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長州藩出身で「維新の三傑」の一人、木戸
「木戸顧問容体」と題した診断書が見つかったのは今年7月。一坂太郎・萩博物館特別学芸員が東京の古書店で発見し、購入した。
1877年(明治10年)5月21日に明治天皇の侍医を務めていた3人の医師の連名で書かれたもので、〈肝部ノ
死因を巡っては、明治政府のお雇いドイツ人医師ウィルヘルム・シュルツが〈極めて難治の胃病〉と診断したことが『明治天皇紀』に記され、これを根拠に胃がん説が広まった。
木戸と近かった長州藩出身の軍人・三浦
一方、木戸の死去を報じた明治10年5月28日付読売新聞は、肝臓の腫れ物(洋名カンクル)の病にかかったと日本の医師の診断に沿った記事を載せ、同年6月2日付東京日日新聞も〈遂ニ肝臓肥大ノ症トナル〉とした。
今回見つかった診断書について、2018年に『小説 木戸孝允』(鳥影社)を著した京都府在住の内科医、中尾
中尾さんは「肝臓と胃は近く、腫れていると触診で間違える可能性がある。継続的に診察していた日本の医師の方が正確に判断できたと思う」と推測する。
診断書を発見した一坂さんは「以前に木戸の評伝を書いた時は胃がん説を疑わなかったが、新史料をもとに議論が深まることを期待したい」と話している。