石川達三、執筆への決意 戦前から戦後、恩師に宛てた31通

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
1942年9月、石川達三が恩師に宛てた手紙。「この動乱の中にあつて、而も流されざる程の作品を産まなくてはなるまいと存じます」と決意をつづっている=東京都千代田区で1月、玉城達郎撮影
1942年9月、石川達三が恩師に宛てた手紙。「この動乱の中にあつて、而も流されざる程の作品を産まなくてはなるまいと存じます」と決意をつづっている=東京都千代田区で1月、玉城達郎撮影

 「生きている兵隊」や「青春の蹉跌(さてつ)」で知られる作家の石川達三が戦前から戦後にかけ、恩師に書き送った手紙31通が見つかった。ブラジル移民をテーマにした「蒼氓(そうぼう)」で第1回芥川賞を受賞し、社会派作家として活躍する一方、戦争に協力する文章も残した石川。手紙からは、執筆活動への意欲や終戦を願う思いを素直に表しつつも、国家権力から批判を受けることを「運命」と捉えていたことがうかがえる。専門家は「政治や戦争に翻弄(ほんろう)されながらも小説を書くことにこだわった姿が伝わってくる。戦前、戦中、戦後の知識人の身の振り方が分かる貴重な発見だ」と話す。

 見つかった手紙は、1930年5月~65年1月の計31通(書簡6通、はがき25通)。生涯恩師として慕った元合同新聞(現・山陽新聞)主幹、杉山栄さん(1892~1968年)に宛てた。杉山さんは、早大第二高等学院生だった石川が家族のいる岡山へ帰省した時に知り合い、その後の作家デビューや小説の新聞掲載を後押ししたとされる。手紙は杉山さんの遺族が遺品を整理中に発見した。

この記事は有料記事です。

残り1388文字(全文1848文字)

あわせて読みたい

アクセスランキング

現在
昨日
SNS

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月