日本刀の切れ味

日本刀の業物
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業物(わざもの)とは、「業良き物」を意味する言葉で、切れ味の良い日本刀のことを指します。日本刀を武器にして戦う武士にとって、切れ味が鋭い最強の日本刀の良し悪しは、そのまま己の生死を左右したため、非常に重要な指標として古来注目されてきました。
また、業物か否かは、刀剣鑑定家による見解の他、罪人の死体を利用した「試し斬り」の結果により判断されます。試し斬りは、安土桃山時代から江戸時代にかけて盛んに行なわれましたが、江戸時代になり太平の世がくると、その残忍さから徐々に忌み避けられるようになりました。
これを受け、御様御用(おためしごよう)と呼ばれる試し斬りの専門職が設けられるようになったのです。その代表格である「山田浅右衛門」(やまだあさえもん:試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称)による試し斬りの鑑定書が出版されるとこれが大変な評判となりました。試し斬りによる鑑定書には、江戸時代後期に刊行された「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)の2書があります。日本刀の業物では、同書に書かれている内容や特異性などについて解説していきます。

「懐宝剣尺」と「古今鍛冶備考」とは

懐宝剣尺

懐宝剣尺

「懐宝剣尺」の初版が刊行されたのは1797年(寛政9年)です。体裁は1冊本で、内容は刑死した罪人の死体を使って行なう試し斬りの説明、刀装の解説、業物表、刀工名簿、金工名簿、年号表などに及びます。

懐宝剣尺は出版後、大変な評判となり、1805年(文化2年)には再版されるほどの人気を博しました。著者は3人おり、ひとりは幕府の御様御用を務めた「山田吉睦」(やまだよしむつ)です。

御様御用とは所有者の代理として切れ味が鋭い最強の日本刀を吟味する役職を指します。山田家は「山田浅右衛門吉時」(あさえもんよしとき)が幕府8代将軍「徳川吉宗」所有の名刀を試し斬りして以降、歴代当主が「浅右衛門」もしくは「朝右衛門」を称し、御様御用を継承していきました。なお、山田浅右衛門吉睦は5代目の当主。

奥州湯長谷藩(おうしゅうゆながやはん:現在の福島県いわき市)に「三輪源八」(みわげんぱち)の次男として生まれ、1787年(天明7年)に4代当主「山田浅右衛門吉寛」(やまだあさえもんよしひろ)の養子となり、1794年(寛政6年)頃に浅右衛門を襲名しました。

2人目は「須藤五太夫睦済」(すどうごだゆうむつずみ)です。須藤五太夫睦済は、伊予国(いよのくに:現在の愛媛県今治藩「久松家」(ひさまつけ)の家臣であり、山田家に弟子入りして研鑽を積み、「試剣術」(しけんじゅつ:試し斬りを専門とする剣術)の達人となりました。

彼は山田吉睦の師でもあり、中川流試剣術(寛永年間に創始された試剣術流派)の免許を有する山田吉睦が家督を継承するとき、秘伝「吊し胴」、「払い胴」の奥義を伝授しています。

3人目の「柘植平助方理」(つげへいすけまさよし)は肥前国(ひぜんのくに:現在の佐賀県長崎県)唐津藩士です。編集と執筆に加え、集めた資料の選別も担当しました。

古今鍛冶備考

古今鍛冶備考

次に「古今鍛冶備考」を見ていきます。古今鍛冶備考は1830年(文政13年)に刊行され、山田吉睦が主著者、須藤五太夫睦済と柘植平助方理が編集と一部執筆を担当。7巻7冊の大著となっています。

内容は、試し斬りについての解説の他に製鉄技術に関する記述、南九州の刀鍛冶系図、街道・国別の茎押形(なかごおしがた)、柘植平助方理の師「鎌田魚妙」(かまたぎょしょう)の遺稿も採録され、多様性に富んだ構成になっています。

このうち試し斬りの解説に関しては、「截断柄図」(さいだんがらのず)、「鎗様柄之図」(やりためしがらのず)、「稽古土壇之図」(けいこどたんのず)、「堅物様方之図」(かたきものためしかたのず)をそれぞれ絵図入りで行なっており、視覚的にも理解しやすいのが特徴です。

古今鍛冶備考は江戸期に刊行された数多い刀剣書中でも、内容が的確かつ正確である点において「本阿弥長根」(ほんあみながね)の「校正古刀銘鑑」(こうせいことうめいかん)と双璧をなしており、明治・大正期に入っても版を重ねました。江戸期を代表する日本刀の名著として、現在の刀剣界でも高く評価されている1冊です。

懐宝剣尺と古今鍛冶備考の特異性

懐宝剣尺と古今鍛冶備考の2書における最も特徴的な部分は、日本刀を順位付けしている点。しかしこうした格付け形式は、この2書が最初ではなく、古くは室町時代中期、幕府8代将軍「足利義政」(あしかがよしまさ)による選定までさかのぼります。

このときは刀工を国別に分け、「珍敷物」(めずらしきもの)、「可然物」(しかるべきもの)、「新作物」(しんさくもの)の順に格付けしました。珍敷物とは文字通り希少価値の高い作例のことであり、また可然物とは将軍家が所望するにふさわしい作例という意味。

そして、新作物では正和年間(1312~1317年)前後に作られた日本刀を名作、可然作、新作物の順で評価されています。

江戸時代に入っても日本刀の格付けは盛んに行なわれました。有名なのは1661年(万治4年)初版刊行の「古今銘尽」(ここんめいづくし)です。1687年(貞享4年)の第2版発行時には、「代金三十五枚程度」を最高額に、150人の刀工が国別に格付けされました。

この他にも数多くの日本刀番付や格付け書が市井に出回り、いずれも「鑑定」の観点から日本刀を評価。つまり、相応の鑑定眼を有する識者の目利きによって、日本刀の優劣が決められていたのです。

しかし、それらに比べてもなお懐宝剣尺及び古今鍛冶備考が特異性を保っていたのは、鑑定ではなく切れ味によって日本刀を格付けした点にありました。試し斬りによって人間の肉体を実際に切った上で、日本刀の優劣が決められていたのは、この2冊のみなのです。

山田家だからこそ可能だった試し斬り

試し斬りに使われた日本刀は、古刀期と新刀期の作例からなります。古刀期とは平安時代後期~1595年(文禄4年)を指し、ちょうど日本刀が武器としてだけでなく芸術作品としても注目を集めはじめた時期です。新刀期とは1596年(慶長元年)~1780年(安永9年)までを指し、この期間には従来の規律にとらわれない新しい刃文が次々と創作されました。

ちなみに、試し斬りに使われた作例は20,000振以上。懐宝剣尺と古今鍛冶備考はこの結果に基づき、日本刀の刀工を以下のように格付けしたのです。

最上大業物
(さいじょうおおわざもの)
最高の切れ味を誇る作例を鍛造した15工
大業物
(おおわざもの)
最上大業物に次ぐ切れ味を有する作例を鍛造した21工
良業物
(よきわざもの)
大業物に次ぐ切れ味を示した作例を鍛造した58工
業物
(わざもの)
良業物に次ぐ切れ味を見せた作例を鍛造した93工

この他に上記以外の大業物・良業物・業物を鍛造した「大業物・良業物・業物混合」68工が挙げられ、計255工が名前を連ねています。

試し斬りに使われた死体について懐宝剣尺は、「30歳前後から50代前後の男子の胴」、「平時に荒事をしていた骨組の堅い者の乳割(ちちわり:両乳首より少し上の部分を指す試し斬り用語)以上に堅い所」とあり、この部分に斬撃を加えるかたちで試し斬りを実施。切れ味の優劣を付けました。

なお、山田吉睦が罪人の死体で試し斬りができたのは、御様御用を本業とするかたわら、罪人の斬首を請け負っていたためです。斬首刑は奉行所の同心が行なっていましたが、山田家が御様御用を務めるようになって以降、同家が担当するようになりました。

山田家は無役の牢人(ろうにん)身分にして、処刑人としての不名誉を負う見返りとして、刑死した罪人の死体を引き取る特権を取得。死体を使って試し斬りを繰り返すことで名刀の切れ味を試し、試剣術の大家として名を成すのです。そうして生まれたのが懐宝剣尺と古今鍛冶備考でした。特権で得た当事者しか知りえない情報を広く世の中に還元した点において、山田吉睦が日本刀剣史上に果たした役割と功績は計り知れません。

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最上大業物

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大業物

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良業物

業物

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「業物」(わざもの)とは、江戸時代後期の書物「懐宝剣尺」(かいほうけんしゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)において、「最上大業物」(さいじょうおおわざもの)や「大業物」(おおわざもの)、「良業物」(よきわざもの)に次ぐ切れ味だと評価された93刀工のことです。30~50歳前後の男子の胴で、平時に荒事をしていて骨組の堅い者の乳割(ちちわり:両乳首より少し上の部分を指す試し斬り用語)以上に堅い部分を切りつけ、10回中3~4回両断もしくは両断寸前まで切り込めた作例が、業物と認定されました。業物では、業物に選ばれた作例の傾向や特徴などについてご紹介していきます。

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