谷佳知氏 侍ジャパンに助言「後手にならないようにしっかり情報収集」

 28日に東京五輪初戦を迎える侍ジャパン。金メダルが期待されるが、普段とは違う環境の中、未知の海外勢を相手に勝ち抜くのは容易ではありません。そこで、国際大会を経験したデイリースポーツ評論家が自らの経験を基に、日の丸戦士にエールを送る特別企画「五輪の書」を全3回掲載します。第2回は谷佳知氏です。

  ◇  ◇

 1996年のアトランタ五輪メンバーはすべてアマチュア。だが福留や井口、今岡ら、その後プロ入りする選手がそろっていた。ライバルはキューバで、他国には負けない自信があった。大会では順調に勝ち進み、決勝でそのキューバと対戦したが敗れて銀メダル。金メダルを狙っていただけに悔しかった。

 五輪期間中はアマチュアなので選手村に滞在した。治安の問題もあり、選手村から出ることは禁止。2週間ほどの滞在だったが、大変だったのは食事だ。選手や関係者の食堂には各国の料理がいろいろあり、日本食みたいのもあったが、味付けが米国風な感じでおいしくない。なのでほぼ毎日、食堂の近くにあったマクドナルドへ。当時は若かったのでそれでも大丈夫だった。

 部屋は同い年の西郷(泰之、当時三菱自動車川崎)と一緒。ワンフロアに10ぐらい部屋がある感じの建物だった。練習時間は数時間と限られていたため、暇な時間が多かった。時間を潰すのが大変で部屋にテレビはあったが、五輪中継は米国の選手中心の放送、しかも英語なので全く分からなかった。

 2度目の五輪となった2004年のアテネはオールプロのチームだったので選手村には入らず、ホテルを貸し切りにしていた。食事も専属シェフが来てくれていたので何でもおいしかった。部屋も一人部屋。野球だけに集中できる環境だった。

 ただグラウンド環境がひどかった。球場を遮る壁がなく吹きさらしで、グラウンドの芝も枯れていて球が転がらない。みんな「最悪だ」と言っていた。

 チームは長嶋さんが脳梗塞で倒れたこともあり、みんな全勝するぞという感じの雰囲気。オールプロだったのでアトランタの時と比べて重圧は違い、絶対に負けられないなと。もちろんベストメンバーで負けるはずがないと思っていた。

 ところが準決勝で、元阪神でオーストラリアのオクスプリングに“年一(ねんいち)”の投球をされた。松坂は1点に抑えていたし、何とかしたかったが、0-1で敗戦。油断したわけではない。ただ打てなかっただけ。国際大会の一発勝負はこういうことがある。

 東京五輪に出場する侍ジャパンは、アテネの時と違って、プロの選手もプレミア12など国際大会の経験は十分。自国なので食事や環境面も万全だ。試合ではどの国も投手はいいと思うので、足を絡めながら1点でも多く取る野球をすればいいのではないか。また打者は知らない投手と対戦すると初球から手を出しにくくなり、ボールを見てしまう。後手後手にならないように、しっかり情報収集して臨んで欲しい。

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