木戸孝允の死因「胃がん」に異説…大腸がん転移説も

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 長州藩出身で「維新の三傑」の一人、木戸孝允たかよしが病死する5日前の「診断書」が見つかり、諸説ある木戸の死因に改めて注目が集まっている。これまでは「胃がん」説を唱える研究者が多かったが、「大腸がんの肝臓転移」とみる見解も出ている。

木戸孝允(国立国会図書館蔵)
木戸孝允(国立国会図書館蔵)

 「木戸顧問容体」と題した診断書が見つかったのは今年7月。一坂太郎・萩博物館特別学芸員が東京の古書店で発見し、購入した。

 1877年(明治10年)5月21日に明治天皇の侍医を務めていた3人の医師の連名で書かれたもので、〈肝部ノ腫脹しゅちょういよいよ増大シ〉と肝臓の腫瘍の悪化を記し、〈遂ニ危険ニ進ミ不容易よういならざる容体〉としている。木戸は5日後の26日に亡くなった。

 死因を巡っては、明治政府のお雇いドイツ人医師ウィルヘルム・シュルツが〈極めて難治の胃病〉と診断したことが『明治天皇紀』に記され、これを根拠に胃がん説が広まった。

 木戸と近かった長州藩出身の軍人・三浦梧楼ごろうも1925年(大正14年)出版の自身の回顧録で〈(木戸は)全く胃癌いがんにて死去したのである〉と書いた。

 一方、木戸の死去を報じた明治10年5月28日付読売新聞は、肝臓の腫れ物(洋名カンクル)の病にかかったと日本の医師の診断に沿った記事を載せ、同年6月2日付東京日日新聞も〈遂ニ肝臓肥大ノ症トナル〉とした。

 今回見つかった診断書について、2018年に『小説 木戸孝允』(鳥影社)を著した京都府在住の内科医、中尾實信よしのぶさん(80)は、うみと血が混じった便が出ていたことや、肝臓の腫れの悪化が記述されていることに注目。明治9年夏頃から下痢が続いていたと木戸が日記に書いていることと併せ、「死因は大腸がんの肝臓転移」とみる。

 中尾さんは「肝臓と胃は近く、腫れていると触診で間違える可能性がある。継続的に診察していた日本の医師の方が正確に判断できたと思う」と推測する。

 診断書を発見した一坂さんは「以前に木戸の評伝を書いた時は胃がん説を疑わなかったが、新史料をもとに議論が深まることを期待したい」と話している。

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1551371 0 医療・健康 2020/10/15 18:53:00 2020/10/15 18:53:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201015-OYT1I50064-T.jpg?type=thumbnail

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