この連載では、各分野で活躍している人たちに「人生を左右した決断」についてインタビュー。今回は、TBSテレビのアナウンサーとして活躍後、ドイツを拠点にアーティストとして活動する伊東楓さんの決断に迫ります。上編では、価値観を育んだ子ども時代のエピソードや、自分らしさに悩んだアナウンサー時代、絵を描き始めたきっかけなどを聞きました。
(上)元TBSアナ伊東楓 固定観念に苦しみ自分を見失った ←今回はここ
(下)TBS退職→企画持ち込み絵詩集出版、直感でドイツ移住
小6からアナウンサー目指すも「向いていない」と実感
編集部(以下、――) アナウンサーを志したのはいつ頃だったのでしょうか?
伊東楓さん(以下、伊東) 朝のニュース番組で毎日見ていた西尾由佳理さん(元日本テレビアナウンサー、現フリーアナウンサー)に憧れて、小学6年生のときにアナウンサーになろうと思いました。「こんなに知的ですてきな女性が世の中にいるんだ!」と感動して、バラエティーから報道まで幅広く活躍できるアナウンサーという職業に憧れを抱いたんです。
―― その憧れを現実にしようと思って、ずっとアナウンサーを目指していたのですか?
伊東 アナウンサーになりたくて富山から東京の大学に進学したのですが、大学生のときに一度諦めました。きっかけは、大学2年生のときにスカウトされて出場したミスコンです。もともと出場する予定はなかったのですが、開催直前に出場者の一人が棄権することになり、急きょ事務局の人から「代わりに出てほしい」と電話がかかってきて。補欠合格でミスコンに出場したのですが(笑)、そこで「私はアナウンサーに向いていないな」と思ったんです。
―― 何があったのでしょうか?
伊東 ミスコンの出場者は6人いたのですが、常に6人で比較されながら順位が決まり、仲はいいのにライバルとして競い合ったり、票を集めるためにSNSでアピールしたりすることが私は苦手だったんです。それで「表舞台に立つ仕事は向いていない」と勝手に思い込み、一度アナウンサーになることは諦めました。
―― その後、アナウンサーになったのはどういう経緯だったのですか?
伊東 アナウンサーを諦めてからは広告代理店に絞って就職活動していたのですが、大学のOBに、「アナウンサー試験を受けてもいないのに、自分で『向いていない』と決めつけて、小学生時代からの目標を諦めるなんてもったいない」と言われたんです。その言葉がきっかけでTBSテレビの採用試験を受けて、入社できることになりました。
―― アナウンサーは狭き門ですよね。どういうところが評価されて、内定をもらえたのだと思いますか?