貴分」「知と情」
仙谷由人元衆院議員 死去

民主党政権で菅内閣の官房長官を務めた仙谷由人元衆議院議員が、今月11日、肺がんで亡くなりました。72歳でした。

仙谷氏は、徳島県出身で、弁護士を経て平成2年の衆議院選挙に当時の社会党から立候補して初当選し、衆議院議員を6期務めました。

この間、当時の民主党で政策調査会長などを務め、平成21年の政権交代で発足した鳩山内閣では、行政刷新担当大臣に就任し、「事業仕分け」などに取り組みました。

その後、菅内閣で官房長官を務めましたが、沖縄県の尖閣諸島沖の漁船衝突事件での対応をめぐり、参議院で問責決議が可決されて、内閣改造に伴って退任しました。

東日本大震災の発生後は、官房副長官に起用され、被災者支援に尽力したほか、その後、党の政策調査会長代行に就任して、東京電力の経営改革などに取り組みました。

仙谷氏は、みずからの経験も踏まえ、がん対策にも熱心に取り組んできましたが、肺がんのため、今月11日に亡くなったということです。

菅元首相「本当にびっくり 大変残念」

立憲民主党の菅 元総理大臣は、東京都内で記者団に対し、「まさかこんなに早く亡くなられるとは思っていなかったので、本当にびっくりし、大変残念に思っている。総理大臣のときにいちばん難しい官房長官をお願いし、特に中国漁船が海上保安庁の船に衝突するという大きな事件をめぐって、非常に複雑な要素があったが、官房長官として、担当大臣と協議しながら、何とかある段階で収拾できたのは、仙谷氏の力量によるところが非常に大きかった」と述べました。

立民 枝野代表「師匠であり 兄貴分」

立憲民主党の枝野代表は記者団に対し、「正直言ってショックだ。私にとっては師匠であり、兄貴分であり、親分肌の方だった。政治の世界でさまざまな指導をしていただき、経験を積ませていただいたのは仙谷さんのおかげだと思っている。人のために汗をかく人で、多くの後輩が慕う『知』と『情』をあわせ持った人だった」と述べました。

国民 前原元外相「残念のひと言に尽きる」

国民民主党の前原元外務大臣は記者団に対し、「長い間、兄貴分として、政治の師として、大変かわいがっていただき、ご指導もいただいた。残念のひと言に尽きる。いちばん、政治家として見習わなければいけないと思ったのは、人づきあいの広さと懐の深さだ。同僚議員に限らず、他党の議員ともおつきあいをされて、『政治は表だけではない、政策だけではない』ということを教えていただいた」と述べました。

国民 玉木代表「理性と情の大政治家」

国民民主党の玉木代表は、記者団に対し、「深い知識と歴史に対する造詣は、数ある政治家の中でも随一のものがあった。親分肌で、理性と情の2つを兼ね備えた大政治家だった。特に印象に残っているのは、民主主義を重んじ、それを必死に守ろうとしていたことだ。本当に残念で、心からお悔やみを申し上げたい」と述べました。

自由 小沢代表「たぐいまれなる実行力」

自由党の小沢代表は「政治的な立場は互いに異なったが、常に天下国家と国民の幸福を考えて、情熱をもって全力で政治に取り組んでいた。たぐいまれなる政治的実行力を持った、けうな政治家だった。議員を勇退してからも、議会制民主主義の危機的状況を危惧し、盛んに発信していたのを大変心強く感じていた」などとする談話を発表しました。

菅官房長官「心からご冥福祈る」

菅官房長官は、午後の記者会見で、「仙谷氏は民主党政権の鳩山内閣当時に、内閣府特命担当大臣、また菅内閣では、官房長官、官房副長官を歴任し、政権運営の中心として、事業仕分けや東日本大震災後の被災者支援に取り組まれた。心からご冥福をお祈り申しあげる」と述べました。

自民 二階幹事長「初当選の頃からつきあい 誠に残念」

自民党の二階幹事長は、記者団に対し、「仙谷氏とは、郷里もそう遠くない地域なので、最初に当選したころから、ずっとおつきあいをしていた。まだまだ活躍できる身だったので、カムバックをひたすら期待していたが、突然の訃報に接して、誠に残念だ。ご冥福を心からお祈りしたい」と述べました。