競泳界のプリンセス・種田恵=北京の星

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竹村コーチとの出会い

日本選手権で五輪切符を手にした種田。竹村コーチと一緒に北京に行くことを目標に泳いだという 【Photo:アフロ】

――クラブの担当コーチが辞めてしまい、2006年の秋からJSS長岡に所属を移されました。なぜ大学のある神奈川から離れた新潟の竹村コーチに師事を求めたのでしょうか?

 竹村先生は05年の世界選手権の時の担当コーチでした。私は束縛というか、「あれをやれ、これをやれ」と言われてできないタイプで、自分が「これをやってこうなりたい」と考える方なんです。もちろん(コーチから)練習のことで指示されることもありますけど、自分が納得しないと身が入らないんですね。そういう意味で、先生はあまりきちきちしていないところがよかったんです(笑)。

―現在は拠点を長岡に移されていますが、以前は練習メニューをもらって神奈川大学で練習をされていたそうですね。そばにコーチがいたとしても、練習で気持ちを維持するのは難しいと思うのですが

(コーチと)離れて練習していたのは苦しくて大変でしたけど、大学のマネージャーにはついてもらって、タイムをとったり、データを先生に送ってもらったりしていました。確かに、先生が近くにいるよりはさぼれる状況でしたし、マネージャーは優しい先輩だったので怒られることもない。泳ぎを崩してもタイムを落としてもあまり何も言われない環境でした。でも、だらだらやっていても目標には近づけないですし。先生とは電話やメールで連絡を取っていたんですが、やはり見ていないと分からないこともあるので、大変なこともありました。でも、そういう環境だったのは(06年の秋から)半年間くらいですね。07年は世界競泳の代表に入ったので、4月以降は合宿などで先生と一緒にいることも多かったです。

――そういう中で支えになっていたのは何ですか?

 当時「一人で練習して大変だね」といろんな方から言われて、もちろん私もキツイなと思うこともあったんですが、実際は大学のみんなも同じ時間に一緒に練習していました。もちろん、練習サイクルは違うときもありましたけど、大学にいたので友達にも会いますし、別メニューだったとしても、一人で練習しているわけでもないですし。メニューが別というのも、隣に競る人がいないので苦しいときもありますけど……。

 でもむしろ、長岡に行ってからの方が(コーチとマンツーマンで)一人という感じです。最初は友達もいなかったですし、一人暮らしなので。でも、(JSS長岡の)プールは波がなくて泳ぎやすいですし、人が多いと(レーン確保の面で)思うように泳げない場合もあるので、一人で泳ぐのがいいこともあります。泳ぐときは人に合わせるわけではないので、これもいいかなと思っています。

均等に遅かった子供時代

――そもそも水泳を始めたきっかけは?

 お兄ちゃんが2人いて水泳をやっていたのと、喘息(ぜんそく)だったので何か運動をということで、2歳の時にベビースイミングを始めたみたいです。ほかにもピアノなどもやっていたんですが続きませんでした。最初は水泳が好きだったわけではないんですけど、コーチが怖くて辞められなかったんですよ(笑)。今はやっていてよかったと思いますけどね。

 小学校から中学1年の夏までは埼玉で過ごして、その後北海道に戻ったんですが、それまでは大会で決勝にも残れないレベルだったのに、北海道に行ったら急に自分が一番になったんです。そうなると楽しくなるじゃないですか。それで意欲が沸いてきて、褒められることでまたタイムも伸びて。(札幌大谷高に入学した)高校時代には、2カ月で200mが7秒伸びたこともあります。

――最初から平泳ぎが専門だったのでしょうか?

 最初は何も得意なものがなくて、均等に遅かったんです(笑)。何もやることがないと、だいたいフリー(自由形)でたくさん泳げって言われるんですよ。それで時々、バック(背泳ぎ)やバッタ(バタフライ)、ブレスト(平泳ぎ)で大会に出たりしました。でも小4の時、ある日平泳ぎでJO(ジュニアオリンピック派遣記録)が切れたんです。そこからですね、平泳ぎを重点的にやるようになったのは。

――平泳ぎが向いているとご自身で思いますか

 向いていると思う瞬間は今でもないですね。でも、どうせやるなら世界で戦いたいので、ブレストで良かったなとは思います。外国人選手は背が高かったりごつかったりしますけど、平泳ぎはそれがいいというわけではないので。フリーやバッタは、体の大きさや筋肉のパワーの違いで厳しいかなとは思います。でもブレストは筋肉があるに越したことはないですけど、背が高いから速いというものではない気がします。

泳いでいるところをみんなに見てほしい

マイブームはネイル。種田にとってピンク色のネイルが縁起担ぎだという 【写真提供:JSS長岡】

――北京での目標を聞かせてください

 先生はメダリストのコーチ(※2)で(五輪を)経験していますが、私はオリンピックに行ったこともありません。(北京五輪の)会場には(今年2月のプレ五輪で)行きましたが、きっとあの時とは違う雰囲気でしょうし、自分も違うだろうなと思います。
 まだ想像ができないんですけど、オリンピック(のメンバー)に選ばれている人でも全員がメダルを狙えるわけではないので、自分がそういう位置にいるからこそ、二度とないチャンスだと思って今を大事にしたいですね。これから(競泳を)続けるか続けないかは終わってみないと分からないですし、いつどうなるかも分からないので。自分がどこまでできるのか、(メダルを)狙っていきたいと思います。

 2〜4位はどっこいどっこいなんです。ということは、2番にもなれるかもしれないし、4番かもしれないということ。自分次第ですね。(世界記録保持者の)リーゼル・ジョーンズ(※3)とはベストが3秒くらい違いますが、リーゼルが(北京五輪で)ベストで来るかどうかも分からないですから。

――最後に、北京五輪は楽しみですか?

 まだ練習もこれから上げていくところなので、今からワクワクしているという感じではないです。でも、あの舞台で泳いでみたいと思いますね。楽しみな気持ちもあります。もう少し近づいてきたら分からないですけど、こういう話をすると緊張するというかドキドキしますね。まだ自分に完ぺきに自信がない部分も正直ありますが、人ごとみたいですけど、どんな結果が出るんだろうって。大舞台でビビっちゃわないかな、とか心配もありますけど、あの会場で泳いでみたいと思います。そして、泳いでいるところをみんなに見てほしいですね。

<了>

(※1)派遣標準記録……北京五輪の代表選考会を兼ねた日本選手権では、決勝で派遣標準記録(S、I、IIのいずれか)を突破した上で、2位以内に入った選手を代表に選出。派遣記録は2005年〜07年の3年間での世界ランキングを基に作成され、Sは3位(メダル圏内)、Iは8位(入賞)、IIは16位(準決勝進出)相当

(※2)メダリストのコーチ……JSS長岡の竹村吉昭コーチは、2000年シドニー五輪の女子背泳ぎ100mで銀メダルを獲得した中村真衣さんを育てた

(※3)リーゼル・ジョーンズ……オーストラリアの競泳選手。女子平泳ぎ100m、200mの世界記録保持者。100mは1分05秒75、200mは2分21秒34。種田選手の自己ベストは、100mが1分07秒91、200mは2分23秒85(日本記録)

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