「私の髪は漆黒なので、綺麗なカラーリングのためには一度ブリーチしなければなりません。ですが髪のダメージが気になるので、役以外のプライベートでは実は一度も染めたことがないのです。メイクに関しては、特に何もしなくても肌にツヤがあればそれだけで美しく見えると思っています」
かつてアメリカ「CNN」の取材に対し、自身のビューティー・ルーティンについてこう明かした俳優のルーシー・アレクシス・リューことルーシー・リュー。1968年12月2日、アメリカ・ニューヨークに生まれ育った彼女は、19歳の時に地下鉄で通学中にスカウトにあったのがきっかけで、そのままショービジネス界入りした。
その後、俳優キャリスタ・フロックハート主演のテレビシリーズ「アリー my love」(1997)のリン・ウー役でゲスト出演し、たちまち大きな注目を集めた彼女は、一躍ハリウッドのアジア系トップスターへと上り詰めた。
そんなルーシーの代名詞といえば、『チャーリーズ・エンジェル』(2000)のアレックス役だ。この役で世界を一世風靡した彼女は、これまでのアジア系俳優のイメージをガラッと刷新し、プライムタイム・エミー賞へのノミネートに加え、放送批評家協会賞、映画俳優組合賞2回など数々の栄誉ある賞を獲得し、現在に至るまで輝かしいキャリアを築いている。
「子どもの頃、母が化粧しているところをよく眺めていました。そして近所の50ダイムショップに行って、色々な化粧品を試すのが好きでした。特に気に入っていたのがロレアルの口紅で、今でもそれを使っています」と語る彼女には、ビューティーに関して独自のこだわりがあるという。
「水をたくさん飲みますが、コーヒーは飲んだことがありません。それに、フェイシャルエステも一度も受けたことがありません。理由は、手の摩擦による刺激が肌にダメージを与えると思うから。ピーリングトリートメントを受ける人は多いですが、基本的に私は皮膚を“剥離”する、ということに抵抗があるので決してやりません」。ルーシーのチャームポイントといえば、スカウトの決め手にもなった“眼”。そのシャープなアーモンドアイを際立たせるため、日頃実践しているテクニックをこう明かす。
「この眼を際立たせるために、私はアイメイクには2本のライナーを使っています。上のラインはリキッドライナーで、下はペンシルでインサイドラインを引きます。普段日中はリキッドライナーだけですが、テクスチャーの違うアイテムを使い分けると、より繊細は表現が出来るのでこの方法がとても気に入っています」
乳がんとの闘いと学び
こう語る彼女は、1991年に胸にしこりがあることに気づき、何気なく医師のもとを訪れたところ、乳がんであることが判明したという。その時の心境を、こう明かしている。「医師から、すぐにでも摘出する必要があると言われました。ただ軽い気持ちでクリニックに来ただけだった私は、本当にショックを受けました。当時のことはいまでもトラウマになっています」
幸いにも摘出手術は成功し、すぐに仕事に復帰した彼女だが、当時乳がん検診の必要性やその知識がなかったこと、そしてセカンドオピニオンを求めなかったことをいまでも悔やんでいるという。そして、現在「スーザン・G・コーメン乳がん財団」のスポークスパーソンに就任し、自らの経験を若い女性たちにシェアしながら、早期発見の啓蒙活動に尽力している。
「21歳のとき、私の胸に小さなしこりが見つかりましたが、特に大したことないと思っていました。ですが、一応クリニックに行ったところ、癌だから摘出する必要があると告げられたのです。その二日後、手術を受けて無事摘出されたそのしこりは、良性腫瘍でした。今振り返ると、当時の私には早期発見の大切さや、マンモグラフィーや超音波検査など、乳がん予防のための細かい知識が全くなかったことが本当に悔やまれます。私のこの経験が、若い女性たちにとって何かの学びになってくれることを祈ります」
代理母出産とルーシー流子育て
こうして乳がんを克服し、その後も順調にキャリアを築いていたルーシー。しかし、40代に突入したときからキャリア上の異変を感じ、自分の“これから”について考えることが多くなったという。
「キャリアを追求することと子どもを持つことは、私の人生における目標でした。ですが40手前から、毎回同じような役のオファーを受けるようになったのです。毎回同じミーティングをして、何度も同じ話を聞いて……そのとき、キャリアの“限界”のふた文字が頭をよぎるようになりました。この仕事を始めたときから、キャリアを追求すると出産適齢期を逃すことを覚悟していた私ですが、このとき子どもを持つことを優先しようと決断したのです」
そこで当時、すでに40歳半ばに差しかかっていた彼女は、代理母出産で子どもを持つことを決断。47歳で一人息子ロックウェルを授かった。
「私は、いつも1人で決断を下します。特に人生における大きな決断ほど、あまりリサーチもしないし、深く考えることもしません。なぜなら、考えすぎると怖くて絶対にやらなくなってしまうからです。だから、直感が導くまま進むのが一番私の性分には合っている。代理母で息子を授かったのも、私なりの決断です」
そんな彼女は息子とともにLAを離れ、目下NYで子育て中だ。だがLAを離れる決断をしたとき、周囲に反対されたことを明かした彼女は、子育てに関してもルーシー流を貫いているという。
「NYで子どもを育てる、と言ったら周囲は危険が多すぎると反対しました。ですが、子どもは自ら何が安全で何が危険かを学びますし、体験から得たものほど深く理解するものです。なんでも経験させることこそ、子どもが自立して生きていくために必要なことだと思うのです」
疾走する55歳
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一方で、2023年6月にアメリカで公開されたアメリカンコミックの実写版『シャザム!〜神々の怒り〜』で、共演のヘレン・ミレン演じる悪役・ヘスペラの妹・カリプソを演じ、初のコミック映画デビューを果たしたルーシー。プライベートでは一児の母となり、50代半ばに差しかかった今も新たな役に挑むなど、相変わらずフルスロットルで疾走中だ。そんな彼女は、自身のこれまでの道のりをこんな風に振り返っている。
「『チャーリーズ・エンジェル』のアレックスというキャラクターは、アジア系アメリカ人俳優を想定して書かれたものではありませんでした。そして、アジア系俳優の私が演じるからといって“アレックス・ウー”などワザとらしい名前に設定することなく、“アレックス・マンデイ”という名前ですんなり作品に溶け込んでいました。その点で、私のキャリア上重要なこの作品が、世界のアジア系俳優コミュニティに残した功績は大きいと思います」
「一方で、50代になってもスーパーヒーロー映画に出演出来るのは本当に感慨深いものです。けれど、もし20代のうちにこの映画に出演できていたら、もっと多くのチャンスに恵まれ、キャリアももっと大きく違っていたかもしれない……そんな風に思うときもあります。ですが、何事にも“タイミング”というものがあります。これからも私は、私にとってベストなタイミングで出合った役に全力で取り組むつもりです」
Text: Masami Yokoyama Editor: Rieko Kosai