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木戸孝允(桂小五郎)特集/坂本龍馬特集

木戸孝允(桂小五郎)の人生とゆかりの地

木戸孝允(桂小五郎)の人生

幕末・維新期の政治家で旧長州藩士。大久保利通、西郷隆盛と並ぶ「維新三傑」の一人。1833年、同藩士和田家に出生。7歳で桂家の嗣子となり、通称を小五郎と称したが、1865年藩主から木戸姓をもらい、貫治、準一郎と改め、松菊と号した。吉田松陰の門弟となり、その後、江戸に留学。58年以降、安政の大獄後の状況のなかで、尊王攘夷運動に奔走した。64年禁門の変で薩摩藩などと戦って長州藩が敗走したのち、高杉晋作らの長州藩討幕派が同藩の実権を掌握すると帰藩し、諸藩と折衝する過程で、66年薩長同盟を締結することに成功。幕府倒壊による明治維新の実現後、政府官僚として、由利公正や福岡孝弟らと「五か条の誓文」の起草に参加した。さらに1870年には参議に昇進し、版籍奉還、ついで廃藩置県を通じて、統一政権の成立に指導的役割を果たす。また71年には、岩倉具視が率いる米欧遣外使節団に大久保利通、伊藤博文らと加わり、外国の政治、経済、軍事などの諸制度や施設を視察した。73年帰国後、西郷隆盛らが主張する征韓論に岩倉、大久保らとともに反対して西郷らを退け、下野させる。しかし、この直後に成立した大久保の独裁政権には批判的立場を示し、政府の支配体制の枠内で啓蒙官僚として行動した。74年の台湾出兵に反対して一時参議を辞任するが、翌年の大阪会議では大久保らの政府主流派に妥協して、再度、参議に復帰。その後は地方官会議議長に就任し、また内閣顧問に転任もするが、病気を得て要職から退き、西南戦争の最中、明治10年5月26日京都で死去した。


木戸孝允(桂小五郎)

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