能人、ジャパンライフ幹部、アベトモも。

菅「反社会勢力の定義がない」

(2007年反社会勢力の定義* 暴力・威力と強制的思考を駆使して経済的に利益を追求する集団、または個人が反社会勢力とされている。定義があったのでこれは矛盾している)。 

参加者のうち、反社会勢力がどれだけいたかはわからないが、参加していること自体が問題であるといわれている。

『ジャパンライフ』という、マルチ商法の会長が招待されていた可能性があったので、野党は「招待した名簿」を出せと迫った。しかし、オーダーの1時間後にはすべてシュレッダーにかけられて〝証拠隠滅〟のようになってしまった。

シュレッダーの空きがここしかなかったと、嘘。

PCのデータも消していた。菅「バックアップデータは、プリントアウトじゃないので行政文章(公文書)には当たらない」と。

桜を見る会ってどんなものなの?

首相(当時)の主催で、東京にある桜の名所・「新宿御苑」で毎年開かれる行事です。1952年に始まり、費用は公金で賄っています。たる酒や軽食、菓子が振る舞われ、出席者は首相(当時)らと歓談し記念撮影などをしています。

どこが問題なの? 第二次安倍内閣発足後、会への支出額と出席者数が大幅に増えたことを批判され、注目を集めることになりました。出資額は 2019年は5518万円で、14年度と比べ、2倍近くに増え、出席者数は19年度は約18200人で、重要年度の約1.3倍になりました。野党は、首相(当時)や自民党議員の後援会関係者が増えたとみており、「税金を使った後援会活動だ」と批判していました。

後援会関係者を招いてはいけないの?

基準が不明確すぎると指摘されています。招待者について、首相(当時)らの推薦枠があることも判明しました。首相(当時)は約 1000人の枠があり、政府が公人ではなく私人としている妻・昭恵夫人からの推薦分も含まれています。野党は、首相(当時)による会の私物化が極まったと批判を強めました。政府は、2020年の開催を中止し、招待基準や参加者数を見直すことにしました。

首相(当時)は自分で後援会関係者を推薦するの?

首相(当時)は招待者の取りまとめには関与していない、と国会で答弁しました。

が、その後招待者の推薦については意見を言うこともあったと説明を修正しました。

悪質なマルチ商法で知られた『ジャパンライフ』の元会長や、反社会勢力の人物も招待された疑いがあると聞きました。が、元会長は自身の会社のチラシで、15年の会に招待されたことをアピールしています。反社会的勢力は、出席したのかはわからないままで政府の説明不足は明らかでした。首相に辞任後、会長らは逮捕されました。

何が問題かといえば、前夜祭の会の食費がホテルニューオータニの一人のあたりの予算である1万1千円よりはるかに少なかったこともあり、不足分補充ならば、公職選法違反にあたるってことです。2019年度の桜を見る会には、約800人が参加しました。が、会費はすべて五千円でありました。このホテルニューオータニでの会食が、一人につき1万1千円ではなく、五千円ということであれば、もし、安倍氏側が補てんしたならば、公職選挙法違反となり、また、ホテルニューオータニがその分を差し引いたのであれば政党助成金違反となります。すべての総額がわかる、ホテルの明細書や見積書があれば五千円であったのかがわかるので、すべて、証拠隠滅で、シュレッダーにかけてしまったためデータが残っていないとされています。これが問題なのです。招待者名簿がなぜ残っていないのか? 野党が資料を求めたその日に、廃棄した、シュレッダーにかけた。まるで証拠隠滅です。


IR疑獄。秋元司衆議院議員(当時)が、収賄の疑いで逮捕、または関係者の贈賄による逮捕もありました。中国企業にカジノ特区での計らいへの賄賂があった、といいます。企業は 500以上の会社、または現金は300万円が秋元司元衆議院議員にわたり、またそのカジノ関連の会社や IT関係の会社が賄賂を贈ったということで逮捕されました。その逮捕された議員の中には日本維新の会議員・下地氏、自民党の議員などがいました。また安倍政権の不祥事としては、広島選挙区において、河井克行議員と妻の河合案里議員が、秘書への公選法違反行為、贈賄の容疑で罪に問われる事がありました。

第四次安倍再改造内閣で問題が指摘された閣僚

菅原一秀、経済産業相  10月25日に辞任

河井克行 前法務省   10月31日に辞任

萩生田光一文部科学相  野党の追及続く

北村誠吾 地方創生担当大臣 野党の追及続く

長期政権のメリットは、長期的な視野で物事を考えること。そして、一つのテーマに時間を分けて取り組めることだ。その利点をもっとも生かせるのが外交で、戦後の長期政権は日本の平和のために大きな役割を果たした。吉田茂元首相(当時)は、サンフランシスコ講和条約を結び、佐藤栄作元首相(当時)は非核三原則を表明し、沖縄返還を実現した。現状を冷静に分析し、一貫した姿勢で取り組んだことが政権の実績となってきた。

では、安倍首相(当時)はどうだったか。世界中を回っていたが、それが実っているとは言い難い。トランプ米国大統領とは仲良くしているが、大統領の本音は「自国さえよければいい」だけだったからだ。迎合すればするほど日本は他国から反感をもたれる。そして未曾有の流行病・新型コロナウイルス対策………。

目立った実績がなく、政権に「飽き」が広がるのに、政権が安定するのは、強力なポスト安倍がいなかったからだ。今の政治家は、少したたかれただけで簡単に屈してしまう。

長期政権の弊害も目立っている。首相(当時)官邸が人事権を具現化して、恐怖心を植え付けた結果、政権の意向に反発する役人がいなくなってしまった。長いものには巻かれろ的な空気で動く人ばかりなってしまった。そんたくをする官僚だけになってしまった。

民主党が分裂して、弱体化したことに加え、安倍氏にとって二度目の政権であることも大きい。第一次政権崩壊後に味わったみじめな体験が実に身にしみているため、権力への執着は深く強い。政権投げ出しも多かった近年の首相(当時)の中で抜きんでに抜きんでている。

安倍独裁政権といえたが、暗い意味ではなく、「安倍さんしかいない」風のものだった。

 そう考えると、安倍晋三氏はほんとうに『悪運』が強かった。神っていた。




無知な若者を騙して『とにかくバラマキ』で、安倍総理(当時)は改憲を狙っていた (当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)


 自民圧勝というより希望の党の小池百合子氏などの〝敵失〝で勝利した安倍晋三首相(当時)。選挙(衆議院)が終わって、ようやく国会が開かれた。「森友・加計(かけ)問題」や憲法改正・北朝鮮問題などの追及をすると野党は、熱心に戦略を練り本格審議を待っていた。安倍政権は無論、そんな野党の戦略的姿勢に対して準備をしっかりやって対応した。しかしそれは、政権与党でなければできない「バラマキ」の究極の大作戦だった。

 森友学園(加計学園でも?)と財務省との国有地売却問題の決裁書書き換え(改ざん)の問題で、一時期、ハチの巣をつついたような騒動になっていた。登場人物は佐川宣寿(のぶひさ・元財務相理財局局長・元国税庁長官)ら財務省官僚陣と政治家陣・安倍晋三総裁と昭恵夫人と取り巻き政治家など……。

自殺者まで出た公文書(決裁文書)の書き換え(改ざん・取引公文章などに、安倍首相(当時)や昭恵夫人などの発言や行動などの記述が、発表後、後日書き換え(改ざん))られた。

官僚の独断による忖度(そんたく)か?それとも安倍首相(当時)などの政治家による圧力か?まさに疑獄である。

公文書は「国民共有の民主主義を守る知的資源」であり、公文書を公開し保存するのは、政策決定過程を検証するようにするためだ。国有地売却に関する決算文書の改ざんが、そういう公文書管理法の立法趣旨に反している。

安倍晋三首相(当時)の関与は?

森友学園の名誉校長に一時就任するはずだった昭恵夫人の関与は?政治家の圧力か?官僚の忖度か独断か?問題解決まで議論されてしかるべきだった。

だが、菅義偉内閣になり事件の幕引きがされてしまった。

 補正予算や来年度の本予算の編成、来年度の税制改正など、国民生活に本当に関係性の深い経済政策が重要決定された。森友・加計問題で佐川長官は辞任、セクハラ問題で福田淳一財務省事務次官も辞任。安倍はおどおどと問題関与を否定し続ける。だが、安倍晋三首相(当時)の命運も尽きた。安倍独裁がおわったのだ。何といいことだろう。

だが、石破茂氏との戦いで、自民党総裁に再選されて、第四次安倍内閣(「在庫一掃セール内閣」)も発足した。しかし、参議院選挙で敗北すれば安倍辞任となり、ワンポイントリリーフで「管義偉内閣」があるかも知れない(病気辞任の交代だったが)。総裁選挙では、自民党の人気者小泉進次郎氏が石破茂氏を積極的に支持するのを避け(ので「空中戦」がなく、石破茂は勝ちを逃した)、安倍にすり寄って男を下げた。が、これは〝首相になるには大物のサポートが必要だ〝と悟ったからだった。

また、橋下徹氏が何か最近、政治世界に戻ろうとしているのか?五月蠅い。引退から再び『政界進出』なのか?なんにしても面白い動きである。

 よくいわれる世論だが、世論調査では、国民は、外交・安保・改憲などよりも社会保障や景気問題に深い関心を示している。憲法や外交安保について取り立てて興味を持たない有権者はもちろん、憲法改正にも安保法制にも反対の有権者も、野党よりも経済政策が与党の方が信頼できるということならば、与党に投票する人が多いということだ。

 考えの違いが鮮明化する外交・安保よりは、経済問題では、政策の実行力の方がどちらかというと重視されるという傾向もあると思う。安倍政権は、冷静にこの点を見極めていて、当面の支持率を経済政策で得れば、政権支持率は上がり、結果、政権が安定化するのだから、憲法改正もOKじゃないかという有権者をそういう気分に導くことができると読んでいたのだ。

 だから、憲法改正を声高に唱えるより、国民におおまかにバラマキ政策の恩恵を感じさせる方が、実は改憲への近道だと考えている。「バラマキ」で支持率を上げるという田中角栄的なお金の税金の「ばらまき」が安倍政権の支持率アップの政策である。

何故10~20代の若者が安倍政権を支持するのか?

10代~20代の政権支持率は各種世論調査や選挙の出口調査などで安倍政権の支持率が高いと明らかになっているとおり、他の年代よりも高いという。この年代は、安保闘争の時代には反権力の中心的役割だったが、逆に今は政権側についている。

 理由については、いろいろだが、この年代の若者は、幼少期から景気の良い状況を知らなかったため、安倍政権成立後に、株高で好況感が広がったことや失業率が下がり雇用環境が改善したことや、アルバイト賃金が上がったことなどを自ら経験し、自分たちにもアベノミクスの効果が波及していると実感したとする説が多かった。

また2009年から2012年にかけての民主党政権の失敗を見たことにより、民主党やその流れをくむ新党は信頼できないという反応を示す。また、外交安保についても、野党にはイデオロギー的に改憲反対、安保法制反対と叫ぶ野党には不安を感じ、民主党政権の悪いイメージも重なって、「北の脅威から国民を守る」という自民党の直接的な主張の方に共感してしまうようだ。

これからはバブルの再来で壮大なバラマキが始まるとの声もある。

 総選挙当時から与党大勝の予想を受けて始まった株高には、「バブル経済の再来ではないか」という声も聞こえる。「バブル」は、いつかはじけるという前提の言葉だが、下がれば日銀が買い支えるということが公然の約束になっている市場では、買わない方がむしろリスクだという様相だ。

 さらに、与党大勝によって黒田東彦(あだ名・クロトン)日本銀行総裁の再任が確実となった今、円安誘導政策と株高演出政策は継続すると市場は予想する。当面はバブル崩壊のことは忘れて買うしかないという状況である。

 バブル経済の再来のような景気のいい話があちこちで聞かれるようになるだろう。「高級外車が大量に売れる」「宝飾品や高級腕時計、絵画などが売れている」、「豪華客船クルーズの予約殺到」、「リゾート会員権の相場が上がる」などという映像がテレビに流されれば、否応なく「好況感」は高まる。

 そんな中、直接株高などの恩恵にあずかれない若者たちも、アルバイト賃金が上がり(人手不足で)、就職でも正社員採用が増えるなど、「経済は確実に良くなっている」という感覚が益々強まることになる。結果、「安倍さんのおかげだ」という意識は異常なほど高まるのだ。(新型コロナで景気悪化だが)

 安倍政権にとって死角がないわけではない。それは、「格差問題」である。安倍政権は発足当初、「富裕層や大企業が豊かになれば、そのうち、庶民一般にもその恩恵は滴り落ちてくる」という「トリクルダウン理論」を掲げて、「もう少し待ってください」と言っていたが、7年近く経っても、そんなことは起きなかった。菅内閣でも、いまだに来年には賃金が本格的に上がるなどと言っているが、庶民はそんなに気長ではない。

 また、高齢者民主主義というか、高齢者向けの手厚い社会福祉政策に比べて、若者向けの政策、特に子育てや教育への支出が明らかに不足していることへの批判は非常に高まっている。選挙で躍進した立憲民主党の枝野幸男代表は、格差問題への批判を経済面での論争における最大の武器としておそらく使ってくるだろう。

 安倍総理には、「保育園落ちた日本死ね!」というツイートを引用しながら自分を国会で責め立てた山尾志桜里衆議院議員の姿がくっきりと記憶に刻まれていたはずだ。

 安倍第四次内閣の発足にあたっての記者会見では、生産性革命・人づくり革命などとうたったが、消費税増税分のうち借金返済に充てるはずだった2兆円程度を使った3~5歳児の教育完全無償化を含むバラマキ政策が目玉である。低所得層に限ってではあるが、0~2歳児の子育て費用や大学などの高等教育の授業料無償化なども含まれる。これらの予算は、10~30代の若者層を強く鮮烈に意識したものである。野党が同じようなことを言っても、与党はそれをパクって実際に政策で実現して見せるというやり方で、逆に有権者の支持を獲得すればよいとやっているように見える。

 格差問題対応はそれだけにとどまらない。大企業と中小企業との格差についても対策が必要だ。今年度の補正予算では、中小企業向けにも大規模的な補助金バラマキが行わることになるだろう。

 大都市と地方の格差問題への目配りも欠かせない。TPPからアメリカが脱退して駄目になり、一息ついている農業関係者だが、彼らに対しても、EUとの経済連携協定対策と称したバラマキ予算が準備されている。

 さらに、公共事業のバラマキも増加しそうだ。先の衆院選の自民党の選挙公約には、「地下シェルターの整備」という項目があった。これは公共事業バラマキの権化と言っても良い二階俊博幹事長肝いりのプロジェクトで、全国津々浦々、あらゆるところにミサイルと核爆撃から国民を守るために「防空壕」のようなものを作るという。全国でこんなことを始めたらいくらお金があっても足りない。が、二階氏は、「財政がどうだこうだと言っている時ではない。普通の予算や普通の年次計画などではなく、頭をフル回転して対応しなければいけない」と述べている。

 安倍政権のバラマキは全方位で異常なほど実施されるだろう。自民党の公約集「J―ファイル」には実に473項目もの政策が並んでいるが、その大半は、補助金などのバラマキにつなげるための羅列された政策である。それは、国民生活を良くするためなどと言うことではなく、バラマキで安倍政権の後任の菅内閣への好感度を上げ、憲法改正の国民投票の際に、「安倍さんが言うんだから」と賛成してもらうためだ。官僚と族議員にとっては、天下りを含めた「利権拡大」でもある。

だが、日本のGDPは22位で、無知な若者たちは騙されている点に触れよう。

 人生で初めて景気が良くなったという若者たちは、「安倍さんが、そして菅さんが経済を変えてくれた」「民主党政権の時はひどかった」と本気で思っているという。彼らにとって、「日本が輝いていた時代」は歴史上の景気のお話のことであって、彼らの時代になって、安倍総理・菅総理が初めて日本を輝かせてくれているという錯覚があるのだ。

 安倍総理・菅総理は、非常にうまくそうした錯覚を利用しているわけだ。しかし、国際的にみると日本の若者の賃金は大幅に減少している。第二次安倍政権誕生前は1ドル80円だったが、今は円安政策で1ドル114円だ。一時は120円超まで下がっていた。これを国際的にみると、安倍政権前は、時給800円が10ドル。今は、同じ時給800円なら1ドル114円換算で約7ドル。3割も削減されたことになる。日本の若者の賃金は、アメリカに比べて非常に低いということになる。これなら日本の大企業は国際競争でかなり楽になり、空前の利益を上げることができるということだ。

 自民党は、そのうち最低賃金1000円にすると言っているが、一番高い東京でも現在の最低賃金は、10月に26円という大幅引き上げを行った後で958円。たったの8.4ドルである。一方、アメリカで今一番勢いのあるサンフランシスコ市の最低賃金は、14ドル。東京の1.66倍。来年は15ドルになる予定だから、仮に東京が来年、今年以上の引き上げで例えば30円上がったとしても988円で8.7ドル。サンフランシスコは東京の1.73倍とさらに格差は開くのだ。このペースでいけば、日本の最低賃金がアメリカの半分になる日もそう遠くはない。

 国民生活の豊かさを表す指標でもある一人当たりGDPを見ると、日本の凋落ぶりはさらにはっきりする。日本は、90年代に一貫して世界ランク一桁を維持し、最高では2000年に世界2位まで上昇したことがあるが、2016年度は22位まで落ちた。アメリカは90年代には、10位以内に入っていたものの概ね日本より下位にあった。2016年は8位と当時の順位を維持している。

 若者は錯覚しているが、「今はまだそれほど経済は良くないが、安倍政権が日本を復活させてくれるはずだ」という期待もかなり空虚なものだ。

 将来を占うには日本でのビジネス環境がどれくらい向上しているかが一つのカギだが、世界ビジネス環境ランキング(世界銀行)では、安倍政権になってから順位が下がっており、つい最近発表された世界ビジネス環境ランキング2018でも世界34位で、アジアのシンガポール(2位)、韓国(4位)、香港(5位)、台湾(15位)、タイ(26位)などの後塵を拝している。すぐ後ろの35位にはロシアが迫っているという状況だ。とりわけ、その中の評価項目「起業のしやすさ」では106位だから、前途は暗いとしか言えない。

 また、決定要因として重要な将来の教育力も高等教育でも日本は順位をどんどん落としている。日本の大学のレベルは下がる一方で、世界での競争はほとんど無理だ。アジアで見ても、東大がやっと7位(世界では39位から46位にダウン)という状況だ。東大の上には、シンガポール、中国、香港の大学が並ぶが、アジア20位以内に日本は東大、京大(世界では74位)の2校だけ。世界で見ると、東大、京大を除けば200位以内には1校もないという惨状にまで落ち込んでしまった。

「安倍さんが、そして菅さんが岸田さんが総理になって経済が良くなった。これからにも期待が持てる」と今の若者が考えているとしたら、明らかな錯覚なのである。

 だが、日銀の円のバラマキ(円安誘導)と政府の予算のバラマキという二つのバラマキ作戦は、若者をはじめとする有権者の支持を得るという目的から見れば、非常にうまくいっている。2年程度この「夢」をこのまま与え続ければ、憲法改正も夢ではないだろう。その時期は、19年夏の参議院選挙と同時の国民投票になるのではないか。その頃は、19年10月の消費税増税を前にした駆け込み需要で、ちょうど14年4月の消費税引き上げ前のような景気の盛り上がりになっているはずだ。元々、10月という中途半端な時期に増税をセットしたのは参議院対策のためだった。が、それを憲法改正にも、というのである。ちょっと事情が違ってきた。予想が違ったのだ。

 一方で 参院選と国民投票の同時実施のために同年10月の消費税増税を延期するという話もあるが、その可能性は低い。

 その理由は、増税を延期するなら、予算編成のために18年12月には決定しなければならなくなり、14年に解散総選挙で信を問うとしたこととの整合性をとるためにはその時点で解散総選挙ということになってしまう。また、再々延期は、増税に経済が耐えられないということになり、アベノミクスの失敗を裏付けてしまうことになるということだ。

またいわゆる安倍信者は安倍晋三が国難突破内閣といったのは対北朝鮮のことだという。信者には、野党の森友・加計(かけ)問題追求はすべて「フェイクニュース」「くだらないこと」であり、それに時間を割き追求する野党は無能で……安倍晋三は北朝鮮との戦争まで見据えて国難と闘う覚悟だったのだ、という。野党は馬鹿で、安倍晋三の内閣はよほど現実を見ている。野党は現に選挙でボロ負けしたし、現実的政策で景気も良くなったし、アホの野党より北朝鮮という国難を考えているのだ………という話らしい。森友・加計問題などより追及するべき問題や国難は多いのに、野党やマスコミは馬鹿ばっかりだ……というのが安倍信者の思想であるようだ。それがそのまま菅さんに。

これもまた安倍晋三、菅義偉を買いかぶりすぎ。安倍晋三にとって国難とはまさに森友・加計問題であり、北朝鮮と等戦争できる訳もないし、アメリカの忠犬ポチに何が出来るというのか?官僚の作文をただ棒読みするだけなら誰だって出来る。わたしに「立派な文章でも紙にプリントアウトするだけなら誰にでも出来る」……という、低評価が、審美眼のなさ、を如実に物語っている。安倍晋三は英雄でも戦略家でもない。只の無能二世政治家だ。

信者は目がわるいか頭が悪いのか………とにかく騙されている、というか……

 まさか暗殺されるとは思わなかったが………。

ともあれ、その時まで安倍政権のバラマキはエスカレートする。それまでに日本の若者、そして有権者は騙され続けるのだろうか?だとしたらまさに悲惨な「美しい国」になってしまう。それでも「アベノミクス」「安倍政権」を支持するのだろうか?これでは「アベノミクス」ではなく「詐欺ノミクス」でしかない。





山口県長門日露首脳会談の失敗(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)



2016年12月15日、ロシアのウラジーミル・プーチン露大統領を山口県長門市の旅館に招いて安倍晋三首相(当時)の地元で首脳会議が開かれた。まさに無策無能の会談となった。マスコミが薄々懸念していたように『食い逃げ』されておわりだった。

奇跡的に(これは嫌み)外交成果は出来たが、ロシア政府も事前に言っていたが「(北方領土)領土交渉」は無残という言葉では尽きないほど無残な結果だった。これは日本側が、というか安倍晋三首相(当時)自体が何の戦略もなかったということに尽きる。

8件ものお土産を用意しての首脳会談であったが、これが戦略である、というのだから笑える。安倍さんの悪い癖はその国のトップと会って話をすれば、外交だ、という勘違いの思考である。会っても外交成果がなければ、それは外交の失敗でしかない。会えばOKなんかじゃない。

だが、今のプーチン政権は千載一遇の好機なのである。トップのプーチン大統領は馬鹿ではない。日本にとって交渉に値する人物だ。

早めに日露安保条約を締結して、「50年間シベリア独占開発権」を握り100兆円出す代わりに石油・天然ガス等を日本にただ同然で50年間提供してもらうことだ。大体にしてロシアにとって北方領土等、9時間もの本土の時差の範囲、でしかないのだ。馬鹿の一つ覚えみたいにヒステリックに「北方領土を返せ!」と日本人が70年間も叫ぶもんだから反発しているに過ぎない。プーチン政権は現在あまり国内人気がない。チャンスだ。国内の人気が高いうちは国民に対して、かつてのメドベージェフ大統領(当時)みたいに「ロシア人の意地」を誇示する必要があるが、今なら変な国民へのPRもいらない。対中韓国戦略としてもロシア・モンゴル・中央アジアは抑えたい。

20世紀の古いマクロ経済理論に基づいたアベノミクスでは日本の反転攻勢のきっかけにならないことは、すでに指摘してきた。日本の突破口として私が大いに期待しているのはロシアだ。逆に、にっちもさっちもいかないのが中国、韓国。両国のメディアや教育システムが、あれだけ反日一色に染まると、関係改善のきっかけが見つからない。中国、韓国にしても日本から買わざるをえない機械や部品はたくさんあるから経済的な付き合いは粛々とやっているわけで、目下、中韓との関係改善に外交的なエネルギーを注いでも、アップサイドの要因はない。企業経営の常道を適用すれば、こうした近隣諸国とは一線を画して、大きく動く可能性が出てきたロシアに集中的なエネルギーを注ぐことで、日本経済に刺激を与えることを考えるべきだ。

日本にとって心強いのは2012年5月にプーチン大統領が戻ってきたことだ。

プーチン大統領といえば柔道の有段者で週に1度は鮨屋に行くほどの鮨好きで、日本と日本文化に対して深い敬意と愛情を持っている。

前任者のメドベージェフ大統領といえば、日本を挑発するために悪天候の中、わざわざ国後島に降り立った。彼は北方領土問題についても全く自分の意見を持っていない、情報不足のロシア人の典型的な振る舞いをした。

こんなトップとの話し合いは時間の無駄だが、日本贔屓のプーチン大統領なら話は別だ。今年4月、安倍晋三首相(当時)が日本の総理大臣として10年ぶりにロシアを公式訪問したのは、政府もプーチン大統領を停滞している日ロ関係を動かせる相手と見込んでいるからだ。

プーチン大統領の人気が、ロシアで落ち込みを見せていることも、日本にとって都合がいい。人気がある間は、国内に気兼ねして北方領土の返還交渉に応じられないが、今のプーチン大統領なら「I don't care」(気にしない)だ。

プーチン大統領が、日本との関係を正常化することがロシアのためになる、と思えば状況は一気に進展する。そもそも極東の小島など、全土で時差が10時間もあるロシアにとっては〝誤差〝の範囲でしかない。しかし日本側が史実を曲げて「北方領土は日本固有の領土」などと盛んに喧伝するものだから、ロシアは態度を硬化してきたのである。北方領土の歴史認識に関しては、日本側に問題がある。

日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。

ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。しかしアメリカのルーズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。

最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は〝正式な戦利品〝として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、〝戦利品〝として与えられたということだ。

おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。

こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。

こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。

〝日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した〝と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する〝アメリカの嫌がらせ〝から始まっているのだ。

戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。

外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

安倍首相(当時)との首脳会談でプーチン大統領は、他国との領土問題を解決した方式として係争領土を等分する「面積等分」を紹介したという。北方領土問題に関しても「面積等分論」を持ち出す可能性は高く、日本政府と外務省は過去のペテンを国民にきちんと説明し、これを受け入れるべきだ。そして直ちに「日ロ平和条約」を締結すべきだ。

四島の面積等分なら、歯舞、色丹、国後の3島と択捉島の一部が還ってくる。択捉に関しては面積等分で島の3分の1程度で軍事境界線のような線引きをして中途半端に返してもらうのなら、「島全体を日ロの共同管理」にする手もある。

日ロが接近しすぎるとアメリカが妬くし、択捉上空は重要な航空路でもあるため、共同管理にアメリカを加えてもいい。

実は、北方領土問題でロシアの最大の関心は領土ではない。

そこで生活しているロシア人の処遇についてだ。旧ソ連が崩壊したとき、ウクライナやカザフスタン、ベラルーシ、バルト3国などに暮らすロシア人はロシアに引き揚げる場所も資金もなかったので、それぞれの国に残って国籍をもらった。

旧ソ連が横暴を極めていた時代の裏返しで、在留ロシア人が各国でいじめられたり、虐げられている話がロシアで伝えられている。親戚や友人などもひどく気をもんでいて、内政上は、大切な問題なのである。北方領土に暮らすロシア人が同じ憂き目に遭うことをプーチン大統領は憂慮しているはずで、解決策を提示しなければいけない。

キーワードは「寛容」で、少なくとも3つのオプションが考えられる。

第1は日本国籍を与える。第2は、グリーンカードのような形で居住権を与えて、ロシア国籍は残す。3つ目は一時支度金のようなものを支払って、本人が希望するところに移住してもらう。このような人道的な選択肢を与えて優遇する国はいまだかつてないから、ロシア人も感激するし、日ロ友好に前向きになってもらえるだろう。

領土問題を解決し、平和条約を締結すれば互いの行き来も投資も非常に楽になる。すでにエネルギー分野のビジネスは動き出していて、サハリンで発電した400万キロワットの電力を直流高圧送電で日本に送るプロジェクトがサハリン地方政府から出ている。400万キロワットといえば「原発4基分」である。

海底ケーブルを使えば、これを東北電力や東京電力の管内まで持ってこられる。サハリン側は25年の実動を目標にしているが、急げば5年以内に可能だろう。これに刺激を受けたのがウラジオストクで、バイカル湖から東のオイルやガスがパイプラインでウラジオストクに集まってくるプロジェクトが進行中だ。これをLNG(液化天然ガス)で輸出したり、海底パイプラインを敷設して直接日本に持ってきたり、現地で発電した電力を(東電の送電網が完備している)直流高圧送電で、新潟の柏崎・刈羽などに送る案が有力である。日本海側に受け入れ基地を造れば、福井や新潟など、退潮する原発を代替する産業拠点となり、環日本海経済圏の重要基地として期待できる。

そうすれば、新潟、富山、石川、福井などで、LNGやガスパイプラインの陸揚げ基地争奪戦となるだろう。「日ロ経済連携」の第1ラウンドはエネルギーであり、ガスパイプラインや直流高圧送電で日本とロシアがシームレスにつながる。

この意味は非常に大きい。

カタールなどからバカ高いLNGを買っている日本としては、価格交渉力がアップするだけでなく、アメリカのシェールガスに涎を垂らす必要もなくなるからだ。

第2ラウンドは、日本企業の輸出基地を極東ロシアに展開することだ。極東ロシアに工業団地を建設し、現地で組み立てて、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクなどの西部の主要都市、さらにヨーロッパに製品を送るのだ。

極東ロシアの生産拠点とシベリア鉄道による陸送ルートを確立すれば、対ロ輸出の枠組みが広がる。また、先々、ロシアがEUに加入すれば日本はEUの隣国となり、産業政策上、非常に重要な基地ができる。産業と仕事が少ない極東ロシアでの雇用創出は、願ったり叶ったりだ。

さらに、日本海を挟んで、子供や学生などの人的交流も活発に進めて、両国にある警戒感や猜疑心を解きほぐしていく。

第3ラウンドは原子力。日本は核廃棄物の最終処分場を持っていないし、中間貯蔵施設すら圧倒的に不足している。そうした施設の受け入れにロシアの広大な国土の一部を使わせてもらう。ロシアが不得意なことを日本が補完し、日本にできないことをロシアに助けてもらうのだ。

北方四島にこだわるあまり、関係の深化が手つかずだった日ロ関係には、互いの閉塞状況を打ち破って突破口となりうる経済的に魅力ある項目がいくらでもある。日本政府は気合を入れて今年中に平和条約を締結し、目玉の乏しい第3の矢(成長戦略)に本稿で述べたような前向きなロシアプログラムを加えるべきではなかろうか。

「領土を返せ!返せ!」ではなく、ロシアとの間でシベリア共同開発や日露間の経済交流を密にしてから「ところで北方領土ですが…」という外交センスが欲しい。

「日露安全保障条約」「まずは二島返還」で「ひきわけ」「はじめ」ということ。

ロシアの極東発展相は北方領土問題について日露がまず四島の共同開発を通じて協力関係を築き、そのうえで解決を将来の世代に委ねるべきだとの見解を表明しました。またプーチン大統領と森喜朗元首相(当時)の会談について「首脳会談に繋がる建設的な会談だった」と評価し、首脳会談での成果に期待するという。

だが、大前先生はイシャエフ氏には申し訳ないが日露の共同開発を日本側が受け入れることはないだろうといいます。「共同開発」となれば「帰属問題」を明確にする必要もあり、パスポートの問題など細かい点の調整も必要となる。四島一括返還を主張しているだけでは堂々巡りになるだけなので意味がない。だから森氏とプーチン氏との間で「今年中にいくつかの策をだして、それをベースにまた話し合いましょう」と上手な言い回しをしている。

日本の北方領土の歴史認識はある意味尖閣に対する中国に似ている。

中国が最近トーンダウンしているのも「歴史的には台湾の問題だ」と中国人が気付いたからです。

森氏は正しく理解していますが、政治家やジャーナリストの中にもこの事実を知らないひとが沢山います。

それにしても山口県長門日露首脳会談は残念でしたね。やはり、軍師をもたない首相(当時)では駄目なんですよね。

安倍政権の、『「レガシー外交」は前途多難』であった。安倍政権は選挙で勝利したものの、残された年で処理するには壁の高い難題が多かった。ロシアとの北方領土問題、韓国との一連の対立などに加え、本格化する日米貿易交渉で、トランプ大統領(当時)が攻勢に出ると見られ、安倍外交はいよいよ正念場を迎えた。安倍首相(当時)は頻繁に海外に出かけてきたが、何も残らなかった。

理由ははっきりしています。安倍首相(当時)には、米国のヘンリー・キッシンジャー氏のような交渉官がいなかったからです。劉備玄徳に対する諸葛亮孔明のような軍師・交渉官がいなかった。孔明やキッシンジャー氏のような人がいればこそ、ニクソン大統領や劉備のような人物でも、交渉を上手くまとめられたのだと私は思います。安倍首相(当時)の周りにいるのは、外務省出身の谷内氏北村氏のような人物ばかりでした。

これが最大の問題です。このような状況の中で、外交交渉を上手くまとめるためには、例えばロシアのプーチン大統領と命がけで自ら交渉するしかない。

その場合には、同様に米国のトランプ大統領(当時)とも命がけで、「北方領土が返還されたときには日米安保条約の対象外とする点」について交渉する必要があるでしょう。

米国からこの言質をとっておかなければ、米軍の駐留を嫌うロシアは絶対に首を縦に振ってくれない。外交交渉には「順序」が大切です。まず、中国との関係を良好にして尖閣諸島など領土問題を解決します。尖閣諸島を日米安保条約の対象として米軍に守ってもらっておきながら、返還された北方領土は別扱いとするのは無理がある。

谷内氏などは、「北方領土に米軍駐留を求められたら、論理的に断れない」ということをロシアに言ってしまうのですから、話になりません。

まず中国との関係を良好にして、その上で米国に交渉をするのです。米国からは何かしらの「お願い」をされる可能性もありますが、それも可能な範囲で受け止める必要があると思います。そして米国と話をつけてから、ロシアに日ソ共同宣言に戻りましょうと提案すれば良い。

全てをバラバラに行っているから上手く行かないのであって、順序立てて実施していけば、上手く交渉できる可能性は大いにある。

北朝鮮について言えば、小泉元首相(当時)と同じように、就任したらすぐに訪問するべきだった。

何も出てこなければ、国民に素直に謝ればいいだけですよ。それでもすぐに動いていれば納得感はある。

それをズルズルと後回しにして、北朝鮮との関係性も悪化し、間を取り持ってくれる可能性があった韓国とも揉めてしまい、もはや手がつけられない。トランプ大統領(当時)に口を利いてもらうなどと他人任せにするのはあり得ない。

安倍外交の最大の問題は中国との関係性をこじらせたこと。民主党政権にも責任はありますが、安倍首相(当時)としてはそれを踏まえて何とかするべきだったと思います。

また、イランのホルムズ湾沖の「有志連合」問題ですが、日本が米国に誘われるまま法律を整備して、海上自衛隊の派遣をするという方法を取れば、イランとの関係性は悪化します。しかし、まだ日本とイランの関係性には「脈」があるので、「今は油を買うことはできないが、トランプ大統領(当時)が退くのを待っている」など、イランとの友好関係を維持することは可能だと思う。

米国に言われるがまま海上自衛隊を派遣するのは愚策ですね。

米国に強く要請されても後方支援くらいに抑えられると思います。

米国には何か別の形で要求を突きつけられる可能性もありますが、それでもホルムズ海峡の問題については米国との場外でイランとの信頼関係を維持していくのが良いと思います。(後任の菅義偉内閣には期待する。軍師を頼む)

*(ホルムズ海峡はイランとオマーン(の飛び地)の二国間の海領(国際航路)。イランが封鎖する、とはオマーンの公海をも封鎖するということ。脅しか本気か。どちらにしても、そうなれば中東大戦争になってしまう。イラク、サウジ、UAEなどからの日本の原油タンカーの7~8割はホルムズ海峡を通る。そこを封鎖などされたら、日本国は石油切れ(油断)で、干上がってしまう)(また、日本の年金で死ぬまでに2000万円ほど蓄えが必要……という金額は総務相の『家計調査』に前からある金額を引っ張ってきたもの。また、『日本の年金は100年安心』というのは『100歳まで安心して年金が受け取れる』というのではなく、『日本の年金制度は100年間維持できる』ということである。百歳まで安心、ではない!)。

アベノミクスはムードをつくっただけだ。

不況は回復していない。一部の大企業を除きほとんどの企業が赤字決算なのがその証拠である。例えば、アジア外交では、ベトナムやASEAN諸国を(対中国外交の為の)バッファーゾーンとするべく資金援助していくとか、いろいろと戦略がある筈である。

国民へのパフォーマンスとポピュリズムで、外遊と、派手な政策を掲げる、などまさに愚の骨頂であり、そういうのを匹夫の勇という。日本の政治家・官僚に真に「外交は武器を持たない戦争だ」「外交はスーツを着た戦争だ」と理解している 人間はいるのだろうか?いないから「テロ国家・北朝鮮、テロリスト・金正恩との交渉」等というものが出てくるのだ。まさに「馬鹿は死ななきゃ治らない」で、ある。


 それは永田町で「安倍ノート」と呼ばれている。安倍晋三首相(当時)が付けている備忘録である。2007年9月12日の失意の退陣表明から間もない時期から書き始めたという。政治家のメモランダムといえば、明治期の外相、陸奥宗光の外交記録「蹇々録(けんけんろく)」や、一級資料と目される「原敬日記」が知られているが、そうしたものとは違う。第一次安倍政権がなぜ366日という短命で終わったのか、自ら分析した「反省の記」だという。

 安倍氏は月刊誌に寄せた論文にこう書いている。<「あのときはこうするべきではなかったか」と思い返す事も少なくありません。そうしたことのひとつひとつをノートに書き溜めて、この五年間、折に触れて読み返してきました>(文藝春秋13年1月号)安倍氏は「愚痴になるから、お見せできる代物ではないところもたくさんある」という。まあ、持病の大腸の病気で辞任し、五年間雌伏のときを過ごしたという内容だった。(「首相(当時)の肩書  消えた後 安倍晋三氏 雌伏の5年」毎日新聞2013年4月28日(日)号 川上克己氏記事参照)

 

   安倍氏と菅氏〝敵の敵は味方〝タッグ結成なら「高市早苗総理」誕生も(当時の記事です。内容を尊重してそのまま掲載いたします)

2021/11/09 07:15


「大安倍派」の旗揚げで、岸田文雄首相どうする(写真/共同通信社)© NEWSポストセブン 提供

 キングメーカーの安倍晋三・元首相は総選挙で岸田文雄首相を十分脅かせる「数の力」を維持した。自民党の善戦で安倍チルドレンの多くが生き残り、「魔の3回生」も9割が4回生となった。そしていよいよ悲願だった最大派閥・細田派の会長に就任し、名実ともに「安倍派」へと衣替えさせる日が近づいている。11月10日に召集される特別国会で、細田派会長の細田博之氏が衆院議長に就任することが内定し、派閥の代替わりのチャンスが来た。

 議長は政治的中立を保つために離党するのが国会の慣例で、同時に派閥を離脱する。前衆院議長の大島理森氏も議長就任時に大島派会長を退任し、山東派(現在は麻生派に吸収合併)に衣替えした。

 実は、安倍氏には簡単には会長を継げない事情があった。政治ジャーナリストの野上忠興氏が語る。

「安倍氏は最初の首相就任時に清和研を離脱して以来、派閥に戻らなかった。2012年の総裁選では派閥から止められながら出馬して当時の清和研会長だった町村信孝氏と争い、首相に返り咲いても意趣返しで官房長官に無派閥の菅義偉氏を起用するなど細田派を重用しなかった。だから派内のベテラン組には安倍氏の派閥会長就任に強いアレルギーがある」

 そこで安倍氏は今回の総選挙で細田派候補の選挙区を重点的に応援に回り、恩を売って会長就任に向けた地ならしをしてきた。総仕上げが、細田氏を議長に祭りあげて会長の座を空けさせる人事だ。細田派中堅は、「細田議長就任後に開かれる派閥総会で安倍さんの復帰と会長就任が正式に承認される見通し」と言う。

 そうなれば、安倍氏は最大派閥の領袖としての発言力と、派閥横断的な安倍チルドレン勢力への影響力という2つの「数の力」を持つ。「大安倍派」の誕生だ。

 今の安倍氏は「大田中派」を率いて〝闇将軍〝と呼ばれた田中角栄氏と重なると指摘するのは、角栄氏の番記者だったジャーナリストの田中良紹氏だ。

「田中角栄は最大派閥の力で鈴木善幸、中曽根康弘を次々に首相に担ぎ上げたが、キングメーカーに甘んじるのではなく、自らの総理復帰を念頭に置いていた。だから総理は〝ボロ神輿〝で力が弱いほうがいいし、派内にも後継者、総裁候補をつくらなかった。

 安倍氏も同じだ。9月の総裁選には細田派から安倍氏と近い下村博文氏が出馬に動いたが、協力しなかったばかりか、無派閥の高市早苗氏を担ぎ出した。派内から総裁候補が出る動きを挫くのは自身3度目の首相登板を考えているからでしょう」

 だが、かつての角栄氏は田中派が141人と勢力最大になった途端、竹下登氏と金丸信氏に派内クーデターを起こされて病に倒れ、時の中曽根首相は角栄氏の影響下から独立した。

 安倍氏の誤算も、〝傀儡〝にするはずだった岸田文雄・首相が本気で独り立ちに向けて動き出したことだ。

「岸田首相が人事で甘利明氏や麻生派を重視してきたのは、岸田派、麻生派、谷垣グループが1つになる大宏池会構想で最大派閥の細田派に対抗し、安倍氏の力を削ぎたいという考えがある。

 今回の茂木敏充氏の幹事長起用も旧竹下派を味方に取り込むためです。安倍氏には、そうした岸田首相の行動がかつて〝総理にしてくれた恩人〝の角栄排除に動いた中曽根と重なって見えるから一層不信感と警戒感を強めている」(同前)

 安倍側近として知られる青山繁晴・自民党参院議員は、岸田首相と安倍氏の抗争の舞台裏をこう語る。

「大宏池会構想というものがあって、岸田派と麻生派と谷垣グループを統合し、大きな大宏池会にして、安倍さんや細田さんの派閥よりはるか上に行ってしまおうというものです。そういう派閥次元のことを岸田さんも考えていると党内で言われていて、それで宏池会の中心人物である林芳正さんを外務大臣に持って来ると。

 しかし、そうすると総理も外務大臣もすべて大宏池会に向かっての動きになるから、派閥抗争につながるわけです。とくに安倍さんは黙っていないですよね」

 安倍氏が「数の力」を強めれば、岸田首相も総選挙で善戦したことで党内求心力が強まる。選挙が終わると同時に起きた岸田VS安倍の〝見えざる戦争〝は今、天秤がどちらに傾くかの均衡点にあるといっていい。


タイミングは参院選前

 注目されるのは、安倍氏が「切り札」の高市氏をどのタイミングで使うかだろう。

「総選挙で思いのほか議席を得た岸田首相の力はこれからそれなりに強くなる。時間を置けば安倍氏は次第に押しやられ、不利になっていく。

 政治スケジュールを見ると、来年夏には参院選がある。総選挙で善戦したとはいえ、自民党内は現職幹事長だった甘利氏を落選させた岸田首相が選挙に強いとは思っていないから、安倍氏が高市氏を担いで〝岸田降ろし〝を仕掛けるなら参院選前のタイミングでしょう」(前出・田中氏)

 一方の岸田首相には大きな不安要因がある。新たな敵の出現だ。今回の総選挙では9月の自民党総裁選で〝再起不能〝に追い込まれたはずの菅前首相をはじめ、河野太郎氏、小泉進次郎氏、石破茂氏の「小石河トリオ」が全国を応援に回り、高市氏と並ぶ存在感を発揮した。〝オレたちはまだ終わっていない〝と反主流派が復権の糸口をつかんだ。

 これまでは安倍氏との権力闘争に全力を傾けることができた岸田首相だが、参院選を前に安倍―高市の〝岸田降ろし〝に連動して小石河が反岸田で動けば、腹背に敵を受けることになる。岸田VS安倍の権力闘争の最終場面では、この第3勢力の動きが鍵を握ることになる。

 ポイントは自民党内の権力バランスが総裁選当時と完全に変わっていることだ。

「小石河連合を数の力で打ち破った3Aトリオのうち甘利氏は失脚、大宏池会構想の提唱者の麻生太郎氏は岸田首相を支持しており、いまや3A体制は崩壊して敵味方に割れている。そこに岸田降ろしが起きたとき、菅氏や河野氏らが岸田首相側につくとは考えられない」(同前)

 反主流派のキーマンの菅氏にとって一番の政敵は政治手腕を全く評価していない岸田首相だ。3Aは自分を政権から引きずり降ろした敵ではあるが、もともと麻生氏や甘利氏とは肌が合わなかったのに対して、安倍氏は自分を官房長官、首相へと引き立ててくれた恩人でもある。

 3A体制が崩壊したことで、今度は安倍氏と菅氏が〝敵の敵は味方〝と手を組めば、まさかの来年6月政変、高市総理誕生のウルトラCもありうる。

※週刊ポスト2021年11月19・26日号


 なお、この作品内でのプーチン大統領の評価は、『ウクライナ戦争』以前のことです。また、安倍晋三元首相が暗殺される前の記事であり、とにかく、安倍さんの銃撃事件での逝去に関しては改めてご冥福をお祈り申し上げます。まさか、暗殺されるとは……

 正直、安倍さんは嫌いでしたが、殺されるほど憎まれているとは思いもよりませんでした。犯人は安倍さんが旧・統一教会と関係があると勘違いし、銃弾を向けたとか。

 まことに、あってはならない事件ですし、安倍さんが殺されたのは日本国にとって大きな損失です。まずは、冥福を祈って、おわりとします。

 安倍さんは愛国者であり、また国際協調路線の政治家でもあり、まさに偉大な政治家でもあった。よって、外国の要人も安倍さんの死を悼んでいる訳だ。安倍さんが亡くなってからそれを知っても遅いのでしょうが。我々は「安倍がいなくなったら日本がよくなる」というヘイトスピーチの大嘘を、死後からの数年で思い知るだろう。

 地元民や支援者が「優しく気さくだった」と主張するのは当たり前で、嫌な態度をしたら落選しますからね。「優しい方だった」と誰もがいうのは当然だ。

 だが、安倍さんは熱狂的な支持者がいる一方で、敵も多かった。

 それにより、日本の国論は分断された。だが、殺されるのは違うだろう。

これで森友学園・加計学園・桜……などの疑惑は闇から闇に葬り去られるが……

暗殺のような暴力テロは憎むべき所業で、故に、安倍晋三元首相を忍ぶのも、また故、としない。


おわり









『参考文献』毎日新聞記事引用+参照+

著作

主著

『安倍晋三対論集 日本を語る』PHP研究所、PHP研究所、2006年4月。ISBN 978-4569643632。

『美しい国へ』文藝春秋〈文春新書〉、2006年7月。ISBN 978-4166605248。

『新しい国へ 美しい国へ 完全版』文藝春秋〈文春新書 903〉、2013年1月。ISBN 978-4166609031。

『日本の決意』新潮社、2014年4月。ISBN 978-4103355915。

共著・編著

『吾が心は世界の架け橋-安倍外交の全記録』安倍晋三 編、新外交研究会、1992年4月。 - 安倍晋太郎外交対象。

安倍晋三、岡崎久彦『この国を守る決意』扶桑社、2004年1月。ISBN 978-4594043315。

『日中対話』安倍晋三 編、言論NPO〈言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える-有識者の主張〉、2006年12月。ISBN 978-4903743011。

安倍晋三、百田尚樹『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』ワック、2013年12月。ISBN 978-4898314180。

安倍晋三、橋本五郎、他『安倍晋三 回顧録』中央公論新社、2023年

論文

Asia's Democratic Security Diamond By Shinzo Abe PROJECT SYNDICATE

参考文献

佐藤朝泰『豪閥-地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年6月、75頁。ISBN 978-4651700793。

山際澄夫『安倍晋三物語』恒文社21、2003年9月。ISBN 978-4770411020。

山際澄夫『安倍晋三と「宰相の資格」』小学館〈小学館文庫〉、2006年2月7日。ISBN 978-4094056143。

水島愛一朗『安倍晋三の人脈』グラフ社、2006年11月。ISBN 978-4766210163。

安倍昭恵「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『週刊新潮』第53巻第1号、新潮社、2008年1月3日、 NAID 40015758477。

上杉隆『官邸崩壊-安倍政権迷走の一年』新潮社、2007年8月23日。ISBN 978-4103054719。

大下英治『安倍家三代』徳間書店〈徳間文庫〉、2006年6月。ISBN 978-4198924348。

神一行『閨閥-特権階級の盛衰の系譜』角川書店〈角川文庫〉、2002年3月、改訂新版、62、212-228頁。ISBN 978-4043533060。

俵義文・魚住昭・横田一・佐高信・『週刊金曜日』取材班『安倍晋三の本性』株式会社金曜日、2006年11月。ISBN 978-4906605200。

野上忠興 『気骨 安倍晋三のDNA』 講談社、2004年4月。ISBN 978-4062123082。

広瀬隆『私物国家 日本の黒幕の系図』光文社〈知恵の森文庫〉、2000年6月、354頁。ISBN 978-4334780012。

小川榮太郎『約束の日-安倍晋三試論』幻冬舎、2012年8月31日。ISBN 978-4344022379。

田母神俊雄『なぜ朝日新聞はかくも安倍晋三を憎むのか』飛鳥新社、2014年8月30日。ISBN 978-4864103336。

松田賢弥『絶頂の一族 安倍晋三と六人の「ファミリー」』講談社、2015年2月19日。ISBN 978-4062194341。

野上忠興『安倍晋三 沈黙の仮面 ―その血脈と生い立ちの秘密―』小学館、2015年11月12日。ISBN 978-4093884471。        

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妖怪の孫の死。安倍晋三と暗殺とその時代アベノミクスの瓦解 長尾景虎 @garyou999

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