福田康夫元首相は85歳になった。現在も国際活動に取り組み続けながら、穏やかな日々を送っている
福田康夫元首相は85歳になった。現在も国際活動に取り組み続けながら、穏やかな日々を送っている
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 2007年9月、第91代首相に就任した福田康夫元首相(85)。4人目の上州宰相であり、父の故赳夫元首相に続く親子2代の首相就任は、日本の憲政史上初めてのことだった。

 大蔵官僚だった赳夫氏の長男として生まれ、戦時中は父の古里である高崎市金古町で疎開生活を経験。早稲田大卒業後は民間企業に入社し、石油輸入の現場で国際感覚を磨いた。1976年、赳夫氏の首相就任を機に秘書となり政界に転身した。

 初当選は赳夫氏が政界を引退した90年。53歳と遅咲きだったが、2000年に森喜朗内閣で官房長官に就任すると、政権のスポークスマンとして冷静で機知に富んだ語り口で評価を高めた。続く小泉純一郎内閣まで、当時歴代最長の約3年半務め、これが後に首相候補となる足掛かりとなった。

 07年に参院選で敗北した安倍晋三元首相から政権を引き継ぐと、衆参のねじれ国会の中で多難な政権運営に取り組んだ。アジアをはじめとする世界の国々と外交面で良好な関係を築きつつ、消費者庁の創設や公文書管理法の制定など、国民の利益を追求しながら丸1年間、リーダーとして日本を導いた。

 多感な少年時代の一時期、上州で疎開生活を体験した福田さんにとって、戦争の記憶は「政治の責任」の重さを実感する原体験だった。政界引退後も民間人として、国際活動に取り組み続ける根底には「政治家は国民のために『時代の環境』づくりに責任を持たなければならない」という信念がある。

 85歳となった今、激動の半生を静かに振り返る。(この連載は関口健太郎が担当します。)

◇  ◇  ◇

 人はその時代の環境の中で生きていくものだ。私自身、大学を出て社会人となって以来、その時々の社会状況の中で活動や生活をしてきた。幸いにして年並みの健康で暮らしている。

 もう一つ幸いに思うことは、私が“戦場”を経験しなかったことだ。終戦時は小学3年生だったので、軍隊の経験があるはずはない。しかし、学童疎開を経験し、焼夷弾(しょういだん)で家を焼かれた様子などは散々見聞きした戦争の観察者であり、出征する兵士を送る立場であった。大きく言えば戦争に参加した国民の一人だ。

 もし私が10年早く生まれていれば、人生は一変していただろう。19歳で学徒出陣の該当者となっていたかもしれない。

 私が群馬に疎開していた戦争末期は、在学中の学生でも戦場に送られた。文部省が主催し、東条英機首相も出席して、神宮外苑競技場で盛大な壮行会で見送られて戦地に向かった。そして多くが若い命を絶たれた。戦争には、自由も人権もないのだ。私よりたった10年早く生まれたというだけで、彼らはそのような境遇に追い込まれた。

 それに比べれば、今は豊かな生活の中で、自由と人権が保障され、私たちはそれらを謳歌(おうか)している。今でも私は10年の違いを時々考える。そのたびに、戦争のような国と国との争いは、絶対に避けなければならないと思う。

 そのことを考えて、私は政治の道に入ってからは他国との関係に特に気を配り、意識的に交流を深めてきた。「時代の環境」に責任を持つ政治家として、国会議員を退いた今もその努力を続けている。