ジャニー喜多川氏はかわいそうな人…カウアンさん、性被害告発した今も「感謝している」
2023年9月6日 17時00分
<もう、自分に嘘はつかない>㊥
ジャニーズ事務所の創業者ジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害を告白した元ジャニーズJr.(ジュニア)のカウアン・オカモトさん(27)。上京すると、ジャニー氏からテレビ番組のレギュラーを割り当てられた。ジュニアの仲間たちは手のひらを返したように声をかけてくれるようになり、食事にも誘われた。同時に、ジャニー氏からの性加害も増えていくことになる。著書「ユー。ジャニーズの性加害を告発して」(文芸春秋)を出版したカウアンさんに聞いた。(望月衣塑子)
◆肩をもまれ、仲間が「とにかく、頑張れ」と
レギュラー番組が増えると、クビになることはない。そう思う一方で、CDデビューは決まらず、仕事がなくなるのではないかという恐怖は消えなかった。デビュー組と行動するようになり、「これが俺の生活になるのか」という実感がわいたという。だが、音楽の比重が低い活動に満たされない思いも次第に強くなった。
12年3月、事務所に入所直後、他のジュニアメンバーとジャニー氏の家に泊まることになった。ジャニー氏は80歳を超え体力的なこともあり、ソファで午後10時や11時にすぐ寝てしまうが、深夜になると起き出した。
ある日、リビングで他のジュニアメンバーと夕食を食べていたが、ジャニー氏が僕の肩をマッサージして「カウアン、早く寝なよ」と言った。
ジャニー氏がジュニアのメンバーを襲う話は全く知らなかった。ただ初めて泊まった日、ジャニー氏に肩をもまれると、他のメンバーが「うわっ!」と反応した。「なんで?『うわ!』なの?」と聞くと、「肩をもまれていたね。……でもとにかく、頑張れ」と返された。他のメンバーも、その時、自分がターゲットになったと気付いたのだと思う。
心配になりネットで検索をすると、ジュニアを襲っているといううわさ話がでてきた。しかし、カウアンさん自身、でも襲うって、どこまで何をされるのか正直わからなかったという。
◆深夜、マッサージの後…翌日1万円札を
あの夜、部屋にはベッドが三つあって他のジュニアも寝ていたが、自分のベッドの横でジャニー氏の足音が止まった。マッサージが始まり、そのまま性被害を受けた。
翌日、ジャニー氏に「一緒に出ようか」と言われ、マンションのエレベーターに乗り込むと小さく折り畳んだ1万円を渡された。話には聞いていたが、やっぱりお金をもらえるんだと思った。
ジャニー氏に「寝なよ」と言われて近くで寝ないと、翌日ものすごく不機嫌になると仲間から聞いた。でも自分はそれ以外にも小遣いを度々もらっていた。「これでご飯を食べにいきな」「ユー持っておきなよ」という感じで。ジャニー氏とは距離が近くなった気がした。
何度か被害を受けるうちに、こんなことは大したことじゃないと思うようになった。いや思い込もうと思ったのかもしれない。
◆ゲイで子ども好きという秘密、コンプレックスの塊だったんじゃ…
ジャニー氏はコンプレックスの塊なんじゃないか、かわいそうとも思った。父親は真言宗の僧侶で厳しい人だったとネットで読んだ。ゲイで子ども好きという秘密を持ち、背も低い。ジャニー氏が若いころは、同性愛は社会に受け入れられてないから余計に大変だったのだろうとも思う。
ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」の報告書には、ジャニー氏自身が幼少期に性加害を受けて育ったという話もあった。ジャニー氏も苦しんだ過去があったのかもしれない。
ジャニー氏は、プロデューサーとして名声を得ても表舞台には決して出なかった。性加害を加えた僕たちに現金を渡すのも、自分に自信が持てなかったからではないだろうか。
最後に性加害を受けたのは14年の終わり、18歳の時。100回はジャニー氏の部屋に泊まったが、15〜20回は被害に遭った。そして1回は暗視カメラのアプリをダウンロードし、性加害の様子を撮影した。
それでも、ジャニー氏には感謝しているという。虐待されても親を完全には恨めない子どもに似ていると思う。ジャニー氏に人生を変えてもらったし、エンターテインメントとは何かを学んだ。15歳の田舎育ちの少年が東京に呼ばれて大勢の客の前で歌う、他ではできない経験だった。
ジャニー氏は決して偉そうに振る舞うことはなく、僕たちと普通に接してくれた。他の会社の社長で偉そうにしている人をみると「ちっちぇな」と思う。だから自分はジャニー氏の全てを否定することはできない。
◆どうすればジャスティンの世界に行けるのか
カウアンさんは、事務所に入所して性加害を受け続けながら、デビューもなく14年になった。
テレビや舞台の仕事はあったが、20歳までにデビューしなければ、ジュニアとしてずるずるいきそうな気がしていたという。人気が上がってデビューしてもバラエティー番組やドラマに出て、たまに音楽をやる。これを一生やりたいのかと自問したが「それは違う」と思った。
何をすればジャスティン・ビーバーのいる世界に行けるのか。作曲家のSAKINAさんを頼り「ファンタジーダンス」と「無限の愛」という2曲の楽曲を作ってMV(ミュージックビデオ)も撮った。
「この2曲をYouTubeに上げて、世界へ向けてソロデビューしたい」。「カウアン世界計画」と銘打った茶封筒の手紙をジャニー氏に手渡した。
「自分で作ったの?どういうこと?これすごすぎない。戻ってきて」と電話が来た。その後、ジャニー氏は「事務所行ってプレゼンしてくる」とDVDと手紙を持って行ったが、2時間後、電話が来た。
「ダメだって。YouTubeもソロデビューもダメだって」
ジャニー氏が売り込んでもダメかと思った。落ち込んだが、それを聞いた時、ジャニーズ事務所を辞めようと決心した。
◆20歳までにデビューしたい!退所決断に「ユーやばいよ」
「ユーは本当にすごい。スターになれるよ。(KATーTUNのメンバーだった)赤西仁を思い出す。ユーは20歳までにデビューしたいと言っていたから、あと半年しかないね」
ジャニー氏への手紙には「このやり方が違うと言われるなら、僕は自分の力で世界へ行きます」とも書いた。「本当は辞めたくなかった。ジャニーズの一員として世界へ出たかった」
振付師のサンチェさんからも「赤西みたいなことをやりたいんでしょ。KinKi Kidsとジン(赤西仁)がYouTubeをやりたいと言ったが、キンキは事務所に残り、ジンは辞めた。おまえはどっちを選ぶかだ」と言われた。
事務所は「グループデビューができてもソロは無理、YouTubeで世界へ売り出すのもダメだ」という。カウアンさんは「事務所を辞め、YouTubeで1人でやっていく」と、意を決してジャニー氏に話すと、「そうだよね。カウアンやっぱり辞めるんだ。ユーやばいよ」と答えた。
この時のジャニー氏の「やばいよ」には「すごいな」の意味も込められていたと思う。
16年8月、ジャニーズ事務所を辞めた。玄関でジュニアのみんなと立ち話をして「じゃお疲れ」とあいさつをして別れた。すっきりした気分だった。「これからは攻めていくぞ、絶対にいける」という気持ちだけで、不安は全くなかった。
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