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太平洋戦争で真珠湾攻撃を命じる暗号を送信したとされる長崎県佐世保市の国指定重要文化財「旧佐世保無線電信所」(針尾送信所)が11月、完成から100年を迎える。戦艦大和の沈没などの重要な局面にも関わったとみられる施設だ。当時の最高水準の技術で建てられた無線塔は大地震でも倒壊しないとされ、地元では“歴史の生き証人”の存在を広く伝えようという動きが進んでいる。(小松一郎)
「軟らかいコンクリートで造られ、おおむね震度6弱の地震でも倒れないという調査結果が出ています」
建設100年を記念し、7月下旬に佐世保市内で開かれた市民向けの学習教室。市教委文化財課の松尾秀昭主査が無線塔について説明した。児童ら約30人は熱心にメモを取った後、無線塔や電信室を見学。「100年たっても残っているなんてすごい」と感嘆の声を上げた。
市教委によると、旧日本海軍は日露戦争で電波通信の重要性を認識。高い塔を備えた長波無線通信施設を1915年に千葉県船橋市、19年に台湾・高雄に設けた。針尾送信所は22年に完成し、中国大陸や東南アジア、南太平洋方面に展開する艦隊などとの通信に使用された。
真珠湾攻撃を命じる暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」には諸説あるが、市教委の学術調査報告書は、連合艦隊旗艦「長門」が発信し、針尾送信所は中国大陸や南方に送信したという防衛研究所の見解を紹介。針尾送信所が関わったとみられるものとして、日本の連合艦隊が空母4隻を失ったミッドウェー海戦、ソロモン諸島上空での山本五十六・連合艦隊司令長官の戦死、九州沖での戦艦大和の沈没などを列挙している。
市教委の学術調査に携わった電気通信大学「UECコミュニケーションミュージアム」の有沢豊志・学術調査員は「海軍の通信ネットワークで、大陸、南方地域を担う基幹局として、数々の重要な局面で通信の一端を担っていた」と指摘する。
無線の主流が中波、短波に移ったことで針尾送信所の重要性は薄れ、戦争末期には食料倉庫としても使われた。長大な長波無線塔は次々と姿を消し、国内では針尾送信所にしか残っていない。
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