検閲で中止の新聞小説 芥川賞作家・石川達三の遺族がゲラ寄贈

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掲載できなかった「成瀬南平の行状」18回原稿。青いスタンプで「検閲削」の印があり、赤色で囲み、その脇に×が付けられている(秋田市のきららとしょかん明徳館蔵)=2023年2月9日、工藤哲撮影
掲載できなかった「成瀬南平の行状」18回原稿。青いスタンプで「検閲削」の印があり、赤色で囲み、その脇に×が付けられている(秋田市のきららとしょかん明徳館蔵)=2023年2月9日、工藤哲撮影

 第二次大戦終結直前の1945年7月に毎日新聞に連載され、当局の検閲により15回で掲載中止となった芥川賞作家、石川達三(05~85年)の小説「成瀬南平の行状」の新聞のゲラ(試し刷り)が、遺族から秋田市立中央図書館明徳館(きららとしょかん明徳館)に寄贈された。ゲラには作家の手によるとみられる大幅な修正加筆の跡や、「検閲削」の印が押されたものもあり、関係者は「検閲の中、作家が掲載を目指して格闘した様子が見てとれる」と話す。【青島顕】

 「成瀬南平の行状」は7月14日から連載され同28日に打ち切られた。新聞には同29日から「本日休載」のお知らせが連日載り、終戦後の8月17日の社告で「都合により続稿を打(うち)切ります」と説明された。

 小説は、故郷の県知事として赴任した官僚から、県の宣伝活動のために「特別報道班」に任命された、幼なじみの南平が主人公。南平は知事の意図を超えて口を出し始める。食糧事情が悪い中、県の高官だけが食堂を利用できることを問題視し、知事や高官が食事している食堂に現れて、翌日から自主的に弁当を持ってくるよう演説する場面も描かれている。

 社史の「毎日新聞七十年」(52年刊行)によると、小説は「言論抑圧下に口には出せない国民の不平不満がみなぎっていた」時期に発表されたこともあって「読者の熱狂的な人気の的になった」。しかし内閣直属の情報局が「官僚に対する侮辱」であるとして、2、3回に注意し、5、6回に「厳重な警告」をした。原稿と挿絵の事前検閲を求め、15回の挿絵が掲載禁止となった。情報局は達三と毎日新聞東京本社編集局次長の出頭を要求した。達三の自宅は2日間にわたって捜索された。

 今回寄贈されたゲラを見ると、掲載最終回となった15回には手書きで「中止」と書かれている。掲載されなかった16回には手書きで「全部削除」「ここから以後は掲載をやめた」とある。18回には青いインクで「検閲削」の印が押され、削りや手書きの直しの跡が見られる。

検閲を検証する手がかりになる可能…

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