去る平成29年4月17日、上智大学名誉教授・渡部昇一先生がご逝去されました。享年86でした。 渡部先生は、『致知』1981年7月号で初登場を飾って以来、36年間の歳月にわたり、数々の尊いご指導を賜ってまいりました。
『致知』に連載された「歴史の教訓」は通算235回を数え、その他、計66点もの書籍の刊行や、20年以上に及ぶ連続講座でのご講話など、その恩恵は計り知れません。 『致知』2017年7月号に掲載された、渡部先生とご縁の深かった方々のお言葉をご紹介するとともに、弊社から刊行されている書籍やCDをご案内させていただきます。 (五十音順)
巨星、堕つ――。 尊敬する渡部昇一先生の突然の訃報に言葉を失いました。保守の論客であり、確固たる歴史観を貫き、また文学・文化にも造詣深い、まさに「知の巨人」でありました。
もっと見る世に知的な人は少なくない。豊かな知識と鋭い洞察力を持ち、未来を指し示せる人もいる。ベンチャービジネスを開き、新技術を見付け、次世代の育成に当たる人々は多い。
もっと見る渡部昇一先生、あなたはいつも朗らかでした。
日本が濡れ衣を着せられている歴史問題を語るときでさえ、濡れ衣を着せる国家や民族の過ちを指摘して、真実の力は強いと、朗らかに笑うのが常でした。
初代内閣安全保障室長であった私が昭和天皇大喪の礼警備を最後に官を辞し、素浪人ながら「危機管理」の専門家として文筆や講演、テレビ出演をするようになった頃、渡部昇一さんは、すでに保守派の文化人として大活躍されていた。
もっと見る渡部昇一先生の御霊に対し、心から哀悼の意を捧げます。
渡部昇一先生は英文学から始まり、政治経済、歴史、哲学など幅広い評論活動をされた稀代の碩学であり、膨大な著書を著した知の巨人でした。
渡部先生の人生の締めくくりは、実に見事でした。
人は生きたように死ぬといいますけれど、激痛の中でも自分を見失うことなく、最後の一息までしっかり生き抜かれました。
「渡部昇一先生ご逝去」の知らせを聞いて、大きな驚きと共に、何よりも「早すぎたのでは」との思いが頭をよぎった。たしかに、多くの知己の方々が語っておられる通り、この一年近く渡部先生は御健康を害され外目にも衰弱の御様子だった。
もっと見る渡部昇一氏は上智大学において、教育と研究に長年にわたり従事されました。そして、大変優れた業績を上げ、瑞宝中綬章を受章されておられます。渡部氏の専門は英語学ですが、言論活動は、その専門分野を遥かに超え、歴史、政治、成功哲学、人物論など非常に広範囲のものでした。 もっと見る
父の書庫に座って呆然としている。物言わぬ幾万の書物の重みが身体にのしかかってくるようである。そして目の前に父の骨がある。ただただ不思議に思うのは、あれだけの知識、知見はいったいどこに行ってしまったかと言うことだ。父の死は私にとって切実な出来事であった。
もっと見る渡部昇一先生が逝かれてひと月が過ぎる。大事な人を亡くしてしまったという思いが日毎につのる。
先生と初めてお会いしたのは昭和五十六年の五月。『致知』の特集「飴と鞭」にご登場いただいたのが最初である。
渡部昇一先生が、若き世代に託した“遺言”。
「これからの日本を担う若者たちのために」と、祈りを託して綴った“絶筆”。
「歴史とは、単なる事実の積み重ねではなく、歴史的事実という水滴を、日本という場所、現代という時代から、日本人の目を通して眺めた時に見えてくる『虹』のようなもの。それこそ日本人にしか見えない虹、国史(=国民の歴史)である。自分の目に、虹として映るような国を持てるということが何よりも幸いである」(渡部昇一先生)
日本に生まれたことを誇りに思えるようにと、最後まで日本と日本人の行く末を案じておられた渡部昇一先生。その切なる思いを託した、次世代への“遺言”とも言える一書です。